第53話 聖女とは何者か

「あの、帰れないなんてこと、ありませんよね?」


 ハルカからのその問いかけにマルティナはそっと深呼吸をしてから、深く深く頭を下げた。


「申し訳ありません……ハルカさんを元いた世界に戻す方法は、今のところありません」

「な、ないって……そんなの嘘ですよね! 嘘って言ってください!」


 マルティナの言葉を聞いて少しだけ固まったハルカは、勢いよくソファから立ち上がって身を乗り出すと、マルティナの肩を強く掴んだ。そして必死の形相で言葉を紡ぐ。


「突然召喚して帰せないなんて、そんなの酷いです! お願いです、帰してください。帰りたいんです。本当は帰る方法もありますよね? お願いします、あるって言ってください……!」


 あまりの勢いに気圧されて固まっていたマルティナは、ハルカの瞳から涙が溢れたのを見て、ハッと我に返ると改めて頭を下げた。


「本当に、申し訳ありません……っ。ハルカさんを帰す方法は、今のところなくて」

「そんな、そんなことって……」


 一気に勢いをなくしたハルカはストンとソファーに力なく戻ると、両手で顔を覆って静かに涙を流す。


 そんなハルカを前にしたマルティナは、自らの瞳にも涙が浮かんできたのを感じ、必死に唇を噛み締めて我慢した。


(私が一人の女性を、目の前にいるハルカさんの人生を、無茶苦茶にしたんだ)


 意図してハルカを追い込んだのではないにしろ、結果的にハルカを追いやった張本人は自分であるという事実に、マルティナは胸がギュッと痛むのを感じた。


 しかし、ここで自分が泣くのは許されない。そう思って必死に耐える。


「本当に……っ、本当にごめんなさい。勝手に召喚して日常から切り離して、帰すこともできないなんて、酷いですよね……」


 マルティナが涙を堪えながら改めて謝罪をすると、ハルカは僅かに震えが混じったその声音に気付いたのか、ハッと顔を上げた。

 しばらくマルティナのことをじっと見つめ、視線を下げてから静かな声で告げる。


「すみません……少しだけ一人にしてもらえませんか。頭が混乱していて。マルティナさんを責めてしまって、ごめんなさい」

「そんなことっ!」


 ハルカの謝罪にマルティナも顔を上げ、何度も首を横に振った。


「悪いのはこちらです。……どうにかハルカさんが元の世界に戻れないか、考えてみます。しばらくはこちらの部屋でゆっくりとお休みください」


 その言葉にハルカは視線を下げたまま頷き、マルティナは深い後悔を抱えながら立ち上がる。そして客室の入り口にいたロラン、ナディア、シルヴァン、そしていつの間にか来ていたソフィアンと視線を交わし、共に客室を後にした。



 ハルカの客室を出てからしばらく無言で歩いていたマルティナは、気持ちを切り替えるように無理矢理にでも笑顔を作り、四人を振り返った。


「皆さん、これからどうするのか話し合いませんか」


 その提案に四人はすぐに頷き、近くの空いていた会議室に入る。全員が腰掛けたところで、まず口を開いたのはソフィアンだ。


「正直、全く予想していなかった展開だね……聖女召喚には成功したけれど、聖女に帰りたいと泣かれるとは」

「召喚される聖女の気持ちに思い至れなかったのが、本当に悔やまれます」


 マルティナが深い後悔を滲ませてそう呟くと、シルヴァンが眉間に皺を寄せて口を開いた。


「しかし召喚前にこの事態が想定できていたとしても、召喚をしないという選択肢はないだろう? 他に瘴気溜まりへの対抗策がないのだから」


 現実的なシルヴァンの意見に、会議室内には沈黙が満ちる。そんな中でさらにシルヴァンは言葉を紡いだ。


「そもそも、この事態を想定することが不可能だ。誰もが聖女をどこか特別な存在だと思っていたのだから。様々な文献から浮かび上がってきた聖女像も曖昧であったし、私は神々しい光を放ちながら空を飛んで瘴気溜まりを消滅していく女神のような、そんなイメージを持っていた」


 シルヴァンの言葉を聞いて、聖女と話してからずっと暗い表情だったマルティナが、少しだけ自然な笑みを取り戻した。


「シルヴァンさん、意外と可愛らしい想像をするのですね」


 思わずと言ったようにマルティナの口から溢れた感想に、シルヴァンは一気に顔を赤くする。


「なっ……だ、誰もがそうであっただろう!」


 シルヴァンが慌てて叫ぶと、ナディアが口角を上げながら口を開いた。


「あら、わたくしは空を飛ぶ女神様なんて、子供が好む物語に出てくるような存在を想像したことはなかったわ。ただ聖女様は、自ら進んで瘴気溜まりを消滅してくださると思っていたけれど」

「なっ……」


 ナディアの言葉にシルヴァンがさらに顔を赤くするなか、ロランがナディアの言葉に同意を示す。さらにソフィアンも自らの内にあったイメージと、実際の聖女であるハルカとの相違を口にした。


「俺もそうだ。まさか聖女が良くも悪くも普通の人間だなんてな……俺たちで決めた瘴気溜まり消滅の順番を覆されたらどうするかとか、今思えば意味ないことばっかり考えてたぜ」

「異界という場所が私たちの住むこの世界と似た場所というのも、大きな驚きだったね。神々が座すような特別な場所なのかと」


 四人はそこまで話をすると、気遣うような視線をマルティナに向ける。そして隣に座っていたロランが、マルティナの顔を覗き込むようにして告げた。


「だからマルティナ、お前だけが気に病む必要はない。これは全員の罪だろ?」

「ロランさん……、皆さんも……っ」


 マルティナの瞳から堪えていた涙が溢れると、ロランは優しく頭に手を乗せた。するとマルティナの逆隣に座っていたナディアが、ロランを責めるようにマルティナを引き寄せる。


「マルティナを泣かせないでくださる? ほらマルティナ、大丈夫よ。泣いたら可愛い顔が台無しじゃない」

「うぅ……ナディア……っ、」


 ナディアはハンカチを取り出すと、ボロボロと溢れているマルティナの涙を拭った。ロランはそんなナディアに少し不満げな表情で告げる。


「ちょっ、お前なぁ。これは俺のせいじゃねぇだろ?」


 皆はマルティナの沈んだ気持ちを持ち上げようと、努めて明るくいつも通りに振舞ってくれているのだろう。そう思ったらその優しさにさらに泣けてきて、マルティナはしばらく涙を流し続けた。


「ナディア、ありがとうっ。ロランさん、シルヴァンさん、ソフィアン様も……っ」


 泣きながら感謝を口にしたマルティナに四人は優しい表情を浮かべ、マルティナはしばらくして涙が止まったところで、恥ずかしさに頬を赤らめた。


 ナディアから体を離して椅子に座り直すと、四人の顔を順に見回す。


「あの、お見苦しいところをお見せしてしまい、すみませんでした」


(もう子供じゃないのに、あんなに号泣しちゃうだなんて恥ずかしすぎる)


 羞恥に体を小さくしていると、そんなマルティナの背中をロランが軽く叩いた。


「今回は俺らのせいでもあるからな。気にするな」

「そうよ。聖女様との会話を、マルティナ一人に任せてしまってごめんなさい」

「マルティナは一人で仕事を抱え込む癖がある。もっと私たちを頼ることを覚えるべきだな」

「これからのことは、一緒に考えていこう」


 ロランに続いてナディア、シルヴァン、ソフィアンから言葉をかけられ、マルティナの顔には自然な笑顔が浮かんだ。


「はい。ありがとうございます」

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