第78話 意匠の決定と馬車の完成
「予想通り、マルティナは一度読んだ本は絶対に忘れませんの。……マルティナは凄いのですよ?」
後半の言葉に少しだけ自慢するような色を乗せたナディアに、今度はマルティナが苦笑を浮かべた。しかし職人たちはそれどころではなく、大混乱の最中にいるようだ。
「ど、どういうことだ?」
「全部覚えてるって、は? 意味分かんねぇ」
「じゃあ大陸中で使われてるいろんなデザイン、全部頭に入ってんのか?」
「い、いや、そんなのあり得ないだろ」
職人たちが狼狽える中で、マルティナは頷いた。
「全部頭に入っています。私は少し特殊な記憶力があるみたいで。あっ、でも気にしないでください。そんなに驚かれると反応に困りますし……」
マルティナは自身の能力が稀有なものであると理解してはいるが、あまりにも自分にとって普通のため、凄いことだという認識は周囲より少ない。
したがってマルティナの声音はなんでもないことを伝えるようになり、職人たちは困惑を深めるように首を傾げた。
「驚いてる俺たちがおかしいのか?」
「か、官吏になるような人は、覚えられるのが普通なのか?」
そんなことまで言い出す職人に、ナディアが否定をする。
「マルティナだけが特別よ。ただ今はあまり時間もないし、この能力をありがたく活用させてもらいましょう」
「はい。そうしてもらえると嬉しいです。何か気になることがあればなんでも聞いてください」
ナディアの言葉と笑顔のマルティナを見て、職人たちは正気を取り戻したのか、最初と同じような真剣な表情に戻った。
そして馬車のデザインについて、真剣に考え込む。しばらくして口を開いたのは、若い男だ。
「あの……よくある月の意匠なんだけど、それは許可できる意匠に入ってないと思うんだが、なんでなんだ? あれなんて、色んなところで使われてるだろ」
男の質問に他の職人たちが確かにと頷く中、マルティナはすぐに答えを口にした。
「仰るとおり、月はたくさんの国で使われています。それこそ貴族家の紋章から宗教でも。ただ国の紋章として使っているのが、一国だけなんです。したがって避けた方が無難かと」
「そういうことか……」
「あっ、それなら三日月じゃなくて、例えば満月から少し欠けた月の形はどうなんだ? 月の意匠って全部三日月だろ」
別の若い職人が何気なく口にした提案に、マルティナは真剣に考え込む。
(確かに三日月以外の月の形は、意匠としてほとんど見ないかもしれない。いくつか思い浮かぶのは、商会が掲げる紋章ぐらいだ)
「ありかもしれません」
マルティナからの肯定に、職人たちは湧き立った。
「おおっ」
「やっと許可が下りたぜ」
「一歩前進だな」
「ただ、今からの製作は可能でしょうか? 一日と少ししか時間はありませんが」
喜ぶ職人たちにマルティナが問いかけると、皆がほぼ迷わずに頷いた。
「そこは問題ない。丸い形なんてどこにでもあるから、それを削るだけだ」
「そうだな、できるだろ。月の意匠なら黒い宝石を散りばめれば、それと綺麗に合いそうだな」
「確かにそうだな。月はできれば銀がいい。中心のやつは金だっただろ」
「ああ、そこは上手く合わせたいな」
一つが決まると他の部分も決まるようで、職人たちの中では馬車デザインの全容が決まり始めたようだ。そんな流れにマルティナとナディアは安堵して、笑みを向け合う。
それからもしばらく職人からの質問にマルティナが答え、二人は一度王宮へと戻ることになった。
「では何かありましたら、すぐ王宮に知らせてください。こちらの工房に連絡のための官吏を派遣しますので」
「分かったぜ。任せとけ」
「また使える飾りが見つかった時にはこちらまで運ぶわ」
「了解だ」
王宮に戻る二人が何気なく空を見上げると、これからへの希望を表すかのように、澄んだ青空が広がっていた。
それから二日間。マルティナたちは必死に王宮内を歩き回り、何度も工房に顔を出し、パレードのために奔走した。
その甲斐あって、ハルカが乗るパレード用の馬車は完成だ。
「とても素敵な仕上がりだわ」
王宮に運ばれた馬車を見上げ、ナディアが素直な感想を溢した。それにマルティナも心から同意をする。
「本当に綺麗。ハルカにピッタリだし、どの国への所属も示してないよ」
馬車を見て一番目立つのは、やはり一代前の王妃殿下が作らせたという大きな花の意匠だ。金を基調としていくつもの宝石が散りばめられた花はとても豪華で存在感がある。
そんな飾りの周囲には綺麗な黒の宝石がたくさん散りばめられおり、さらに月を表す飾りといくつかの花、そして孤高に飛ぶ鳥が付けられていた。
「職人の腕はやはり凄いな」
「本当だな。ただマルティナの知識があってこそだ。よくやったな」
ロランの褒め言葉に、マルティナの頬は緩む。
「ありがとうございます。ただ皆で協力したからこそです。……間に合って良かったですね」
しみじみと告げたマルティナに、皆も同意を示した。
「本当に良かったわ」
「本当だな」
「……まあ、私は元から問題ないと思っていた」
シルヴァンが発した素直じゃない言葉に、ロランがニヤニヤとした笑みを向ける。
「それはマルティナがいたからか?」
「シルヴァンは最近、マルティナを頼りにしているものね」
ナディアにも追い打ちをかけられ、シルヴァンの耳は一気に真っ赤だ。
「なっ……そ、そうではない! 私は自分の実力を信じていただけだ!」
「そうかそうか、そうだなぁ」
「シルヴァンさんは、とても仕事が正確で早いですもんね」
生暖かい眼差しのロランと違って純粋な瞳でそう告げたマルティナに、シルヴァンは罪悪感を覚えたのか「うっ」と呻くと、少し視線を逸らし小さな声を発した。
「……それはマルティナ、お前だろう。今回は助かった」
珍しいシルヴァンの素直なお礼に、マルティナは笑顔になる。
「はい!」
そうして四人が話をしているところに、遠くから声が掛かった。
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