七夕の夜

@8163

第1話

 八月最初の土曜日の夜は花火大会。同時に隣街では土曜・日曜と七夕祭りが催される。商店街に色とりどりの飾りがびっしりと垂れ下がり、通りの両側の商店の前には屋台の出店がずらりと並ぶ。七夕だが旧暦なので8月初め。蒸し暑くて昼間太陽が出ていたら歩くのも厳しいが、子供は平気どころか跳び跳ねて喜んでいる。でも中学生になるともう親とも一緒には歩かないし真っ昼間も来ない。夕方から夜中まで友達と誘い合って過ごすのだ。ただ、それも中学生まで、高校に入るともう七夕には行かず、花火デートに移行する。

 そうやって大人になって行くのだが、三十近くになって七夕祭りに付き合う事になった。男ふたり女ふたりのダブルデート、高校生のようだが、女の子に誘われたのなら断れない。鼻の下が伸びて垂れそうに成りそうな話だが、あまり気乗りはしない。どちらの女の子も恋の相手にはならない。若いし面白くないのだ。もう一人の男、清水さんは年上、もう三十になった筈だがいまだに独身。若い子と遊びたくてしょうがないようで、十九才のキミちゃんを狙っているようだ。ところがキミちゃんが二人っきりはイヤだと、そこから此のような具合になったのだ。

 どうやらキミちゃんの方から誘ったらしく、キミちゃんはファザコンなのかも知れない。決めつけるのは良くないが、色々と考えるならレッテルを貼るのは便利だ。マザコン、ロリコン、マニア、新聞もテレビもそうやって論理を進めて行く。そうしないと十九才のキミちゃんがどうして清水さんに興味を持ったのか理解出来ない。好き嫌いの判断の決め手は何だろう。説明できないものなのか?そんな事はないだろう。お父さんに似ているから好きとか嫌いとか、基準があると思うのだ。

 女の子二人は花のような柄の浴衣を着て、団扇を背中に差して右手に巾着をぶら下げ、コツコツと下駄の音を鳴らして歩いている。清水さんも浴衣と下駄の格好だが、巾着は下げておらずウェストバッグを腰に巻いている。金を出し、奢る気なのだ。その手始めが団扇だ。

 おかしな事に七夕には、その年の流行りがあり、電飾の付いたカチューシャが流行った年やらブレスレットの流行った年とか、毎年の流行が違う。それが今年は団扇みたいだ。それも浴衣の女の子のだいたいが団扇を背中に差して歩いている。特に小さな女の子が浴衣の背中に差していると団扇が大きく見えてバランスが崩れ、肩甲骨に当たるのか揺れて動いてチロチロと眼の端に映って可愛いし、繋いでいる手を辿って親を見上げる仕草も面白い。

 多分、年頃の女の子が流行らせたと思うのだが、浴衣を着て髪をアップにし、左手に巾着をぶら下げて持つと、顔を扇いだ団扇を持ったまま歩きながらアイスクリームを食べられない。そこで背中に差して右手を空けたのだと推理したが、団扇に後ろ姿の焦点が合い、それが止まって見えるから腰が揺れ、上半身はその反対にしなやかに動いているのが強調される。淑やかで色っぽい。その上後ろ姿なので男は、お望みのままの想像を巡らせ、妄想を膨らませたままビール片手に歩き続ける事が出来る。彼女らも、その視線を感じている筈なのに、祭りの興奮が勝っているのか、ほろ酔いなのか、上気した顔を夜風に晒している。

 それなのにアメミヤもオレも楽しくはない。どちらも付き合いで呼び出された訳で、かと言って別に予定はなく、誘われれば断る理由もない。恐らくキミちゃんに付き合わされてるアメミヤも同じだろう。

 普通なら、ここは残りの二人が良い具合になって、と、物語が進むのだろうが、そんな事にはなり得ない。アメミヤもキミちゃんもオレの彼女の同僚なのだ。情報の共有化に注意しなければならない。きっとオレの彼女は二人から今日の様子を聞き出してオレの内面の変化を探り出す。つまり見張られているようなものだ。油断がならない。

 まさかとは思うが、オレの彼女が仕組んだダブルデートじゃないか? そうだとすると、なかなかに複雑な七夕の夜だ。四方八方に触手を伸ばして探り、そつなく振る舞わねばならなくなる。早く酔っ払って羽目を外し、それを言い訳にして乗り切る手もある。ま、もう手遅れで、どちらも女たちの罠に嵌まるのは避けられないのかも知れない。

 おくびにも出さないが、アメミヤが清水さんとオレの行動を観察し、オレの彼女に報告するのは確実で、自分が法事で田舎に帰らなければならなくなって、一計を案じたのかも知れない。

 疑られるような事をしたのか? 実はしているのだが、覚られてはいない筈だ。していると言っても二股掛けるとか不倫をしている訳ではない。清水さんの風俗遊びに付き合っているだけだが、知られたら赦される筈もなく、しかし、なかなか止められない。馬鹿正直に生きてきたが、それが何だ。大人の世界では、それこそが馬鹿だ。真面目一筋では生きては行けない。本当の真面目は真面目なフリをして、それを隠れ蓑にして、不真面目をして本当は真面目じゃないと、他人に探られた時には映らないとまずい。底の浅い男だとバカにされるからだ。それでも、何か一筋に研究でもしているのなら、そんな韜晦も必要ないだろうが、そこまでの知性は期待出来ない。平凡な男なんだ。もはや自分の知性にも学歴にも期待値はゼロで、多分、世の中に流されて行くのみだろう。だが、それでも意地はある。心の奥底にコツンと当たる物でもあれば良いのだが、それも無い。でも、探られても、そこに到達出来なければ有るか無いかも判らず、誤魔化せる。そこを狙う。姑息なようだが、せめてもの抵抗だ。

 でも、それも気付かれるのはまずい。そんな男と結婚する女など居ないと覚悟した方が良い。平凡な男なんだと騙した方が無難だ。正に平凡なんだから。平凡から抜け出せない平凡な奴だ。

 ああ、こんな奴でも風俗に行けば他の男同様に相手をしてくれる。相手によっては同等以上だ。まあ、金を払うからだろうが、それだけでは無いような気もする。確かに恋の駆け引きを仕掛けて来る女が居るんだ。まるで結婚を望む女が拗ねたり怒ったりするのと同じ。素人も玄人もない。もうひとつ上の括り、女なんだろう。そう思うしかない。違うのか?

 ビアガーデンに行きたいと二人が言う。常設のビアガーデンなんて聞いたことがないが、飲み屋の入るビルの屋上が臨時のビアガーデンだとの案内がある。手書きの看板と矢印が斜め上を差し、屋上へと案内される。普段は洗濯物でも干しているのか、ビルとビルの間にポッカリと空いた空間にビーチパラソルの付いた丸いテーブルが六台ほど、アルミの椅子が四脚づつ。上には放射状にロープが張られて明かりの点いた提灯が下がっている。にわか作りが見て取れるが、座ってビールが飲めるのなら文句はない。早くも少し疲れていた。こんなことなら何処かの店にでもシケ込んでバカ騒ぎでもしてた方がマシなような気がする。七夕だと浮かれた演出でも企画され、派手な衣装で歓待さられるのかも知れない。

 そんな想いなどこれっぽっちも浮かばない女の子二人は、少し身を寄せ、不満を囁きあっているのか周りに聞こえないように声を低めている。

 清水さんが注文した生ビールとソーセージや肉のバーベキューが運ばれて来て、一気にジョッキ半分ほどを飲んで夜空を見上げ息を吐いた。黄色、青、赤、緑、オレンジ。三角形の旗が提灯の間に飾られて揺れもせずにぶら下がっている。賑やかしのつもりだろうが、ここでは侘しいだけ。しかし、無ければもっと寂しくなるのか? 提灯の中には電球が仕込まれていて、辺りは明るい。もう少し暗ければ酔いに浸れるのだが、明るすぎて安っぽく、余りに安っぽくて白けてしまい、いつもより酔えない。壁の汚れ床の凸凹。照らされて影が濃く、隣の席の女の顔の化粧の塗りも、白く飛んでお化けのようだ。首を戻し、アメミヤの顔に、眼球を動かしてキミちゃんへ、その顔の先には彼女の顔が浮かんで消えた。

 どうだか、この頃、だんだんと締め付けがきつい。嫉妬を隠さなくなって来ている。男同士の遊びにも着いてくる。男のメンツってものがある。釣りや競馬、キャンプ等には男だけで行きたいのだが、一緒に行くと利かない。足を引っ張っているとの認識が無く、あたしを第一に考えて、と、言いたいのだろうが、それとこれとは違うとは認めない。競馬では、ひとレース当てたから良いが、あのまま、ひとつも当たらなかったら何を言われたのか分からない。競馬なんて、当たる物じゃない。解ってる。解っちゃいるが止められないんだ。抵抗だ。人生に対する精一杯の抵抗だ。自分に賭けたり女に賭けたりして外れるより、馬に賭けて外れた方がマシだろう? 絶望せずに済む。それに、負ける事に慣れる意味もある。競馬に負けたって死ぬ訳じゃないが、人生に負けたら死んじゃうかも知れない。だが、慣れておけば死なずに済むかも知れない。競馬をする奴が自殺なんて考えられない。そうだろう?

 あと、キャンプだ。日常を忘れる為に山や海にキャンプに行くのに、キャンプの焚き火を眺めて星を見上げ、解放感を満喫したいのに、ファーブル昆虫記や何とか宇宙旅行など読みたいのに、女性週刊誌のネタみたいな話は止めてくれ! 一気に現実に戻されてしまう。

 枯れ木を集め、新聞紙を固く丸め、火もちを長くして種火を点け、徐々に火を大きくして燠火を作り、太い薪を入れた途端に、あの子失恋したみたい、と、恋バナ始めて、誰と誰がくっついただの別れただの、そんな話に興味はない! だが、言えない。耐えるしかない。キャンプに行ってストレス溜めて帰って来るなんて洒落にならない。

 過去にも隣のテントから一晩中夫婦の会話が途切れず、寝られない、などと言う経験もある。女が夫に主婦の愚痴を喋り続ける理不尽な物で、夫はひと言も反論せずに、ただただ大人しく聞いていた。いくら小声でも隣のテント。布一枚では声は筒抜け、寝られやしない。

 釣りで困るのはトイレだ。おとこじゃない。彼女を連れて行くのは構わないが、トイレは本当に困る。川釣りは山の中。都合よくトイレはない。車で走ってもドライブインか喫茶店が見つからない限り無理な話なんだ。だから止めておけと言ったのに、藪の中で尻を出してする事になる。色っぽいって? そんな気楽な物じゃない。音が、小便の音が聞こえるのだ。それまでは小鳥の囀りだったのに、我慢してたのかダムの放水のような勢いだ。色気もへったくれも無い。百年の恋も醒めるわ。

 隣の厚化粧の女が、酔いが回ったのか、ガハハと大口を空けて笑う。そして、仰け反った顔の眼球が動いて此方を向き、値踏みすると元に戻って肉を食い、またガハハと笑い始める。

 ビールを飲み干し空を見上げると、明るいので彦星は見えなかったが月は出ていて、立ち待ちなのか少し黄色く東の空に浮かんでいた。  了

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