第4話
「ある時、突然当時の記憶がフラッシュバックしたらしいんだ。もちろん、断片的な記憶ではあったけど……自分の腕の傷跡のこともあって、余計に気になったんだろうな。そして、彼女は両親を問い詰め真実を知ってしまった──それ以来、夏輝を憎むようになったって聞いているよ」
「そんな……」
俺は淡々と語る淳に恐怖を覚える。
同時に、あまりの理不尽さに腸が煮えくり返った。
「──というわけで。俺たち家族が許されるためには、夏輝の協力が必要なんだ。夏輝だって、父さんや母さんが一生翠川家に負い目を感じて生きていかないといけないなんて嫌だろ? だからさ……頼むよ。いい加減、珠莉ちゃんとの結婚を快く受け入れてくれないか?」
淳は両手を合わせて頼み込むようなポーズをしつつも、そう尋ねてきた。
とはいえ、それが頼みではなく強要であることはわかっていた。
(つまり、自分たちのために俺に犠牲になれって言いたいわけか)
「……言いたいことはわかったよ。でも、ちょっと考える時間をくれないかな? 五分でいいから」
「五分?」
「うん。俺、ちょっと近くの自販機で飲み物でも買ってくるよ。その間に、考えておくから」
俺は淳にそう伝えると、ベンチから立ち上がった。
「夏輝」
「ん?」
不意に呼び止められ、振り返る。
「最近、この辺りで不審者の目撃情報が複数寄せられているらしい。刃物を持った男が彷徨いていたんだってさ。……だから、気をつけろよ」
「え? あ、ああ……うん」
なんとも物騒な話だ。俺は頷くと、公園から出て自販機がある場所へと向かった。
(はぁ……一体どうすればいいんだ)
俺は大きく嘆息した。
もし自分が成人なら、とっくに家を出てあんな家族とは絶縁している。
でも、今の自分は高校生。仮に覚悟を決めて家出したとしても、資金が底をつきて野垂れ死ぬか、すぐに見つかって家に連れ戻されるのが落ちだろう。
仕方がない。一旦納得したふりをして、成人したらすぐに家を出よう。
成人の自発的な家出なら、警察はまず動かないだろうし。そして、家族や翠川家とは絶縁しよう。
そう、あと数年。数年我慢すれば、俺は──
(……いや、駄目だ。耐えられない)
正直、それまで耐えられる自信がなかった。
今ですら大きな精神的苦痛を受けているのに、あと数年も我慢し続けていたら家を出る前に壊れてしまう。
「はぁ……」
自販機で飲み物を買った俺は、気が進まないながらも公園に戻ることにした。
重い足取りで歩いてくると、不意に公園のほうから悲鳴が聞こえてくる。
「な、なんだ? 悲鳴……?」
(もしかして、淳か……!?)
公園の入り口まで走ってくると、何やら言い争うような声が聞こえてきた。
俺は気づかれないように、咄嗟に茂みに身を隠す。
「お前の母親のせいで、俺の人生は狂ってしまったんだ! どうしてくれる!?」
「な、なんでだよ! 俺には関係ないだろ!」
茂みに隠れつつも様子を窺っていると、うつろな目をした痩せ型の男が何やら淳に詰め寄っていた。
その男は、後ずさる淳をどんどん追い込んでいく。
(淳の知り合いか……?)
二人は暫くの間、言い争っていた。
けれど、男がスウェットパンツのポケットから何かを取り出した途端──淳の顔が一気に青ざめる。
「お、おい……やめろ……やめろよ!」
淳は腰が抜けたのか、その場に座り込む。
何事かと思い男の手元に視線を移してみると──彼の手には、切れ味の良さそうなサバイバルナイフがしっかりと握られていた。
(え……?)
呆気にとられていると、気づけば男は淳に馬乗りになっていた。
そして──
「う、うわ……やめ……ぐはっ……! う、ぐぁ……!」
淳の体に、容赦なくその鋭利な切先を突き立てた。
それも、一度ではなく何度も。ナイフを刺しては引き抜く動作を何度か繰り返したかと思えば、男は突然立ち上がりふらふらと覚束ない足取りで公園を出ていった。
「は……ははっ……やってやった……ざまぁ、みろ……」
俺は恐怖心で胸がいっぱいになりながらも、男の後ろ姿を見送る。
男が立ち去ったのを確認すると、俺はすぐさま淳のもとに駆け寄った。
「淳……?」
「う……ぐっ……あぁ……助け、て……兄……ちゃん……」
淳は今にも消え入りそうな声で俺に助けを求めていた。
いつもは偉そうに上から目線で呼び捨てにしてくる弟が、まるで小さい頃に戻ったかのように自分のことを「兄ちゃん」と呼んでいる。
こんな状況だけれど、なんだかそれが酷く虫が良すぎる気がして苛立ちを覚えた。
(物凄い出血量だ。このまま放っておけば──いや、放っておかなくても恐らく助からないだろうな)
ふと、自分が苦悶の表情を浮かべている弟を冷静に見下ろしていることに気づいた。
普通なら、こんな状況下に置かれたらもっと取り乱すだろう。けれど、不思議と死にかけている弟を見ても何も感じなかった。
(……もしかしたら、これは俺が自由になれるチャンスなんじゃないか?)
不意にそんな考えが頭をよぎった。
そして、気づけば俺はベンチの上に置いてあった淳の通学鞄と自分の通学鞄を交換していた。
淳とは好みが近いせいか、いつも似たような髪型だった。それに、通っている高校も同じだから着ている制服も全く同じだ。
顔も体型も髪型も、身につけている制服も同じ。互いの区別がはっきりつく特徴的なホクロなどもない。寂れた公園だから、恐らく目撃者もいないだろう。
だから──DNA鑑定さえされなければ、俺は今後「椿野淳」として生きていけるかもしれない。
そう、「今日この公園で殺されたのは椿野夏輝だった」という事実さえ作ってしまえば、俺は弟に成り代わることができるのだ。
常識的に考えたら、いくらそっくりな一卵性双生児と言えど片割れに成り代わるなんて無茶もいいところだろう。まず、親に見抜かれる。
けれど……幸か不幸か、うちは普通の家庭ではない。何しろ、保身に走った挙句自分の子供を罪滅ぼしという名目で他人に差し出すような親だ。
子供に興味がないのは明白だし、それっぽく振る舞っていればきっと成り代わっても気づかれないだろう。
交友関係に関しても、双子の片割れが殺されて塞ぎ込んでいるふりをすれば自然消滅していくだろうし、高校を卒業するまでの間ならなんとかそれで乗り切れるはずだ。
(……よし、やろう)
意を決して淳のほうに視線を移すと、いつの間にか彼は事切れていた。
俺は淳が絶命したのを確認すると、鞄の中から彼のスマホを取り出し救急車を呼んだ。
「あ、あの……兄が通り魔に襲われたんです! 何箇所も刺されているみたいで、もう血だらけで……お願いです、どうか兄を助けてください! 場所は──」
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