第5話 図書館と身分
初日の仕事が終わり政務部を出たマルティナは、ロランに場所を教えてもらった王宮図書館に向かっている。
王宮図書館は貴重な書物も収められているので、王宮の奥にあって政務部からは少し歩かないと辿り着けないのだ。
「どんな本があるのかな。楽しみだな」
――今日は仕事中もたくさんの新しい活字を読めて、仕事終わりに新たな本がある図書館に行けるなんて、幸せすぎる一日だよね。
王宮図書館のドアを開けて足を踏み入れると……そこには、数えきれないほどの書物が所狭しと並べられていた。室内にある本棚だけでは入り切らず、壁面にも天井に届くほどまで本棚が設置され、その本棚にも余すことなく書物が詰められている。
「……楽園だ」
思わずそう呟いたマルティナに、ゆっくりと近づいてくる男性がいた。長い髪を一つにまとめて片方の肩に流しているその人は、見惚れるほどに美しい。
「何かお探しの書物がおありですか? 新人の官吏さんでしょうか?」
「は、はい! あの、本日から政務部で働いているマルティナと申します。仕事ではなく、プライベートで本が読みたくて来たのですが……」
マルティナのその言葉に男性は優しく微笑み、マルティナを図書館の中に誘導する。
「読書好きの官吏さんとは嬉しいですね。私はここの司書を務めております、ソフィアンと申します。どのような本を好まれますか?」
「どんな本でも大好きです! 本というよりも活字が好きで、新しいことを知るのが好きなんです。物語も図鑑も伝記も、何でも読みます」
「そうでしたか、とても素敵ですね。では本日は私から、おすすめの一冊をお渡ししても良いでしょうか?」
ソフィアンのその言葉にマルティナが大きく頷くと、ソフィアンは指をくるっと動かして一冊の本を手元に引き寄せた。
「い、今のって」
「風魔法です。私は人よりも少し風魔法が得意でして、特に今のような緻密な発動を得意としております」
「凄いですね……」
「いえいえ、そこまでではございませんよ。ではマルティナさん、こちらをどうぞ」
「ありがとうございます」
マルティナに手渡された本のタイトルは、『木の棒で魔物を倒すには』
魔物の弱点が細かく説明されている一冊だ。
「読んだことがない本です! 私、平民図書館にある本は全て読破していて」
「そうでしたか。ではそちらにない本を厳選しておきますね」
「ありがとうございます」
そこからのマルティナは本の世界に入り浸った。全ての魔物がイラスト付きで解説されているその本は新たな知識の宝庫で、マルティナがまさに欲していたものだ。
周囲の声が全く耳に入らなくなるほどにのめり込み……マルティナは肩を叩かれたことで、やっと顔を上げた。目の前には眉を下げて、申し訳なさそうな表情のソフィアンがいる。
「マルティナさん、そろそろ閉館時間です」
「……え、もうそんな時間ですか!?」
「はい。もしよろしければ、また明日いらしてください。そちらは他の方に貸し出さずに取っておきますので」
「そんなご配慮までありがとうございます。仕事が長引かなければ、また明日来ます」
基本的に本は図書館からの持ち出しが禁止されているので、マルティナは続きを今すぐにでも読みたい気持ちになりながら、本を閉じて椅子から立ち上がった。
そして王宮図書館から王宮の廊下に出ると、窓の外は完全に真っ暗だ。
「……ちょっと怖いかも。早く寮に帰ろう」
そう呟いてから駆け足で廊下の角を曲がったところで、王宮図書館に向かう方向へと歩いてきていた人物に思いっきりぶつかった。
「あっ、シルヴァン……さん」
ぶつかった相手は政務部の同期である男、シルヴァン・カドゥールだ。シルヴァンは相手がマルティナだと分かると、あからさまに眉間に皺を寄せる。
「今はもう勤務時間外だろう? 私のことはシルヴァン様と呼べ」
カドゥール伯爵家は貴族至上主義を唱えている家で、貴族と平民は明確に区別するべきだと、平民は貴族を敬い両者は馴れ合うべきではないと主張している家だ。
したがってシルヴァンもその考えが強く、マルティナを同期として受け入れられていない。
「……申し訳ございません。シルヴァン様」
「ふんっ、それでいい。お前は平民なのだから、身分相応の態度を心掛けろ」
シルヴァンのその言葉にマルティナが膝をつくと、それを見てやっと溜飲を下げたのか、シルヴァンは機嫌良くその場を立ち去った。
「――平民ってだけで嫌われるのは、ちょっと悲しいね」
誰にも聞こえないその声を口の中で転がしたマルティナは、眉を下げながらシルヴァンが消えた廊下の先をじっと見つめる。
それから少しだけその場で佇んで、しかしいつまでも落ち込んではいられないと、気持ちを切り替え一歩を踏み出した。
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