第3話
「……? そうだが……?」
「あーいや、まずそこからして間違っていると思ってさ。とりあえず、俺が見ている限り夏輝は全然不幸なんかじゃないよ。表には出さないけど、実はあいつ結構珠莉ちゃんのこと気に入ってるんだぜ?」
「そ、そうなのか……?」
淳の話を聞いた幸也さんは、意外だったのか目を丸くしている。
とんだ三文芝居だ──と言いたいところだが、淳は嘘をつくのが異常にうまい。
現に幸也さんも信じかけているし、言い包められるのも時間の問題だろう。
「うん。形的には珠莉ちゃんと強制的に結婚させようとしているように見えるかもしれないけれど、夏輝は叔父さんが考えているほど嫌がっていないんだよね。寧ろ、珠莉ちゃんみたいな可愛い子と結婚できるなんて嬉しいと思っているんじゃないかな?」
淳は、さも俺が珠莉のことを好意的に思っているかのように言った。
「いや……でも、やっぱり夏輝本人の口から聞くまでは信じられないよ」
「うーん……そっか。まあ、そうだよね」
予想とは裏腹に、幸也さんは思い直したのか「簡単には信じないぞ」とばかりに淳に強い眼差しを向ける。
「じゃあ、今度夏輝に直接聞いてみなよ。それで、良くない?」
淳は幸也さんにそう提案すると、不意に俺のほうに視線を向けた。
そして、まるで俺の存在に気づいているかのようにニッと口角を上げたのだ。
(……っ!?)
俺は慌ててドアから離れた。
もしかして、盗み聞きしていることに気づかれた……?
額にじっとり汗が滲み、心臓が早鐘を打つ。とにかく、一刻も早くここから立ち去りたい。
やっとの思いで玄関まで歩いてくると、俺は音を立てないように細心の注意を払いつつもドアを開けた。
さっき、淳はどうして笑っていたんだろう? やっぱり、俺に「そこにいるのはわかっているんだぞ」とアピールするためだったんだろうか?
そこまで考えて、俺はふとあること気づく。
──いや……淳は、きっと俺が幸也さんに助けを求められるはずがないとわかっているんだ。
何故なら、俺は今まで一度も自分の家族や珠莉に反抗できたことがないから。
だからこそ、彼はそれを見透かしたように笑っていたのだろう。
***
数日後。
その日の授業が終わったので帰ろうとしていると、廊下でなぜか淳に呼び止められた。
「この後、何も予定がないなら一緒に帰らないか? 話があるんだ」
「え?」
俺は耳を疑った。
彼が俺と一緒に帰りたがるなんて、小学校低学年以来だからだ。
きっと、何か魂胆があるに違いない。だから気が進まなかったが、自分に拒否権などないことは分かり切っていたので首を縦に振るしかなかった。
「あ、ああ……いいよ。二人で一緒に帰るのなんて、随分と久しぶりだよね」
波風を立てないように上辺だけの笑顔を浮かべながらそう返すと、淳は「ああ、そうだな」と頷いた。
学校を出て十五分ほど経った頃。気づけば、俺は淳に連れられて子供の頃よく遊んだ公園に来ていた。
そういえば、あの頃は俺たち兄弟と珠莉の三人でこの公園で仲良く遊んでいたな。
今はギスギスしているけれど、こう見えて俺たち三人にもそれなりに仲がいい頃があった。
ノスタルジックな気分に浸りつつも、周囲を見渡す。
当時から活気がなく寂れた公園ではあったけれど、今もそれは同じだった。設置してある遊具もそのままだし、あの頃と全然変わっていない。
──変わってしまったのは、俺たち三人の関係くらいだ。
「さてと……それじゃあ、順々に話していくとするか」
ベンチに腰掛けた淳は、いつになく神妙な顔でそう言った。
彼に自分の隣に座るよう促された俺は、気が進まないながらも渋々ベンチに座った。
「話すって、一体何を……?」
俺は首を傾げながらも聞き返す。
すると、淳は俺を見据えて言った。
「──なぜ、夏輝が珠莉ちゃんと強制的に結婚させられそうになっているのかについてだよ。知りたいだろ? 理由」
「え……?」
淳の口から飛び出した意外な言葉に、俺は目を剥いた。
(俺が珠莉の婚約者としてあてがわれた理由? ただ単に、珠莉の父親と自分の父親が若い頃に『お互いに子供が生まれて、その子達が異性だったら結婚させよう』と口約束をしたからじゃないのか? あ、でも……)
不意に、数日前に母さんが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
そういえば、あの時──確か、『罪滅ぼし』って言っていたような……。
「……教えてくれるのか?」
「ああ。もう、潮時だろうからな」
淳は頷くと、どこか遠い目をして語り始めた。
「──事の発端は、十四年前のある日。ちょうど、俺たちが三歳くらいの頃のことだな。その日、翠川夫婦から頼まれて珠莉ちゃんを預かることになった母さんはこの公園で俺たち兄弟と珠莉ちゃんを遊ばせていたんだ」
「この公園で……?」
俺は首を傾げる。いまいち、話が見えない。
「ああ。最初のうちは三人で仲良く砂場で遊んでいたんだが……母さんがちょっと目を離した隙に、珠莉ちゃんがいなくなってしまったらしいんだ。ちなみに、母さんが目を離した理由は夏輝が急にぐずりだしたからだって聞いてる」
「俺が……?」
「ああ。なかなか泣き止まなかったせいで母さんは暫くの間、夏輝にかかりっきりだったんだ。まあ、お前は記憶にないだろうけど」
「全然、覚えていないな。……それで、結局珠莉はどうなったんだ?」
珠莉がどうなったのか気になって仕方がない俺は、淳に早く続きを話すよう催促する。
「珠莉ちゃんがいなくなったことに気づいた母さんは、俺たち兄弟の手を引いて夢中になって公園中を捜し回った。そんな中、ふと母さんは雑木林のほうから話し声が聞こえてくることに気づいたんだ」
俺はごくりと固唾を呑む。
自然と、視線が公園と隣接している雑木林のほうに向いてしまう。
なんとなく、嫌な予感がした。けれど、なぜかその話に聞き入ってしまう。
「……母さんは、俺たちを連れて恐る恐る雑木林の中に入っていった。そして、話し声を頼りに進んでいると、突然少し離れたところにある木陰から子供の悲鳴が聞こえてきたんだ。それを聞いてただ事ではないと思った母さんは、意を決してその木に駆け寄った。そしたら──」
「……!」
ここから先は、聞かないほうが精神衛生上いい。そう思いつつも、俺は耳を塞ぐことができなかった。
「……見知らぬ若い男と、泣き叫んでいる珠莉ちゃんがいたんだ。しかも、珠莉ちゃんは服を脱がされている上に、ナイフで腕を切りつけられて怪我をしていた。多分、抵抗されたから殺そうとしていたんだろうな」
「なっ……それって……」
「でも、なぜかその男は母さんに犯行現場を見られたのを悟るなり慌ててその場から立ち去ったらしい。その後、犯人は無事逮捕されたよ。近所では評判の好青年で、職場での人望も厚かったんだってさ。……でも、裏の顔は筋金入りのロリコン野郎だったってわけ」
驚愕の真実を知らされ、俺は困惑する。
でも、これで漸く腑に落ちた。だから、あの時母さんは「罪滅ぼし」と言っていたのか。
珠莉が頑なに腕が出る服を着ようとしなかったのも、きっとその事件で負った傷の跡を隠すためだったのだろう。
「で、でも……それと俺が珠莉と結婚させられそうになっていることに何の関係が──」
「つまり、さ。珠莉ちゃんは、夏輝が憎いんだよ。お前さえ泣き出さなければ母さんは彼女から目を離すことはなかったし、変態に連れ去られて性被害を受けることもなかったからな」
「……!」
「でも、同時に『初恋の相手』でもある。だから、珠莉ちゃんはお前に辛く当たっていたんだよ」
きっと、珠莉は愛憎相半ばする俺を一生縛り付けておきたかったのだろう。
つまるところ──珠莉と、彼女に「罪滅ぼしをしたい」と考えていたうちの両親の利害が一致したのだ。
彼女は幼い頃から俺のことを気に入っていた。ならば、とうちの両親は喜んで俺を翠川家に差し出したのだろう。
「……一つ聞いていいかな?」
「ん?」
「なんで、珠莉は被害に遭った時のことを覚えていたんだ?」
俺はいくらか落ち着きを取り戻すと、淳にそう尋ねる。
当時、彼女はまだ三歳。俺や淳が当時のことを覚えていないように、事細かく覚えているはずがないと思ったのだ。
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