第七話

9月9日 マスクヴァ


 翌朝、起こしてくれたのはやはりテレサだった。ブルーのパジャマ姿のテレサは昨日と変わらず寝ぼけ眼のクリスパーに「おはよう」と言った。

 「おはよう」と返し、クリスパーはベッドから起き上がる。クリスパーの柔らかなブロンドヘアは自由に空を舞う鳥のようにまばらな方向に広がっていた。


 「朝ごはん出来てるよ。ほら行こ」

 昨夜のデジャブのようにテレサはクリスパーの手を引いた。抵抗することなくテレサに手を引かれながら、テレサの美しい青髪に目を向けていた。さらさらと靡くテレサの髪と、ぼさぼさの自分の髪。櫛くらい通したかった。そんなことが頭の片隅に過りながらも、まあいいかとも思う。これからは、別に気を張る必要もないのだから。

 

 クリスパーがリビングに入ると、やはり皆が揃ってダイニングテーブルを囲っていた。テーブルの上にはパンとスクランブルエッグにサラダ、ヨーグルトが置かれていた。


 皆で朝食を取りながら、任務についての話をした。全員で出動するような大きな任務はないが、今日はバンクシーとテレサがマスクヴァの巡回業務にあたるようだった。


 朝食を終えたバンクシーとテレサはきっちりと隊服を着てマスクヴァ巡回に出掛け、ハムレット、デナリは何処かに姿を消した。ひとり残ったクリスパーは自室に戻りしっかりと髪をとかし、顔を洗った。それから、窓を開けてマスクヴァの風景に目を向けた。


 2階から見える景色は特別美しいものではなかった。見えるものとしたら基地の正面にある商店街と、街行く人々の姿。特別何でもない風景だったが、何故かその光景はずっと見ていることが出来た。誰かと微笑み歩く人々の姿は、とても幸せそうに見えた。


 私も何処かに出掛けみようか。そう思った瞬間、無線機が鳴った。

 「こちらテレサ。マスクヴァ東部、大橋の上で怪物複数体確認。応援要請!マスクヴァ東部、大橋の上で怪物複数体確認。応援要請!」


 応援要請が入ったらすぐさま現場に向かうように。それは第2部隊にいた時から言われていたことだった。クリスパーは隊服に身を通し、現場に向かった。しかし、クリスパーはまだマスクヴァの土地について理解していなかった。街の人々に東部の大橋への道のりを聞きながらクリスパーは足を進めた。


 大橋に近づくにつれて、クリスパーとは反対方向に逃げ惑う人々が増えた。現場に向かうにつれて悲鳴が徐々に大きくなり、耳が痛くなるほどの絶望が聞こえた。


 途中何処かで道を間違えてしまったのか、気付いた時には駅に出ていた。駅から見下ろすことの出来る大橋の上では複数の怪物と逃げ惑う人々。そして、人々を庇いながら戦うハムレットたちの姿が見えた。


 「しまった・・」とクリスパーは呟き、下唇を噛む。

 「すみません。ここから大橋に降りるにはどうすればいいですか?」

 駅員に訊くと、快く大橋への行き方を教えてくれた。しかし、思いの他周り道をしないといけないようで、そんなことをしていては状況がさらに悪くなってしまう。クリスパーは下唇を噛み、困ったような表情を見せる。そして周囲に目を向ける。線路は大橋の上に掛かっている。これだ。


 「すみません。でも、急がないといけないんです!」

 駅員にそう告げると、クリスパーは線路に飛び降り左側へと走り出した。

 「ちょっと、何をしてるんですか!」

 背後から駅員の声が聞こえた。だが、クリスパーは振り返ることなく走った。幸い電車は来ていなかった。


 少しすると、線路が大橋とクロスするポイントがあった。下には怪物に囲まれたハムレットの姿が見えた。

 やるしかない。


 クリスパーは思い切り線路を蹴る。そして、宙に身を投げる。

 落下しながらクリスパーは鞘から刀を抜く。両手で柄を握り、真下の怪物に向けて突き立てる。重力の加護を得たクリスパーは次第に加速する。視界の怪物が大きくなると、クリスパーは強く柄を握る。そして思い切り、怪物に刃先を突き刺す。

 重たい音が、周囲に響いた。同時に、視界が赤く染まった。

 倒れた怪物の後ろから、クリスパーが姿を見せた。


 「クリスパー‼」

 一瞬驚いたように目を丸めたハムレットは、自然と表情を緩ませた。

 「ごめん、遅くなった」そう言うと、表情を変えぬままクリスパーは左右の怪物を切りつけた。とても美しい剣技だった。


 その様子を見たハムレットは微笑み、怪物に向けて光の矢を放った。ハムレットの後ろには怯えて体を丸めた女性がいた。

 そのせいか。とクリスパーは思った。


 クリスパーはひたすらに周囲の怪物を切りつける。機敏な剣さばきで、無駄な動きなど一切ない。その姿からはクリスパーがどれほど剣技に卓越しているか容易に理解出来た。


 「クリスパー、他に怪物はいるか?」

 ハムレットが訊く。クリスパーはオートボディを起動する。クリスパーの目は熱感知が可能であり、周辺の生命反応を把握することが出来る。また、機械の目は周囲を隅々まで観察することができ、その結果クリスパーは首を振る。

 「大丈夫。今いる怪物以外は、いない」

 「分かった!」


 ハムレットは女性を安全なところまで誘導すると、テレサが動きを止めていた怪物を打ち抜いた。


 クリスパーは左右等間隔に設置された街灯を何本も超えて、デナリとバンクシーの元へ合流した。数的にはふたりの方が多くを相手しており、ふたりの様子からは見るからに疲弊した様子が伺えた。


 「ここ以外に怪物はいないから、大丈夫」

 クリスパーの声を聞くと、ふたりの表情はすっと晴れた。

 「わかった」とふたりは頷く。


 前方の怪物はデナリが相手をして、対処しきれない分をバンクシーとクリスパーが背中を預けて対応した。そしてしばらくすると、大橋の上から怪物は消えた。あるのは、惨たらしい怪物の死体だけだ。


 「終わった」

 一息ついた3人はハムレットとテレサの元へ向かった。ふたりも怪物を討伐し終えて、保護していた民間人を街へと誘導していた。

 全ての人を誘導し終えて合流すると、ハムレットは言った。「死傷者なし。無事、任務を果たすことが出来たよ」と。


 緊張の糸が切れた時、街から大橋に向かってひとりの男性が歩いてきた。黒いコートを着た男性だった。男性に対してハムレットは声を掛けた。

 「すみません。先ほど怪物を討伐したばかりで、片付けとかを含めると通れるようになるまで少し時間がかかるんです」

 男性は目を丸めた。

 「そうでしたか。すみません」

 そう告げると、男性は街へと引き返して行った。その時だった。


 大きな羽音を鳴らし、下から何かが上がってくる。クリスパーはオートボディを起動する。熱反応あり。何かが、来る。そう思った時にはもう遅かった。先ほどの哺乳類型の怪物よりも格段と早いスピードで、鳥類型の怪物がハムレットと黒いコートを着た男性を挟んだ。


 まずい。「ハムレット!」とクリスパーは声を張り上げる。そして、ふたりの元へと駆ける。

 怪物に気付いた黒いコートを着た男性は大きな声を上げた。そして恐怖のあまり、その場にしゃがみ込んでしまう。


 「くそっ!」

 ハムレットは黒いコートを着た男性の前に現れた怪物にオートボディを向けた。背後を気にしている暇はなかった。

 出力を上げ、思い切り放出する。怪物は血飛沫と共にその場に落下する。

 くるりと踵を返すと、目に入ったのはクリスパーの姿だった。刀の刃先には血液が付着しており、足元に鳥類型の怪物の死骸が横たわっていた。


 安心して、ハムレットは一瞬瞳を閉じた。次に目を開いた時、それは映った。

 「クリスパー!」とハムレットは声を上げる。クリスパーの背後には、もう一体鳥類型の怪物が迫っていた。


 鋭い鉤爪が、クリスパーを襲う。反応が遅れたクリスパーの背中から、血飛沫が飛ぶ。


 「クリスパー!」と叫んだハムレットの声と同時に崩れ落ちたのは、怪物の方だった。どうやらクリスパーは一瞬で刀の向きを変え、怪物に突き刺していたようだった。


 クリスパーは心配そうに見つめるハムレットに目を向けた。そして、「大丈夫。私は死なない」と言った。


 「良かった」

 安堵したような表情を見せて、ハムレットは微笑んだ。


 その後は調査部隊が合流し、怪物の生態調査のための採集、及び清掃を行った。

 黒いコートの男性を誘導した機械兵たちは、血で汚れた体を引きずりながら基地へと戻った。


 その道中、ハムレットは言った。

 「クリスパーが居てくれて助かったよ」

 「いや、私は遅れて来たし・・・」

 「クリスパーのオートボディって凄いね。本当に周囲のことが見渡せちゃうんだ!」

 微笑みながらテレサが言う。

 「うん、どれくらい怪物がいるか分かれば、僕たちも安心だよ」とデナリ。

 「それに、剣術も凄かった。きっと、第2部隊の時に相当努力してきたんだね」

 感心したようにバンクシーが言う。


 正午に差し掛かる太陽は陽を高く上げ、マスクヴァの街を照らしていた。暖かい光の中で、クリスパーは恥ずかしそうに小さく微笑んだ。そして「そんなことない。でも、ありがとう」と言った。

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