第5話 拒まれる赤
「そろそろ今日の宿決めなきゃだな。ザング、ここらへんで一番安いとこ知ってる?」
西の空が朱色に染まり始める頃、グドがザングに声をかけた。彼は役所仕事の下請けをしていたことから、酉暮の各地の事情には詳しいらしい。
フリトのような軽犯罪者を取り締まったりするだけでなく、地方に出向いて納税状況を調査する仕事や、住民の戸籍調査などの雑務を任されることが多いからだ。
声をかけられたザングは、整備されていない道を走って揺れる車内を、中腰の姿勢で進みながらグドたちの真後ろに向かい、フリトとグドの間から覗き込むように町の様子を眺める。
黄昏色の夕陽に包まれ始めた小さな田舎町の通りには、仕事を終えて家路につく人々や、これから酒場へ向かって一杯ひっかけていこうと考えている人、その合間をすり抜けるように駆けていく子どもたちの声が溢れている。ありふれた田舎町の夕暮れの穏やかな光景に、一行の旅の疲れが溜息となって零れた。
「そうですねぇ……あの鍛冶屋の隣辺りに、確か安い小さな宿があったと聞いたことがありますよ」
「メシ、つくかな?」
「どうでしょうねぇ……馬はとめられると思いましたけど。それより、ここを過ぎるとこれぐらい拓けている集落は殆どありません。今まで以上に集落が少なくなってきますから」
「そっか……ってことは、もうちょっと食料とか武器とか買い足した方がいいかもね」
グドの言葉にザングは頷き、フリトが手綱を操って人の往来が多くなってきた通りに差し掛かってきた馬車の速度をゆっくりと落とし始めた。 立ち並ぶ家々からは夕餉の温かな匂いが漂い始め、町の盛り場と思われる店の前では早くも賑やかな声が聞こえる。
町の台所と思われる市場に立ち寄って一行は保存の利く野菜や干し肉やら葡萄酒、硬く焼かれた黒い
路上で買った物を荷台に積み上げていると、横を通り過ぎる人々が時折彼らの方を窺うように見つめてくることがあった。幼い子どもや遠慮のない者などは振り返ってみたり、わざわざ通り過ぎてから引き返してきたりもした。
そうやって彼らを眺めていった人々は一様にひそひそと声を潜めて何かを話し、そして必ず何か不吉なものでも見てしまったような渋い表情をして去っていく。
遠巻きに疎んじられているような不快感をほのかに覚えつつも、彼らは特に気にもかけず旅支度を続けた。田舎じゃ他所者が珍しいか、大袈裟な旅支度から太陰山連に向かう一行であることを推測したかで、そういった者を指して呆れるか嗤うような人々なのだろう、と。
ただひとり、周囲の指している正体を知る者が表情を硬くしていることにも気付かずに。
陽が西の山々の向こうに殆ど暮れてしまった頃、ようやく旅支度は整った。一行の馬車は先程ザングが宿泊を提案した宿屋の前に停まり、五人はぞろぞろと建物の中に入る。
客室の鍵がずらりとかかっている壁のある、帳場思われる受付台には、小柄で頭の禿げ上がったいかにも人のよさそうな顔つきの初老の男が立っていた。どうやらこの宿の主人のようだ。
「いらっしゃいませ、お泊りですかね?」と、宿屋の主人はニコニコと愛想よくグドに訊ねてき、「あぁ、今夜一晩五人分。」と、グドは他の四人の方を見渡すようにしながら答えた。ようやく移動で疲れた身体を横たわらせられるとあって、五人の表情は穏やかだ。
宿屋の主人は宿泊客を記録しているらしい帳面を、分厚い眼鏡越しにじぃっと眺めていたようだが、よくよくみるとその眼はグドの隣に佇むフリトの姿を上目遣いに鋭く見上げているのを、フリトは気付いていた。
暫くして主人は大袈裟に溜息をつき、さもさも申し訳なさそうな表情を作ってこう告げる。
「いやぁ……ダンナ、申し訳ないんですがぁ、生憎部屋が二人部屋が二つ、寝台が四人分しか空いてないんですわぁ」
「え? 四つ?」
「部屋の鍵あんなにあんのに? あれって空室ってことだろ?」
「あれぁ、全部今から来られるって知らせがあった分でして……」
「今から? もう日も暮れてるってのに?」
「えぇ、申し訳ない。うっかりしてましてねぇ……」
主人は口調では下手に出た腰の低い物言いだが、頑として四人しか泊めないつもりらしい。壁の鍵掛けにこんな夕刻に並ぶそれらが今からすべてなくなってしまうような団体客が、こんな田舎の集落の小さな安宿に押し寄せるような事など考えにくいのに。
しかしこの宿以外に宿泊を考えるとなると、それこそ屋根のある寝床にありつけないことが考えられる。小さな町に馬付きで泊まれる宿は限られているからだ。
突然不可解な言葉を言い出した主人に、グドたちは顔を見合わせて疑心を巡らせていたが、ひとりだけその真意を理解している者が口を開いた。
「――俺が寝ればいい」
「え? フリト、何言って……」
「そうだよ、こういうのはくじ引きとか話し合いで公平に……」
「いい。どうせほら、荷物も見とかなきゃだしさ」
「や、ですから話し合いで決め……」
「あ、フリト!」
グドの隣でじっと主人とのやり取りを聞きながら俯いていたフリトが、他四人の止める間もなく建物を出て行ってしまった。扉に掛けられた黄金色の小さな鈴が揺れて、チリチリとささやかな音を立て、気まずい沈黙の中に響く。
フリトの突飛な行動に一同が顔を見合わせ合っていると、「――はーぁ……物分りのいいのでよかったわ」と、主人が呟いた。
声に、グドが意味を問うような目線を投げると、主人は大袈裟に肩をすくめて、それから先ほどまでとは違う、どこか含みのあるような顔でニヤニヤと笑って応える。
「旦那達も人が好いねぇ……あんな
「……どういうことだ?」
「どういうこともなにも、旦那、ここいらじゃ常識じゃあないですか、赤眼は闇の申し子だってのはさぁ」
「赤眼……って、あいつのことか?」
「あったり前でしょう。あんなのに関わってたらたちまちろくでもないモンに憑かれちまいますよ」
「だからって……」
「旦那達がどういう経緯であの赤眼を可愛がってんのかアタシには解りませんが……ま、用が済んだら早いとこ追っ払っちまうのが身のためですぜ、ホント。あぁ、おい、清めの塩を持ってきておくれ。ったく、一日の終わりにとんでもねぇモン見ちまったよ……」
帳場の奥の方に大声で主人はそう言いつけ、程なくして宿で働いているとみられる痩せた少年が出てきた。手には言いつけられたとおり、塩の入った壺が抱えられている。
「旦那たちもどうです?」と、主人はひと掴みテレントの方に差し出してき、差し出されたテレントはそれをおずおずと受け取る。
「それにしてもあんなに堂々とツラ曝してるってのも初めて見ましたけどね」と、言いながら、主人は四人に二人部屋の鍵を二つ手渡し、宿場女を呼んで部屋に案内させた。
部屋に案内されて外套を壁に掛けたり荷物を床に下ろしたりしている間も、グドはそれきり口を硬く噤んだまま複雑な感情の滲む表情をしていた。
この町に入って旅の買い物をしている間、行きかう人々が、時折自分たちの方を遠巻きに避けているような、人々から疎んじられているような不快感を覚えたことをグドは思い出していた。
ひそひそと声を潜めて囁き合っていた言葉を拾い集めることはできなかったが、それらとそれに伴った眼差しは、全て自分たちではなくフリトに注がれて向けられていたのではないかと、彼は今更に気付いたのだ。
「あんなに堂々とツラ曝してるってのも初めて見ましたけどね」
さっきの主人の言葉と清めの塩を持ちだしてきたことを思い出すたびに、何とも言えない不愉快な気分が蘇る。それから、初めはどんなに自分が瞳の綺麗さを述べても、頑なに布を取ろうとしなかったフリトのことも思い出した。
日除けのためでなく布に覆われていた素顔は、まだ自分が考えているよりもずっと深い闇にも包まれているのかもしれない。
よく知りもせず、ただ綺麗だからという理由で、要は、自分が常に眺めていたいからという下心で、彼を守っていた覆いを強引に引き剥がしてしまったのだ。己の浅はかさにグドはぶつけようのない怒りで腸が煮えくり返っていた。それから、深く彼を知りもせず軽蔑する人々の心の醜さにも。
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