第42話 仲間との時間と悪意

 会議終了から一時間後、片付けや掃除をする使用人が数人いるだけとなった会場に、マルティナはまだ魔法陣と向き合い残っていた。よほど集中しているのか、周りの様子が目に入っていないようだ。


「マルティナ、やっぱりここにいたか」


 会場に入ったロランがマルティナを見つけて呆れた声音で声を掛けると、やっとマルティナの視線が上がった。


「帰ってこないから心配で迎えに来たわよ」

「本日の会場の片付けは私が担当だ。早く場所を空けてくれなくては困る」


 ナディアとシルヴァンにも声を掛けられ、マルティナは自然と頬を緩めながら体に入っていた力を抜いた。


「すみません。あと少しだと思ったら熱中しすぎてしまって。ナディア、迎えに来てくれてありがとう」

「別に良いのよ。わたくしの今日の仕事は終わったもの」

「……あれ、もうそんな時間?」

「そうよ。それは明日にすれば良いんじゃないかしら」


 その提案に少しだけ悩んだマルティナは、首を横に振って魔法陣の一部を指差した。


「ここだけあと少しだから、もう少し頑張りたいかも」

「それなら場所だけは移動しろ。王宮図書館でやった方が落ち着くだろ」

「確かに……そうですね。そうします」


 ロランの提案に素直に頷いたマルティナは、魔法陣が描かれた大きな紙を折ったりしないよう綺麗に丸めると、両腕で抱え持った。


「あっ、そういえば明日から数日は会議が休みになりました。もう聞きましたか?」


 ふと思い出したように顔を上げマルティナが三人に問いかけると、ロランが頷き口を開く。


「ああ、さっきソフィアン様が連絡してくださった」

「そうなのですね。良かったです」

「それよりも後はマルティナ次第だって聞いたが、大丈夫なのか?」

「そうですね……何とかなると思うのですが、まだ不安要素もあります。少し情報が足りない気がして」


 眉を下げて発されたマルティナの表情を見て、シルヴァンがふんっと鼻を鳴らしながらマルティナを近くから見下ろした。


「自分だけが凄いだなんて思わないことだな。お前にできなくても、他の者にはできることもある。お前は記憶することに関しては確かに天才だが、閃きや新しい気づきについてはもっと優れたやつもいる」


 一見するとマルティナのことを下げるような言葉だが、シルヴァンと付き合いの長い皆にはこの言葉がマルティナを励まそうと、そして少しでもプレッシャーを減らそうと思って発された言葉だと分かり、頬を緩めた。


「はい。難しければ皆さんを頼らせていただきます。では私、王宮図書館に行きますね」

「マルティナ、わたくしも行くわ。終わったら寮に戻って一緒に夕食を食べましょう?」

「うん! ではロランさんとシルヴァンさん、また後で」


 そうして会場を出たマルティナとナディアは、王宮図書館に向かって二人で歩みを進めていたが、途中で会議に参加している他国の人間が、廊下で右往左往しているのを発見した。


「ナディア、あの人迷ってるんじゃない?」

「そうかもしれないわね。あの服装は……ガザル王国の方かしら。私が声を掛けてくるわ。マルティナは荷物を持っているし、先に王宮図書館へ向かってちょうだい。私も後から追いかけるから」

「分かった。じゃあ対処をお願いね」

「ええ、任せておいて」


 マルティナとナディアが軽く挨拶をして、ナディアは迷っている様子の男性の下へ、そしてマルティナは王宮図書館に向かった。

 日が沈み始めた時間帯の廊下は場所によっては薄暗く、何だか不気味な雰囲気が漂っていた。




 ♢ ♢ ♢




 少しだけ時は遡り、マルティナがまだ会場で魔法陣を穴が開くほど見つめていた頃。

 ガザル王国の代表団に割り当てられた客室で、ガザル王国第三王子であるアディティア・ガザルは、二人の付き人である男たちと共に何かを企むような笑みを浮かべていた。


「お前たち、作戦を決行するなら今だ」

「そうですね。今マルティナを攫えば、殿下が聖女を独占できます」


 付き人のその言葉にガザルは楽しそうに口端をあげると、興奮を抑えきれないのか拳をキツく握りしめた。


「これで、これで俺が国王になる道も開けるぞ……! 今まで俺を見下してきたやつらの絶望の顔が楽しみだ!」

「殿下、我らのことは……」

「お前たちのような忠臣は、もちろん国の中枢まで昇格させよう。私の側近でも良いな」

「ありがとうございます……!」

「聖女を握っていれば、どの国もガザル王国に手は出せまい。ふははは、ふははははは、この大陸が私のものになったようなものではないか!」


 ガザルは高笑いをしながらソファーから立ち上がると、厳しい目つきで付き人の男たちを見下ろした。


「お前たち、絶対に失敗は許されないぞ」

「……わ、分かっております。しかし我らには転移魔法陣があるのです。あれがあれば確実に成功します」

「そうだったな。まさか王宮の書庫からあのようなものが出てくるとは……僥倖だった。神が私に世界を支配しろと言っているのだ!」

「はい。殿下の下にあの魔法陣が来たのもお導きでしょう」

「他国の代表たちは馬鹿ばかりですな。貴重な情報をあんなにも簡単に明かし……貴重な情報は殿下のように使わなければ」


 付き人の持ち上げに気をよくしたガザルは、付き人二人に向けて楽しげな笑みを向けた。


「ではお前たち、マルティナを攫って国に帰るぞ。転移魔法陣の行き先は馬車の中に設置してあるんだったな」

「はい。遠距離転移は難しいと書かれていましたので、この街の周辺にある森の中に隠してある馬車です。こちらに持ち込んである魔法陣は私が肌身離さず持っております」

「マルティナを攫った後はどこで合流にいたしましょう」


 それからガザルと付き人である二人の男は、今までのマルティナの行動を監視していた情報から、この先のマルティナの動きを予測し、何通りかの計画を立てた。


 マルティナが一人の時はそのまま攫って人気のない倉庫で落ち合う、誰かと共にいる場合は引き離してから攫い、落ち合う場所は同じだ。


「では私は先に倉庫にいる。お前たちはマルティナを攫ってから来い」

「かしこまりました」


 顔を見合わせて頷きあう男たちの表情は、悪意に歪んでいた。

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