第4話 飴玉と私

 ごはんに、おふろに、おふとん。

 いいないいな、人間っていいなと歌う、某昔話のアニメーションが頭に浮かぶ。

 でも実際のところ、本当にこの三つそろって、ようやく人間らしい暮らしができるのだなと思う。残飯をあさって、風呂に入らず、野ざらしの固い地面で座って過ごす日々は、自分が人間ではないのだと言われているようだった。

 それらをリチャードさんが準備してくれて、代わりにリチャードさんの仕事のお手伝いをする契約。契約破棄はリチャードさんからしかできないけれど、嫌なことには従わない自由はあるし、従わなければご飯を抜いて消滅させるぞという脅しをリチャードがすることはできない決まりになっている。

 中々に好条件なので、つい喜んでと叫んでしまったけれど、叫んだ後にはっと気が付く。


「でも、そうだ。私、この世界の文字、まだ読めないんですけど。つまり契約をする時書面で交わしたりすると読めないし、サインもできないのですが、どのようにして契約するものなのですか?」

 危ない。危ない。

 母からも契約書は面倒でも読みなさいと言われていたのだった。口頭では言っていないことが書面に書かれていたり、口で言った内容を書面では消していたりすることもあるのだからと。リチャードがそんなことを言っていないといえば、残った書面が真実となる。

 リチャードはいい人っぽいので、そんな彼を疑うのは良心の呵責がある。でもこちらから契約破棄できないのなら、ちゃんと確認した方がいい。消費者庁もなければクーリングオフ制度もここにはないのだ。


「その場限りの場合は、口頭で神に誓います。神に誓ったことは必ず行わなければ罰を受けます。そしてその場限りの時はあらかじめ、両者が誓いを遂行次第契約を破棄するようにして、僕がいつまでも相手を縛らないようにします。長期間契約する場合は神に誓う書面にあらかじめ二人で決めたことを書きます。特殊な紙を使うのでアイさんは指で署名欄に名前を書けばサインできます。文字が読めないと言われましたが、その紙に限り、見れば頭に言葉が浮かぶので読めるはずです。死霊は同じ言語を使い同じ文字が使える者とは限らないのでそういった特殊な契約書を使うんです」

 だとすると、私がしっかり読めばいいということか。やっぱりこれなら大丈夫なのでは?

 そう思いつつも、気になる点を確認する。

「あの、ちなみに短期契約では駄目なのですか? えっと、私としては毎日三食ご飯を食べて、お風呂に入って、ベッドで眠るのはすごく嬉しいのですが、リチャードさんのお願いを一個聞いたら、一日だけその生活を堪能できるとかでもいいですけど?」

 この場合は毎回口頭契約を交わすので面倒かもしれないけれど、リチャードからしか破棄できないというのがなくなるし、リチャードも何もしてない相手に払い続けるという無駄をしなくても済む。


「うーん。現在アイさんはこの町に縛られているのですよね? 僕が所有する屋敷はこの町にはありませんし、依頼によっては遠出することもあります。なのでアイさんと僕の魂と縛り、外に出られるようにしたいんです。短期契約でも契約が終わるまでは外に連れ出せると思うのですが、契約が切れた瞬間アイの魂がこの町に引き戻されてしまうと、次にお願いする時に降霊できるかも分かりません。僕も異世界の死霊と関わるのは初めてですから」

 リチャードは今まではあの世から死霊を呼ぶことはあったが、私はあの世ではない場所に縛られている。

 一度契約を解除してしまうと、またこの町に戻るという可能性は大いにある。なるほど。一回ではなく、この先もとなると日雇いではなく常に連絡のつくバイトでいてもらった方がいいということか。

「とはいえ、長期契約するための紙がここにはないので、呪具屋(じゅぐや)で買わないといけないんですけどね。ただ買うにはお金が必要で、このナイフを先に納品してからしかできないのですが……」

 なるほど。特殊な紙ならばお値段もそれなりなのだろう。

 でもそんなお高い紙を使ってまで、私と契約させていいのだろうか? せっかくナイフを解呪したお金が私との契約のために飛んでいくのも申し訳ない。リチャードがお人よしに見える所為で、私の方が心配になる。


「あまり大金を使ってもらうのは申し訳ない気が……」

「気にしないで下さい。そもそも、このナイフがこんなに早く解呪できたのはアイさんのおかげなんです。もう少し長丁場を想定していましたから。呪いは解き方を知っている死霊を降霊できても、そのための道具を探したり、人を探したりと大変なんです」

 嘘みたいな方法で解呪してしまったので大変さは分からないけれど、それなりに手間なものらしい。

「でもなんであんなに錆びてたんですかね。包丁の錆は、肉や魚の油とか野菜のあく、それから水気で酸化してなるんですけど。あっ、さっき洗ったからちゃんと水気をふき取って下さいね。また錆びてはいけませんし」

「分かりました。錆の原因は、多分肉の油ですね。そこに呪いが混じったんだと思います」

「……肉の油?」

 先ほどのナイフは包丁ではない。包丁ではないのに肉の油……。そのお肉は一体、何のお肉ですか?

 そんな疑問が浮かんだが、聞いたらいけない気がする。


 ま、まあ、リチャードがこのナイフの持ち主というわけではないのだ。彼はあくまで依頼を聞いただけ。あまり深く考えない様にしよう。

「なら、さっそく依頼主に私てお金を貰いに行きましょう。アイさんも一緒に行きませんか?」

「えっと……」

 何のお肉か分からないけど、それを切ったことによってナイフを錆びさせて呪われた人物と会う?

 相手からは私は見えないし、気づかないと思うけれど、でもなんか怖い。生きている時に読んだ本でよくオチに使われていた【人間より怖い者はない】という言葉が脳裏をよぎる。

「無関係な私が行くのも……」

「そこに行くまでに、アイさんに屋台で何か食べ物をおごろうと思うのですが」

「行きます」


 屋台、ご飯。

 どうやらこの町は、皆が外食をよくするようで、毎日露店が朝から開かれている。おいしそうに食べるそれをずっと見て来たのだ。ものすごく食べたい。

 どうせ私のことは見えないだ。人間より怖いものはないといったって、見えない者相手に何かしたりもしないだろう。うん。大丈夫。

 それよりも、この世界に来てから一度も食べていないご飯を食べられる方が大切だ。

 

 私はさっそくリチャードさんと宿を出て、屋台の方に向かう。

 太陽の位置的に、今はちょっと昼時を過ぎたような時間帯だが、ずっと開けてくれている屋台もある。

「どういったものを食べたいですか?」

「なんでもいいです。どれがどういう味なのか、分からないので」

 甘い系かしょっぱい系なのかはなんとなく判断できても、見た目でどんな味なのかまでは想像できない。

 すごく楽しみだ。


 ウキウキしながらリチャードについていくと、まずは半透明の棒付きの飴を買ってくれた。すごく見た目にもきれいだ。リチャードはそれを持って、人目があまりない道の端に移動する。

「まずはこちらをどうぞ」

「はわわわわわ。すごくきれいです」

「味が分かるか分からなかったので、まずは見た目にきれいなものを選んでみました」

「こちらの飴ですよね。すごいなぁ」

 日本で露店で飴となると、飾り飴とかりんご飴だが、リチャードが買ってくれたのは半透明の丸い飴の中に、キラキラとしたラメのようなものが入った不思議なものだった。

 うきうきとリチャードの持つ飴に手を伸ばすが、素通りしてしまう。……そうか。私は棒を持つこともできないのだった。となると、三食ご飯を用意してもらってもうまく食べられない可能性が高いかも……。

 物を持ち上げられないとなれば、犬のように顔を皿に付けなければ口には入れられない。人間らしい生活というのは簡単には手に入らないようだ。

 しょんぼりと肩を落とすと、口の前に飴の方が近づいてきた。

「僕が持っていますから、どうぞ口に入れて下さい」

「えっ?」

「アイさんが自分では食べられないことは最初から想定してますよ。だから僕が運べば食べられると思うんです」

 ……そこまで考えてくれていたんだ。

 ただ三食食べられると浮かれていた私は、それを食べる手段まで考えていなかったのに。


「い、いただきます」

 食べさせてもらうなんて小さな子供のようで恥ずかしいが、飴の誘惑に勝てず、私は口に含んだ。気分だけで味なんて感じないだろうと思ったのに、甘い。

 フルーツのようなわずかな酸味と飴特有の甘味。久しく感じていなかったものだ。

「泣かないっで下さい。何度でも僕が食べさせてあげますから」

「ふぁい。ありがと……ございます」

 またも、ボタボタと涙がこぼれる。

 こんなにも味を感じて食べるというのは、幸せなことだったのか。甘くておいしいそれを、私は夢中で食べた。

 気が付けば、飴はなくなっており私はすごく満たされていた。


「ごちそうさまです。今日はもう、これだけで十分です。すごい満足です」

 普通は飴だけで満腹になるはずもないのに、死霊だからなのか分からないが、すごく満たされた。残飯から生命エネルギーを得た時と対して変わらないと思うけれど、満足感が違う。

 特に甘いという味覚を堪能した為、なんだかふわふわした気分だ。

「そうですか。遠慮しないで下さいね。いつでも僕が食べさせてあげますから」

「はい。ありがとうございます」

 リチャードの手間になってしまうので、三食毎日お願いするのは気が引けるけれど、でもたまに口に運んでもらうのはいいなぁと思う。

 甘いと酸っぱいは分かったけれど、他の味も分かるのだろうか?

 

「まさか味も分かるなんて思いませんでした。死んでも味覚の五つ、全部分かるか調べるのも楽しみです」

「五つ? 甘味と酸味と辛みとかですか?」

「辛みは刺激なので、味覚とはちょっと違いますね。甘味、酸味、塩味、苦み、うま味の五種類の事です。今は甘味と酸味を感じましたから」

「ウマミとはなんですか?」

 リチャードが首を傾げ、私も首を傾げる。

 何と言われると、何だろう。

「えっと、こちらはダシをとる文化ってあります?」

「ダシ……はい。多分あると思います。あまり料理をしないので微妙ですが」

「なら言葉として明文化してないんだと思います。私がいた国では、うま味も味覚で感じる一つであると言われていてグルタミン酸とかイノシン酸とかグアニル酸とかで感じるものをうま味としていました」

「へぇ」

「明文化しなくてもおいしいものはおいしいと皆知っているんですけど、明文かされると、その物質がどうしたらもっとおいしく感じるか色々考えるようになるんですよね。相乗効果とかで、何種類も掛け合わせて使ったりしてましたよ」

 化学調味料とか便利でオイシイ。

 調味料の類も想像したら出てきそうだけど、肉体を持たない私では料理ができないので残念だ。


「もしも私が料理できる方法が見つかれば、リチャードさんにふるまいますね」

「えっ。いいんですか? 異世界の調理法、すごく楽しみです」

「やり方が見つかればですよ?」

 嬉しそうに喜んでくれるところ申し訳ないが、今の私は飴の棒すらリチャードに持ってもらわなければ味わえない状態なのだ。包丁を握って料理するのは夢のまた夢である。

「アイさんの手料理なら毎日でも食べたいなぁ」

「まだ一度も作ってないんですけど。それに作れるようになるのは、長期的目標ですからね」

「はい。分かってます」

 リチャードは結構食いしん坊なのだろうか?

 私が食べられないことをこんなに親身に対応してくれたのだ。きっと自分も食べることが好きだからこそ、死んで以来食事を食べられなくなった私に同情してくれたのだろう。


「では腹ごしらえも終わりましたし、まずは、ナイフの納品に行きましょうか」

「はい」

 リチャードに手をつながれながら、私は依頼主のいる屋敷に向かう。

 しばらく歩くと、明らかに身なりのいい人が住むような地区に入るった。私が今いる国に階級制度があるのかは分からないが、金持ちとそうではない者がいるのは見ていれば分かる。

 馬車に乗って移動しているのは金持ち。

 彼らが住んでいるのは、町の中でも小高い場所だ。

 ……金持ちって恨まれそうってイメージはあるなぁ。

 そんなことを思いながら、私は坂道を登って行った。

 

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