第57話 聖女の気持ち

 客室に入ると、その様子が昨日と少し変わっていた。向かい合わせで置かれた二人掛けのソファーが二つしかなかったところに、二人掛け用のソファーがさらに二つ運び込まれているのだ。


 たくさんのソファーを何に使うのだろうか。マルティナが疑問に思っていると、ハルカはマルティナたち五人にソファーを示した。


「どうぞ座ってください。昨日はマルティナさん以外を立たせたままにしてしまって、さらに取り乱して叫んで泣いて……本当にすみませんでした」


 ハルカが立ったまま頭を下げたのを見て、マルティナは慌てて声を掛ける。


「頭を上げてください。謝罪をしなければいけないのは、こちらですから」

「いえ、マルティナさんからの謝罪は、昨日たくさんいただきました。もう十分です」

「しかし……」

「とりあえず、座りませんか? ソファーを準備してもらったので」


 柔らかい笑みを浮かべたハルカがそう言ったことで、マルティナたちはハルカの好意的な態度にまだ困惑しつつも、ソファーに腰掛けた。


「では、失礼します」


 それから全員でソファーに腰掛けて、まず口を開いたのはハルカだ。


「改めて昨日はすみませんでした。とにかく混乱していて、目の前にいたマルティナさんに酷く当たってしまいました」

「いえ、突然見知らぬ場所に連れて来られたら、当然だと思います」


(私がハルカさんの立場だと考えたら同じように、いやそれ以上に取り乱すと思う)


「そう言っていただけて良かったです。それで……昨日あれから一人になって、色々と考えました。まずはわたしの考えを聞いてもらえますか?」

「もちろんです。なんでも聞きます」


 マルティナがすぐに頷くと、ハルカは何から話そうかと少し悩む様子を見せてから、ゆっくりと口を開いた。


「まず、昨日マルティナさんは、わたしが帰れる方法を探るって言ってくれましたよね。それはすぐに見つかるものでしょうか」

「……いえ、すぐには難しいです。ハルカさんを召喚した魔法陣を元に帰還の魔法陣を作り出そうと考えているのですが、いつ完成するのかは明確にお伝えできません」


 マルティナが眉を下げながら、しかしはっきりと事実を告げると、ハルカは少しだけ瞳を見開いた。


「帰還の魔法陣、そんなものを作れるのですね」

「必ずとは言えないのですが」

「何事にも必ずはありませんから、そこは分かっています。ただ作り出そうとしてもらえるのなら、少し安心できます。ありがとうございます」


 胸に手を当てて微笑むハルカに、マルティナは困惑が隠せなかった。ハルカは突然召喚された辛さや悲しさ、怒りをもう乗り越えたのだろうか。

 そう考えて、そんなことはさすがにありえないと打ち消す。


(誰も味方がいないこの世界で、自分を守るために笑顔でいるのかな。もしそうなら、それはとても辛いことだと思う)


「では、わたしはしばらくこの世界に滞在することになりますよね」


 マルティナの思考をよそに、ハルカの話は続いていた。


「そうなります」

「それならば――わたしは聖女として、この世界を助けたいです」

「え」


 ハルカの辛さに思考が向いていたマルティナは、信じられないハルカの言葉を聞いて固まった。他のことに頭が回らなくなり、ハルカの言葉を何度も反芻する。


 しかし何度思い返しても、聞いたはずの言葉は変わらなかった。


「この世界を助けてくださると、そう言いましたか?」

「はい、そうです」


 確認にハルカが頷いたところで、マルティナの思考は再開する。そして先ほどまで考えていた懸念と合わさり、ハルカが無理をしているんじゃないかという結論に至った。


(私たちが頼み込むまでもなく、ハルカさんは自分の現状の危うさに気づいたのかな……)

 

 マルティナは心から申し訳なくなり、すぐに言葉を返せなかった。ハルカが自ら協力してくれるのであれば、無理やり従わされる可能性は減り、断り続ける場合よりもハルカの待遇が良くなることは確実だろう。

 

 しかしハルカ個人の望みでないことは明白で、マルティナは無理をしなくても良いと、そう言えない自分の立場に、爪が食い込むほど拳を握りしめた。

 

 するとそれに気づいたのか、ハルカがマルティナを気遣うようにして口を開く。


「マルティナさん、そんなに辛そうな顔をしないでください。別に無理して言ってるわけじゃないんです。いや、少しは打算というか、協力したほうが待遇が良くなるかなという考えもあるんですけど……そうじゃなくて」

 

 ハルカはそこで言葉を切り、顔を上げたマルティナに笑いかけてから話を続けた。


「この世界を助けたいというのは、本音です。しばらくこの世界にいなければいけないのなら、そしてわたしに皆さんを救える力があるのなら、救いたいです。正直突然召喚されたことに思うところはありますけど……この世界の状況を聞いた今は、仕方がないかなとも思ってます。多分わたしのいた世界で同じ状況になったら、悩まずに召喚してると思いますし」

 

 そう言って笑ったハルカはとても強く、美しかった。

 そんなハルカにマルティナは胸がいっぱいになり、何も言葉にできない。


 そうしていると、ソフィアンが頭を下げた。王子らしい優雅な仕草だが頭の位置は低く、深い感謝が感じられる声音で告げる。


「ありがとうございます。ラクサリア王国、いえ、この世界を代表して感謝を伝えさせてください。聖女様のお慈悲に感謝いたします」

「そんな、大袈裟です。昨日も言いましたけど、わたしはただの学生ですから。――でも感謝を受け取りますね。わたしがたくさんの人の役に立てるのは、素直に嬉しいんです」


 そう言ったハルカは何かを懐かしむような表情で、ゆっくりと口を開いた。


「実はわたし、幼少期に両親を事故で亡くしていて、この歳までたくさんの人たちに助けられて生きてきました。その中でも一番感謝している養護施設の施設長が、将来余裕ができたら困ってる人を助けなさい。それがわたしたちへの一番の恩返しよって口癖のように言っていて、今回それを思い出したんです」


 ハルカは大切な思い出に触れるよう、そっと自分の胸に手を当てる。


「異世界の人々を助けるだなんて予想していた形とは全然違いましたが、恩返しができることを嬉しく思っています」


 ハルカが語った生い立ちとその考え方に、マルティナは感動した。昨日とは違う意味で泣きそうになり、目元に力を入れる。


(ハルカさんは強くて心が綺麗で、本当に素敵な人なんだ)


「ハルカさん、ありがとうございます。私もハルカさんからいただいた恩を、これからたくさん返していきます」


 マルティナの言葉にハルカは笑みを深めると、嬉しそうに頷いた。


「ありがとうございます。じゃあ、これからよろしくお願いします」


 そうしてハルカとの話は予想とは真逆の方向に向かい、客室には穏やかな空気が満ちた。

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