第2話 死霊使いと私

 本当にこれまでと何も変わらない日。

 馬車も人も私に気が付かないし、何なら勝手にひき逃げしていく日。私は暇すぎてぼんやり立って一日で何人の人とぶつかるかカウントゲームをしていたぐらいだったのに。

「うっ、うっ、ゔゔゔぅぅぅぅぅ」

 ボロボロと涙が次から次へと零れ落ちた。

 初めて、初めて、この世界で私は見つけてもらえたということで胸がいっぱいで、その胸に溜まった何か目から零れ落ちていく。

 まるで小さな幼子にでもなったかのように、涙が止まらない。

「えっと。あー……こっちきて」

 私を見つけてくれた青年は、髪と同色の紺色の眉を少しだけキュッとひそめると、私の手を握り、引っ張っていく。

 握ってもらえた。

 今までずっと、何にもぶつかったり引っかかることなく、すり抜けてしまったのに。

 何が起こったか分からず、ぴたっと涙が止まる。そして無言で歩いていく青年に合わせて、私も足を動かした。

 彼は人にぶつかることなく歩いていく。当たり前だ。彼はちゃんと生きていて、周りから見えているのだから。そんな彼の背を追うように歩く私も、今は誰かにすり抜けられたりしない。

 まるで生きていた時と同じような光景に、私はドキドキする。一度止まった涙がまた零れ落ちる。


 ずんずんと歩いて行った彼は、一軒の宿に入った。

 どうやらすでに手続きを済ませて泊っていたらしく、店の人に止められることなく彼は中へ進んでいき、一つの部屋の扉を開けた。そして私も中に入ってから、彼は扉を閉めてくれた。

「あの、大丈夫?」

「あ、はい。ずびばぜん。人と話せるの久々過ぎて、何だか、もう、それだけで感動してしまって」

 私は異世界に来て、初めて私を認識し、話ができる人に会えたことで、涙が止まらなくなってしまっていた。生きているのか死んでいるのか……いや、死んでいるのだろうけど、誰にも認知されなない気が狂うような日々を過ごしていたため、感動はひとしおだ。


「あ、改めて、自己紹介させて下さい。私は、蕪木愛(かぶらぎあい)と言います。蕪木が苗字……えっとファミリーネームで、愛が名前です。異世界で死んで気が付いたらこの世界で幽霊やっていました」

「ご丁寧にどうもありがとう。僕はリチャード。職業は死霊使い(ネクロマンサー)です。それにしても異世界かぁ……。僕も異世界で死んだ幽霊に会ったのは初めてです」

 久々に自己紹介をした私はまたも感動する。

 よかった。私はまだ自分の名前を忘れていなかった。

 誰とも話さないと自分の名前を声に出す機会はない。持ち物もないから名前を書くこともなく、誰かに呼ばれることもない。

 名前というのは他者がいることで初めて意味を持つものであり、自分がいるのだということを強く感じさせてくれるんだなと知った。


「ところで異世界とは、こことは違う場所ということですよね? どういう風に違うのですか?」

「あ、私も後で質問していいですか? えっとですね、異世界だと思っているだけで、実際どうなのかわかりませんが、住んでいたのは間違いなくここではないどこかです。何故ならば、その場所には知的生命体は人間しかおらず、言語もまったく違いましたし、魔法とかもなくて、代わりに科学が発達していました。幽霊になってずっとこの町を見てきましたが、車ではなく馬車が通っているのが、そもそも全く違いますし――」

「ちょっと待って。情報量が多いです。困ったな。僕が知らない単語が多すぎるなぁ」

「あ、それなんですけど、どうして私はリチャードさんとうまく会話できているのですか? 今まで誰とも話せなかったのに、話せるというのも驚きなんですが、そもそも言語が以前生きていた場所と違うと思うのですけど」

 幽霊状態でいろんな人の話を立ち聞きしていたのだから分かる。

 この世界の言語は日本語ではない。だいぶんと音に慣れて聞き取れるようになり、ある程度ならば意味も分かってきたけれど、私は今、日本語を話しているつもりだ。というか、いくら音に慣れても、練習相手もいないのに発音を正しくできるはずもない。今の状況でこの世界の言語で流暢に話すなど、夢のまた夢だ。


「それは僕の職業が死霊使いだからですね。死霊使いはその名の通り、死霊を使役して様々なことをする者を指すのですが、死霊と言っても同じ言語体の者ばかりではありません。このあたりは魔獣使いや召喚士も同じなのですが、念話で会話を行います。念話は音声を発しながらも直接思ったことを相手に伝える方法なので、会話が成り立っていると思って下さい」

「へぇ。この世界には不思議な職業や技があるんですね」

「不思議ですか? アイさんの世界には死霊使いはいませんでしたか?」

「いなかったですね。ただ……えっと、空想の中ではありました」

 死霊使いやら召喚などでイメージをするとテレビゲームなのだけど、テレビゲームをまず説明するのが難しい。なので空想というぼんやりした話にする。

「空想……」

「はい。そういう不思議な力があったらいいなと空想したお話の中にはあったという感じですね。ちなみに死霊使いというのは、死んだ人を動かしたりするご職業ですか?」

 ゲームの中の死霊使いだと、死体を動かして敵を倒すという、鬼畜的な職業というイメージがある。光属性というよりは闇。正義の味方というよりはダークヒーロー的な立場だ。


「死体を動かすのは、屍術師とかになりますね。死霊使いは、死霊と言葉を交わして知識を貰い、物事を解決する職業と言ったところでしょうか」

「へぇ。イタコみたいな感じですね。でも私と普通に会話しているし、憑依させるというのとも違うか……」

 昔読んだ漫画に会った知識を引き出しながら、この世界の死霊使いというものを頭に入れる。

「憑依というのは、体を死霊に貸すということですね。そういうことをする死霊使いもいますが、数は少ないと思います。体を貸すというのは負担が大きいので。死霊使いは、死霊が見える目と死霊の声が聞こえる耳を持つ者だけがなれます」

「なるほど。あ、私さっき、手を握られたと思うんですけど、どうして握れるんですか? 私これまで馬車に轢かれても素通りされるぐらい存在感ゼロだったんですけど」

 何も触れないし、触られない。意識はあるのに誰とも何とも関われない。それがこの世界に来てからの私だ。

 なのにどういうわけかリチャードは私に触ることができた。

 それは何故なのか。


「ああ。それは魔力を体にまとわせているからですね。魔力が覆っている部分なら霊体を触れたり、逆に触れさせたりできるんですよ。これは別に死霊使いでなくても可能です。ただ見えないと触るのがそもそも難しいんですけど」

 確かに。

 目隠しして鬼ごっこをしているようなものだ。

 視覚も聴覚も使えないとなれば、幽霊側も触りたいと思わなければふれあうことなどできないだろう。

「それにしてもアイはいつからあそこにいたのですか?」

「……さあ。文字に残せないし、睡眠もとったりとらなかったりで、時間感覚が消えてしまったので、いつからかと言われると分からないです」

 すごく長くいた気もするし、ただ暇だから長時間経ったと思っているだけな気もする。

 とりあえず言えるのは、暇で仕方がないということだけだ。仕事もない、強制される勉強もない、友達もない、娯楽もない。ないない尽くし地獄だ。


「それは……寂しかったですね」

 リチャードの言葉に、私はパチパチと瞬きした。

 寂しい……うん。寂しかった。

 そんなこと言葉にしても、誰にも聞こえないから、考えないように、考えないようにしたけれど、私はとても寂しかった。

 気が付けばまた私は泣いていた。

 どうしてこんなことになってしまったのか。何がいけなかったのか、分からない。悪役令嬢に転生して、破滅エンドを回避するために何かしなければならないなんて使命もなければ、苦しい思いをして誰かを助けなければならないなんてこともない。

 でも誰にも私がいることを知ってもらえず、ただ時間だけが過ぎていくのは、心を凍らせて気が付かないふりをしなければ耐えられないぐらい寂しかった。

 それに耐えられなくても、私はすでに死んでいるからこれ以上死ねないのだ。後は壊れて私が私でなくなるまでずっと続く。


「ずびまぜん。まだ……すんっ。泣いてしまって……。あの、この世界、幽霊があの世に行くにはどうするればいいとか何か知りませんか?」

「普通は未練がなくなれば消えることが多いのですが……異世界の死霊の場合は分かりません。多分信仰している神も違うでしょうし」

 その通りだ。

 でもならばどうすればいいのか。

 ずっと、このままなのか。分からない。考えれば考えるほど、悲しくなってくる。

 でも泣いても仕方がないのは分かる。

 私が零れ落ちる涙を必死に自分の袖でぬぐっていると、そっと目元をリチャードが触った。魔力というのを纏わせているのだろう。ほのかに暖かく感じた。


「泣かせてしまって申し訳ありません」

「いえ。私こそ、困らせてしまってすみません」

「そう言えば、アイさんはどうして僕の後を付けていたのですか?」

 私がこれ以上悲しくならないように、リチャードは話題を変えてくれた。とてもやさしい人だ。

 改めてリチャードを私は見る。

 黒に近い紺色の髪に紫色の瞳という、日本では絶対見ない色味だが、外見は人間だ。角も翼もない。肌は色白で、学者さん的な雰囲気だ。

 コスプレっぽさが強いけれど整った顔立ちをしている。結構モテそうな外見だ。

「アイさん?」

「あっ。すみません。えっと私が付いて行ったのは、リチャードさんが背負っているカバンから、何か禍々しい気配がしたからです。私を避けるぐらい勘がいいいいのに、運が悪いのかなと思ってリチャードさんが気になったのと、純粋にこの気配がどういったものなのか好奇心が勝りまして」

 きれいな人だなぁとつい見惚れてしまったが、名を呼ばれて慌てて質問に答える。


「ああ。実は今回依頼で呪いがかかったナイフをどうにかしてほしいと渡されまして。死霊使いは、困ったことがあるとなんでも押し付けられることが多いんです。様々な死霊にお話を聞けますから、解決案を出しやすくて。でも知っている死霊がいなければ、どうにもならないんですけどね……ははは」

 どうやら厄介な案件を押し付けられてしまったらしい。

 リチャードは眉を下げて、困り顔で笑う。

「気になるのなら、よければ見てみますか? きれいなものではないので気分はよくないでしょうけど」

「あっ。折角だから見せて下さい」

 変わった気を発するものがどういうものなのか。

 せっかくだから見てみたい。何といっても、私は暇を持て余した死霊なのだ。好奇心を刺激してくれるものがあるのならば知りたい。


 私が前のめりで答えれば、リチャードは背負っていた鞄を下ろし、中から布の方まりを取り出した。うん。これだ。これから変な気を感じる。

 ぞわぞわするというか、何ともいえない感じだ。

 パラりとリチャードが布を外せば、中から錆びたナイフが出てきた。

「うわぁ……錆びてますね」

「はい。この錆が呪いの一種なんだと思うんですけど……。はぁ。誰か、解呪を知っている死霊がいればいいのですが……。まず、降臨してもらえるように儀式をしないと」

 解呪はどうすればいいかは分からないけれど、この錆を落とすのはちょっと手間かもしれない。


「私がいた世界では、クレンジング剤を使って錆は落としていたんですけどね。あと、ちょっとしたのはさび落とし用の消しゴムとか」

「クレンジング剤?」

「あー、何て言ったら通じるかな……。研磨剤が入った薬品の一種なんですけど。まあ、呪いをどうこうという話ではないんですけどね」

 私は母が使っていたクレンジング剤を記憶から引っ張り出す。うーん。言葉で表現しにくいので、見せられれば良かったのに。

 頭の中で具体的に想像した時だった。

 手の中にずっしりと突然重みが加わる。ん? 重み?


「え? 何? えっ? 何でここにクレンジング剤が? えっ。こっちはさび落としの消しゴム?」

 確かに私はさっきまで何も持っていなかったはずだ。というか、すり抜けるので何も持てない。

 それなのに、何故か今想像した、母愛用のクレンジング剤が手の中にあった。

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