第6話 優しい上司と同期

 寮に戻ると夕食の時間が終わりに差し掛かっていて、寮の食堂は人もまばらだった。


「あの! 今からでも食べられますか?」

「まだ時間内だから大丈夫よ」


 食堂のカウンターの中にいる優しげな女性がマルティナに対応し、すぐに今夜のメニューを手渡してくれる。

 マルティナが住む官吏専用の独身寮は、朝ご飯と夜ご飯が無料で食べられるのだ。ちなみにお昼ご飯は、王宮の食堂に行けば無料で食べられる。


「ありがとうございます」


 食事を受け取って空いている席に腰掛け、美味しい食事に頬を緩めていると……マルティナの前の席に一人の男性が腰掛けた。

 シャワーを浴びたところなのか、濡れた髪をタオルで拭いながら緩い部屋着を着ている。


「ロランさん、どうされたんですか?」

「どうされたんですか? じゃねぇよ! 初日からお前が夕食を食いっぱぐれるんじゃないかと思って、こっちは心配してたんだからな!」

「……それは、本当にすみません。王宮図書館で本を読んでいたら、いつの間にか閉館時間で」


 マルティナのその言葉にロランは「はぁ……」と深く息を吐き出し、テーブルに両腕を乗せた。


「勤務時間外に何してても自由だけどよ、もう少し早く帰ってこいよな。暗い中で女一人は危ないし、お前は王宮の中では珍しい平民なんだから」


 ――ロランさん、心配してくれてるのかな。一見近寄りがたく見えるけど凄く優しい人だよね。


「ありがとうございます。明日からは気をつけます」

「そうしろよ。――それで、何か嫌なことでもあったのか?」

「……え、何でですか?」

「本を読んで来たにしては、楽しそうな表情に見えなかったからな。昼間はもっと瞳が輝いてたぞ」


 マルティナはロランのその言葉に、カトラリーを置いて両手で頬を触る。


「そんなに違いますか?」

「お前は分かりやすいからな。仕事中に書類を読んでる時にあまりにもお前が楽しそうだから、何の仕事をさせてるんだって他の官吏に聞かれたぞ」


 他の人から見ても楽しそうだと分かる表情をしているという事実に、マルティナは恥ずかしいのか頬を少し赤らめた。


「それで、そんなお前が王宮図書館で好きな本を読んできたにしては、楽しそうじゃないのはなんでだ?」

「えっとですね……」


 顔を覗き込んでくるロランに、なんて答えれば良いのかマルティナは戸惑う。さっきのことを伝えたら、シルヴァンのことを告げ口するようになることを気にしているのだ。

 そんなマルティナの様子を見て、ロランは顔を近づけて周囲には聞こえない声音で問いかけた。


「もしかして、シルヴァンか?」


 ロランのその言葉を聞いた瞬間に、マルティナはガバッと顔を上げて瞳を見開く。


「ははっ、お前そんなんじゃバレバレだぞ」

「あっ……あの、なんで分かったんですか?」

「ちょうど近くの席で夕食を食べててな、あいつがこれから大臣補佐官をやってる兄貴のところに行くって話をしてたから、もしかしたらすれ違って嫌味でも言われたのかと思ったんだ」


 シルヴァンの兄が大臣補佐官であるという事実と、その少ない情報だけで何が起きたのか予想しているロランの洞察力にマルティナは驚き、隠してもしょうがないと思ったのか体の力を抜いて口を開いた。


「王宮図書館から出たところの廊下でぶつかってしまって、業務時間外はシルヴァン様と呼んで身分相応の態度をと言われたんです。身分が違うのは事実ですが、同期とは仲良くなりたいなと漠然と思っていたので、少し悲しいというか……」


 マルティナが心の内を正直に明かすと、ロランは優しい表情でマルティナの頭を軽く撫でた。


「そうか、これは難しい問題だよなぁ。貴族至上主義を掲げる家はまだいくつもある。平民であるマルティナが平穏に過ごしていきたいなら、その家のやつらとは距離を取るのが正解だな」

「そうですよね……悲しいですが、受け入れようと思います。幸いナディアさんは仲良くしてくれそうでしたので、積極的に話しかけてみます!」


 拳を握りしめて宣言したマルティナに、ロランは安心したのか頬を緩める。


「頑張れよ。何かあったら俺がいつでも話は聞くし、助けてやれることも……まあ俺も子爵家の生まれだから微妙なんだけど、あるかもしれないからな」

「はい。ロランさん、本当にありがとうございます。ロランさんが私の上司で良かったです」

「おっ、それ嬉しいな。俺は直属の部下を持つのってお前が初めてなんだよ」


 人差し指で頬を掻きながらそう言ったロランは、照れているのか耳の先が赤くなっている。


 それからはなんだか微妙な空気になって、無言のままマルティナが食事を食べ勧めていると……そんな二人の空気に割って入る人物がいた。


「あっ、マルティナ! やっと見つけたわ。今までどこに行っていたの? ずっと探していたのよ」


 ナディアだ。ナディアはまだ官吏服姿のままで、バッチリと化粧もしている。


「ナディア、探してくれてたの……?」

「そうよ。一緒にお夕食を食べようかと思っていたの。せっかく同期になったのだから、交流したいでしょう? それに満点の秘訣も教えてもらおうと思っていたわ」

「そうだったんだ。ごめんね……実は王宮図書館に行ってて」

「それならば、わたくしのことも誘ってくだされば良かったのに」


 唇を尖らせて拗ねた様子のナディアを見て、マルティナは心からの笑みを見せた。


「次は誘うね。毎日仕事終わりには行こうと思ってるんだけど……」

「では明日は一緒に向かいましょう」

「もちろん!」

「じゃあマルティナ、俺は部屋に戻るな。ナディア嬢も失礼いたします」


 二人のやりとりを見てホッとしたような表情を浮かべていたロランは、椅子から立ち上がりナディアに向かって綺麗な礼をした。


「あら、さっきまでと態度が違うのね」

「今は勤務時間外ですから。令嬢には相応の態度が必要です」

「わたくしに対して気にする必要はないわ。伯爵家の三女なんて何の権力もないし、あなたとも仲良くなりたいと思っていたの。これからは共に仕事をする仲間でしょう?」

「……そうか? じゃあ普通にするな」


 ロランはナディアに対する態度をすぐに切り替えて、手をひらひらと振りながら食堂を出て行った。そんなロランのことを、ナディアは少し呆れたような視線で見つめる。


「器用な人ね」

「あの……ナディアって伯爵家の人だったの?」


 マルティナはロランのことよりもナディアの実家のことが気になって、緊張の面持ちで口を開いた。するとナディアはすぐに頷いたけれど、気にしないでと笑みを浮かべる。


「わたくしは貴族とか平民とか、あまり気にせず仲良くしたい人と仲良くするわ」

「そっか、それなら良かった」

「ええ、気にしないでくれるとありがたいわ。ただわたくしの実家は、特にお父様は凄く古臭い人なの。平民を差別するだけじゃ飽き足らず、女なんて学ぶ必要はない、男に嫁ぐことが一番の幸せだろう。って真顔で言える人なのよ。時代遅れでしょう? このままだと馬鹿で尊敬できない男に嫁がされそうになったから、家出同然で官吏登用試験を受けたわ。性別で決めるなんて馬鹿馬鹿しいし、身分でその人の価値を決めるのはもっと馬鹿らしいもの。だってあのお父様が伯爵なのよ? マルティナの方が何倍も優秀なのに」


 ナディアはよほど実家への不満を溜め込んでいるのか、饒舌に語っている。そんなナディアの様子にマルティナは呆気にとられた表情だ。


「確かに……学べることは幸せだよね」


 伯爵の娘本人が実家への不満を口にすることは問題ないとしても、それに平民のマルティナが同調したらさすがに現代でも問題になるかもしれない。でも友達のナディアの気持ちにも寄り添いたい……そんな気持ちで色々と考えた結果、マルティナの口から出て来たのは簡潔な言葉だった。


 しかしナディアはそれで満足したのか、マルティナの言葉に大きく頷いている。


「そうなのよ。わたくしも学ぶことは素晴らしいと思っているわ。それをお父様は――あっ、ごめんなさい。こんな話を聞いても困るわよね」

「いや、あの、嫌ではないよ。でも私の立場だと何も言えないというか……」

「そうよね。ごめんなさい」

「ううん、気にしないで。話を聞くだけならいつでもできるよ。――ナディアは連れ戻されたりはしないよね?」


 実家との関係性を聞いて不安に思ったマルティナの質問に、ナディアはにんまりと楽しそうな表情を浮かべて頷いた。


「もちろんよ。官吏は国に所属していることになるから、お父様でも容易に手出しはできないわ。それに近年は家よりも個人が尊重される世の中になったもの」

「そっか、それなら良かったよ。ナディアとはずっと一緒に働きたいから」

「マルティナ……!」


 それから二人は食事を食べ終わっても何気ない雑談に花を咲かせ、心の距離を一気に縮めて仲を深めた。


「ではマルティナ、また明日会いましょう」

「うん! ナディア、おやすみ」

「おやすみなさい」


 それぞれに部屋に戻った二人の表情は、晴れやかな笑顔だった。

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