第59話 日本語と明日からの話
五人と距離を縮めて笑みを浮かべていたハルカは、ふと何かに気づいたように瞬きをし、未だ生徒手帳の中をじっと見つめているマルティナに問いかけた。
「そういえば、何でわたしはこの世界の言葉を喋れるんだろう」
「それは召喚の魔法陣に組み込んだからだと思う。リール語っていうこの大陸で一番使われる言葉を、成功すれば母国語みたいに話せるようになるって内容だったけど、無事に成功したみたいだね」
「へぇ〜、魔法陣って凄いんだね」
そう呟いてからしばらく難しい表情で考え込んでいたハルカが、突然意味不明な言葉を話した。
『ねぇ、これってどんなふうに聞こえてる?』
突然発された理解できない言葉に五人は顔を上げ、すぐその理由に気づいたマルティナが興奮の面持ちで問いかけた。
「もしかして、異界の言葉?」
「ちゃんと話せてたんだ。意識すれば日本語でも話せるみたいだね。あっ、日本語っていうのがわたしのいた国の言語だよ」
「とても興味深い音だったよ。もう少し話してくれないかい?」
日本語を覚えれば手に持つ生徒手帳が読めるようになると興奮しているマルティナと同じように、外交官であるソフィアンも初めて触れる言語に身を乗り出した。
『もちろんです。日本語ってこの世界だとどんなふうに聞こえるんでしょうか。似てる言語はあったりしますか?』
「凄い、全く分からないよ」
そう言いながらも、ソフィアンの表情は明るい。
「今のは何て言ったのか、教えてもらえるかな」
「もちろんです……って、最初に言ったのはそのままこの言葉ですね。そして次が――」
それからハルカが日本語の解説をして、それを真剣に聞いていたマルティナが身を乗り出した。
「ハルカ、もっとたくさん教えてくれない? いくつもの文を教えてもらえば、結構話せるようになると思うんだ。それからこの小さな本を読みたいから、できれば読み書きも」
「もちろん教えるのはいいんだけど……かなり難しいと思うよ。日本語は結構複雑だから」
「そうなんだ。でも多分大丈夫だと思う。私、記憶力には自信があるから」
さらっと言ったマルティナの言葉をハルカが軽く流そうとしているのを見て、シルヴァンが口を挟んだ。
「ハルカ、こいつの記憶力は自信があるどころじゃない。人智を超えた完全記憶能力だ。したがって日本語という言語も、すぐに覚えるだろう」
「マルティナは読んだ本を一言一句覚えられるんだ」
「さらに記憶した情報を取り出す才能にも溢れているわ」
次々とマルティナの能力を持ち上げるような言葉が出てきて、ハルカは半信半疑の様子ながらも頷いた。そしてさっそく日本語を教えるために、よく使う例文や簡単な文法などを口にする。
ハルカによる日本語講座がしばらく続き、ハルカが一息つくために説明を中断したところで、マルティナが真剣な表情で口を開いた。
『私、日本語、はなす……できてる?』
『え、何で話せるの!?』
『まだ分からない言葉、いっぱいある、けど、教えてもらった言葉で』
『凄い……マルティナ凄いよ! え、この世界の人って皆こうなの?』
「ごめん。いくつか分からない単語が」
マルティナがリール語で解説を求めると、ハルカは興奮しながらさらに日本語の説明を続けた。そして一度教えたことは絶対に忘れないという、マルティナの特異な能力を完全に理解する。
「マルティナ、凄すぎるよ……他の皆さんはここまでの記憶力はないんですよね?」
「ああ、こいつだけ特殊なんだ。俺も最初はかなり驚いた」
ロランが苦笑を浮かべつつ告げた言葉に、ハルカは呆然とマルティナを見つめた。しかし次第に頬を紅潮させると、マルティナの手をガシッと掴んだ。
「ねぇマルティナ、もし嫌じゃなければ日本語を完璧に覚えてくれない? 日本に帰れた時に日本語を忘れてるのも嫌だし、たまには誰かと日本語でも会話したいなって」
「もちろんいいよ。私からお願いしたいぐらいだよ」
「本当? じゃあ日本語を頑張って教えるね」
「ありがとう。よろしくね」
そうして二人が約束を交わしたところで、時計を確認したソフィアンが口を開いた。
「ハルカ、そろそろ結構な時間が過ぎているし、重要な話に移っても構わないかな。この世界のことを教えるというのは、また次回になってしまうけれど」
「あっ、もうそんなに時間が経ったのですね。もちろん構いません。わたしに何かお話があるのでしょうか」
その問いかけにソフィアンは居住まいを正すと、表情を真剣なものに変える。
「まず明日の予定から話したい。明日は各国の代表者たちが集まり会議が開かれるけど、そこにハルカも出席してもらう。ハルカにはその場で瘴気溜まり消滅への協力を要請することになるから、受け入れてくれると嬉しい」
「分かりました。受け入れます」
ハルカも居住まいを正してしっかりと頷いた。そんなハルカにソフィアンは少しだけ表情を緩め、話を続ける。
「ありがとう。その後はどうなるのか分からないけど、そのままハルカの今後の話に移るかもしれない。その場合には我慢せず要望を伝えてくれて構わないよ」
「分かりました。……あの、わたしってラクサリア王国の聖女ってことになるのですか?」
「ああ、そういえばその辺りを説明していなかったね。まず聖女召喚は、この大陸にある国が協力して行った。したがってハルカは一国に属するという形ではなく、この大陸全土の聖女という形になる。しかし全ての国が聖女への権限を有していては何かと面倒だからね、聖女召喚への貢献度が高い国から順に数ヵ国がハルカの世話をする形に決まっている」
これは聖女召喚を行う前に会議で定めていたことだ。誰もが聖女への権限を持ちたくて議論は紛糾したが、最終的には貢献度順というところに落ち着いた。
ラクサリア王国は聖女召喚の復活を主導している国であり、マルティナの存在も大きく、貢献度は一位だ。
「ラクサリア王国も数ヵ国の中に入っているから、安心してほしい。ハルカには私が側近的な立場で付き、他にメイドと護衛も付く予定となっている」
「そうなのですね。皆さんが付いてくださるのなら安心です。ソフィアンさん、これからよろしくお願いします」
ハルカが力の抜けた笑みを浮かべているのを見て、マルティナたちは安心した。しかしハルカ自身にも危険を正しく認識してもらおうと、マルティナは各国の立場も話すことに決めた。
「ハルカ、ここからの話は気分がいいものじゃないと思うんだけど聞いてほしい」
それからマルティナが、ハルカを無理やり従わせれば良いと考えている国、懐柔を考えている国など、それぞれの国の反応を全て話すと、ハルカは真剣な表情で拳を握りしめた。
「教えてくれて、ありがとう。今の段階で知れたことは良かったけど、ちょっと怖いね……」
本音を溢したハルカに、ソフィアンが告げる。
「ハルカのことは我が国が責任を持って守るので、安心してほしい。ただ全く怖い思いをせずに瘴気溜まりを消滅して回るのは、難しいと思う。そこは申し訳ないけれど、覚悟してくれるとありがたいな」
危険があることを隠さず伝えたソフィアンに、ハルカは信頼の眼差しを向けた。
「――分かりました。よろしくお願いいたします」
それからは明日の会議について詳細を詰め、マルティナたちはハルカの客室を後にする。五人の表情は部屋に入った時と比べて、晴れやかなものになっていた。
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