第7話 つもりゆく鬱憤

 宿屋での一件があった数週間後、五人は酉暮の最北の町からザングの伝手で許可書なしで狗宵いぬよいに入ることができた。

 罪人が奉仕活動を課せられる金剛石の炭鉱がある土地よりも北東に上った処に狗亥はある。地図上では最も狗宵に近く、人の世界の最北でもある。

 その先の狗宵は殆ど陽が射さず、臆病な馬を使って通り抜けるには不向きだ。車輪の音を立てながら森に入るなんてことは、そこら辺を蔓延る魔獣たちに襲ってくれと言わんばかりだからだ。

 そのため、町から先は最低限の物資を揃え、それぞれで荷を担ぐなりして自らの足で進んで行かなくてはならない。

 また、野営を張るときは必ず火を焚いて交代で見張りをして不意の魔獣、妖獣の襲撃に備えておくことも必要と言われている。大がかりな焚き火は自らの居場所を示すことになりかねないが、光の射さぬ場所において最小限の火は不可欠だからだ。

 用心するものは魔獣、妖獣の奇襲だけでなく、同じ狗宵入りをした輩の中に物取りをはたらくような者もなくはない。そのため、身動きのとりづらい馬車での移動は厳禁なのだ。

 闇の森と称されるだけあって狗宵はひどく空気のひんやりとする。薄暗く、ほのかにいつも生臭い妙な臭いの漂っているような所だ。

 道を進むに連れて自分たちの存在の弱さを露呈していくような心細さが強くなっていく。

 特に、グドやテレントのような純粋な人間の血をひく者にとって、精霊の血が流れる他の三人とは違い、身を守る上での魔術すら使えないため、かなり身の危険を感じている。襲撃されれば己の持つ武器で以って己を守るしかない。だが、そんなものが自分たちよりはるかに強大な獣たちに通用するとは到底思えなかった。

 それまで活発な子どものようだったテレントが森に入ってから急激に大人しくなり、メルに文字通りぴったりと寄り添うように歩いていく様は少々おもしろい光景ではあったのだが。


「テレント、」

「っふぇー……でけぇ牙だなあの鳥……」

「テレント」

「ん? なに、メル」

「なに、じゃねぇよ、も少しおまえ離れて歩けよ! ここ足場悪ぃんだから!」

「なんでぇ、いいじゃん、俺は術なんて使えないんだからさぁ」

「そんでもグドはひとりで歩いてんだろぉが!」

「メルは俺のお目付け役なんだろ、じゃあちゃんと守ってよ」

「……都合のいい時だけそんなだよなぁ、おまえは……」


 陽が射さないために狗宵の中に拓かれた道は基本的に泥のようにぬかるんでいるところばかりだ。先人達が踏みしめることで成された道があるとは言え、ぬかるみは時折深くなっている箇所も多く、そこに脚を取られている隙に妖獣などに襲われてしまうことも少なくない。

 また、泥の中にも土の属性の魔獣や妖獣が息を潜めていることもあり、呑気に頭上を飛び交う翼獣を眺めている場合ではないのだ。

 油断のならない状況であるとはいえ、言い交わす言葉はともかく、テレントとメルは離れることなく並んで歩いていた。まるで互いが互いに寄り添うように、歩調を乱すこともなく。

 嫌がったり呆れたりする口ぶりの割りにはテレントを庇うように寄りかからせたまま歩くメルと、それを当然のようにしているテレントの姿に、後方で二人のやりとりを見つめながらフリトが呆れたように溜息をつく。

 彼は精霊の中でも闇の属性の血をひくため、人里よりもこういった場所は寧ろ得意だ。人里で浴びる矢のような冷たい容赦のない視線を浴び続けるよりも、人気のない暗い道の方がはるかに気楽なのだろう。

 今まで大きな口を叩いていた人間が、今では最弱の存在となって及び腰で怯えている姿が滑稽に思えて仕方なかったことも、フリトに呆れ交じりの溜息を吐かせる一因でもあるようだ。

 例えば、狗宵に入ってからの野営を張る時や、その見張りを任された時、テレントとメルは必ず一緒でないとならないという暗黙の決まりがいつの間にか出来上がっている。

 当たり前のようにそういうことを皆に無言で強いてくるテレントと比べ、自分の少し後ろを歩くグドが、同じように純血の人間であってもそんな素振りを見せないこともまた大きいのだろう。

 同じ純血種の人間同志でもこうも違うのか――その根本が二人それぞれを育んできた背面の違いによるものなのか、それぞれの中にある本質なのか、その差異はフリトにとってはどちらでもよいことだ。

 必要以上に怯える相手の揚げ足を取ったり揶揄したりすることで、暗く鬱蒼とした森の中を進む内の気晴らしになるのであれば、目の前を覚束ない足取りで進む足手まといな彼に苛立ちを覚えなくて済むからだ。


「大変だねぇ、闇に弱いと」

「っせーなー……今は足場悪ぃからメルによっかかってるだけだよ」

「ふーん……でもグドはひとりで歩いてるじゃん、同じ純血種なのに」

「こういうのは苦手なんだよ、俺は!」

「あぁ、そうだろうねぇ、ちゃんと足場の固まった、立派な道場とかじゃないと立つことできないんだもんねぇ」

「そうは言ってねぇだろ!」


 背後からかけられる揶揄にテレントがむきになって怒鳴り返すと、怒鳴り散らした声が静寂の森の中に木霊し、驚いた小動物や鳥達が時折騒ぎながら逃げていく。

 小動物達のざわめきは、時としてそれを餌とする大きな獣達をおびき寄せかねない。こんな足場の悪い時に襲われてしまえば大きな損害は免れないだろう。

 些細な揶揄に頭に血が上り、当たり前の事すら判断しきれないテレントと、更にその揚げ足を取ってせせら笑いながら言葉を続けるフリトを見かね、ザングが溜息をついて宥める。


「子どもじゃないんですから、つまらないことで何かを呼ばないでくださいよ? 無駄な体力や魔力は使いたくありませんからね」


 子どものように宥められた二人は、子どものように返事をし、それきりひとまず口を噤んでまた歩き始める。

 それでも、テレントの不機嫌さが治るわけでも、フリトの嘲笑うような潜めた笑いが止むわけでもない。

 苛立たしげにぬかるみの中を歩き続けるテレントと、それを見てまたおかしそうにくすくすと笑うフリトの姿に、他の三人が言葉にできない悩みの種を胸の奥で揺らしていた。

 こんなんじゃ先が思いやられるな……、そう、愚痴をもらしたくとも、そうすることで状況が更に悪化することは眼に見えていたため、一様に口を噤んで黙々と歩き続けるしかない。それが余計に二人の刺々しいやり取りに拍車をかけるのだった。



 魔獣や魔物の蔓延はびこる森なのだから、道中で大小様々なそれらの襲撃を受けることも多々ある。

 ある時は鎧のように硬い皮膚に身体を覆われた岩のような獣が茂みの中から突進してきたり、またある時は突然ぬかるみの中から足首を掴んで引き込もうとされたり、そのたびに五人はそれぞれの特性や特技を活かしてそれらと立ち向かい、退治することでなんとか森を進んで行く。

戦術としては、弓矢での射撃を得意とするグドや、剣術での接近戦を得意とするテレントが、魔獣らに致命傷やそれに繋がりそうな深手を負わせ、火や雷、氷などを操る攻撃的な魔術を得意とするザングがそれに応戦する。

彼らのうち誰かがもし負傷すれば、メルが傷や体力を回復させる魔術で手当てを施し、旅の続きに備える。

そしてそれらを息の根を止めてしまうと、その最後は必ずフリトに任された。肉体から乖離した魂を、彷徨わせることなく封じ葬ることで更なる凶悪な魔獣を生み出さないためだ。

生の裏側に位置づけられる闇に通じる魔術は、死者を弔うための術も持ち合わせている。

多くの魔獣や妖獣と遭遇し、それらを身の保全のためとはいえ、命あるものを殺めていくことをやむを得ない狗宵の旅には、黒い月を見ることができる闇に通じた者、闇の魔術を扱える者の力が不可欠とされているはそのためだ。

息絶えた獣の生臭い亡骸を、術を扱う当人以外は解読することができない文言を歌うように唱えながらそっと撫で、魂が彷徨さまようことのないよう導いてやるのだ。


「――タマミ・シトラヤ・ルガガ・カナタ……」


フリトの話によると、魂は弔いの歌によって北東にはるか彼方の谷に導かれていくのだという。そこは古くから死者の世界と現世の境界があると言われている。

 しかし、いくらこの森を行く旅に欠かせないとは言え、直接自分を身の危険に晒しながら魔獣たちに立ち向かう立場にあるテレントには、それがあまり腑に落ちていない様子で、時折弔いをしているフリトの周りをうろつくことがあった。

 フリトは術の最中に根掘り葉掘り聞きたがるテレントの存在を疎ましく思っており、何かを訊かれても答えることはほとんどなかった。

 しまいには、「邪魔だ、向こう行けよ」と、睨みつけられても、テレントは悪びれることもなく、それがフリトを苛立たせることとなる。

 テレントとしては、最初こそ純粋な好奇心からフリトにあれこれ訊ねていたのだが、ほとんど質問には答えない彼の態度に内心腹を立て始めており、それまで身を潜めていながら、災難の去った最後に出てきて、まるで自分たちの手柄を横取りしているようなそんな気がしてならなくもあった。

 その上に近頃は自分をあからさまに小馬鹿にするような素振りをする彼に、テレントは苛立ちと不満を更に募らせてもいく。

 小さな塵のような大きさにしか感じていなかった互いに対する嫌悪感が、やがて不意なきっかけを見つけて衝突するまでにそう時間はかからなかった。


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