第3話 旅が始まる条件を揃えるためなら手段は選ばない

「ここに、金貨五十枚がある。この占い師の罰金分と……残り十枚でその奉仕活動とやらを免除して欲しいんだけど」

「――私を買収する、と言うことですか?」

「ま、要するにそうだね」


 人懐っこそうな笑顔を浮かべるグドと、穏やかな顔で受け応える紫の眼の男の狭間で、当のフリトだけが納得のいかない顔をして両者を交互に見る。自分の意思と関係なしに二人が自分の身柄の行方を勝手に決めようとしているからだ。

 フリトには客にお情けをかけてもらうほどに自分が落ちぶれたつもりなどさらさらない。商売の邪魔をされ、挙句役人を買収してもらって無罪放免してもらう、こんな屈辱的な扱いがあるだろうか。警戒心の上に更に侮辱の怒りを上塗りされて、思わずフリトは声を荒げた。


「俺はあんたに占い代金払えとは言ったけど、罰金払えとまでは言ってないじゃんか! しかもこいつを買収してまでとか……」

「べつに俺は慈善事業でこんなことやってるわけじゃあないよ」

「じゃあなんで……」

「闇の月の話、知ってる?」

「闇の月? 月の城の……竜の宝のこと?」


 干支国の北の外れ、闇の獣たちが蔓延はびこる森の広がる奥には、太陰山連たいいんさんれんと呼ばれる高山が連なる地帯がある。そこには月の城と呼ばれる古城があり、古来様々な言い伝えがある。

 中でも、城の主と云われている竜が持つ宝、「闇の月」の話は大変有名ではあるのだが、未だかつてそれを実際に眼にし、手にした者は皆無だ。

 宝の姿は世界最大の黒色金剛石であると言われてはいるが、その所在の詳細を知る者が現世に存在しない、言わばお伽噺の域にある話であるため、真偽のほどは定かではない。

言い伝えによれば、それを手にした者は全ての望みと富が約束されると云われている。また生きとし生けるものの永遠の夢である不老不死を叶える、とも。

そのせいか、伝説の秘宝を求める人々が、年齢性別、貧富の差も問わず昔から後を絶たない。

数百年来、御伽噺や伝説のように語り継がれている秘宝に魅せられて地位も財も失ってしまう者も少なくなく、時には旅路で命までも落としてしまう場合だってある。

そのため、いつの間にか人々は「闇の月」の話をまともに信じ込んで人生を狂わされた者を、ひどく愚かな者として見るようになっていたし、夢見がちでろくでもない人間でないことの代名詞として、「あいつは闇の月にかれてる」と、揶揄やゆされることもあった。

 そんな話をする人間など酉暮とりぐれの、特にこの界隈には多くいたし、実際フリトのもとに秘宝探しの行く末を占いに来た者だって数え切れないほど見てきた。

 強欲の闇に心の眼を塞がれて真実の光を失い、真実の声を聞く耳を奪われて彼の占いが発する警告や忠告を曲解し、眼に映るすべてを穿って見るようになってしまった、魔獣や妖獣よりも恐ろしい生き物になりかけている人々の姿を。

 この男たちもまた、愚かな、と一蹴するにも値しない、そんな愚物になり果てていくような者なのかと、フリトは冷淡に見つめながら思っていた。伝説に魅せられすべてを狂わせていく者たちをフリトは格段に軽蔑してきていたからだ。くだらないお伽噺に翻弄されるなんてよっぽど頭が平和で、生きていくことに退屈している愚か者なんだ、と。

それを横に置いたとしても、自分を免罪にしてくれと、彼が男を買収しようとしている理由がわからない。おおよそ愚かなことに巻き込もうとしていることぐらい察しはついていたのだが、話の点と点を繋ぐものがない。


「太陰山連に行くには狗宵いぬよいの森を絶対に通らなきゃ行けないんだよね。でも、あそこは俺みたいな何の魔術も使えない生身の人間が立ち入れる場所なんかじゃない。だから……」

「だから、闇の魔術を扱える者が必要で、私に彼を見逃せ、と?」

「ま、そういうこと。ダメかな? 一応これ俺の全財産なんだけど」


 この男は、グドは、自分を必要としているという。それも自分の全財産を投げ出してまで。真偽の程がわからない秘宝に魅せられてしまった者の中でもこいつは格段におかしいのかもしれない……フリトはそう思いもした。これまで彼が生きてきた中でそんな風に自分に接してきた者など記憶にないからだ。


「ねぇ、こいつがあんたに金貨を渡して、そんでこいつの仲間にしてもらったら、俺はもう追っかけられないの?」

「えぇ、まぁそういうことにはなりますね。グドの仲間に加えていただかなくても罰金刑だけはなくなりますねぇ」


 フリトの問いかけに紫の眼の男は思案顔で答える。金貨の詰まった麻袋を前に、何事か思いめぐらせているようだ。相変わらず、表情からは感情を読み取ることは難しかったが。

 そして暫くして、彼は軽く頷きながらグドにこう応えた。


「金貨は四十枚、罰金分だけをいただきましょう。」

「残りは?」

「あなたにお返しします。」

「やっぱ役人を買収して免罪ってのは甘かったかな」

「いいえ、免罪をしないわけではありませんよ。ひとつ、条件があります」

「条件?」

「私もあなた方に同行させるということです」

「えっ、あんたを? 俺は構わないけど……あんた役人じゃ……」

「いつ、私が役人だと名乗りましたか?」

「違うの?」

「役人が自らあんな危ない場所に出向いて罪人を捜して捕らえるなんて事はしませんよ、今時。私は雇われの者です」

「雇われ……」

「どうします? 狗宵に行くまではまだ道のりははるか遠いですよ? あなたは見たところこの町の者ではなさそうですし……」

「よくわかるね」

「この町に混血でない人間はかえって珍しいですからね。……さて、どうされますか?」


 くすくすと月明かりの下で微笑む彼と、橋の上でこちらを窺う二人とを交互に見ながら、グドはまた少し考えていた。

 フリトを役所の追っ手から解放することはとりあえずできるようだ。この男が同行することは自分たちの旅に有益にはなるだろうけれど、それによってフリトが加わってくれるかどうかはわからなかった。グドはどうしてもフリトが旅に必要だと感じていたし、実際にその通りであるからだ。

 グドは顎の下に手をやり、真剣に悩んだ。二者択一を迫られているものの、彼にはどちらか一方だけを選ぶ気など毛頭ないからだ。


「ねぇ、あんたさぁ」

「……グドっていうんだけど。」

「ねぇ、グド……あんたは俺が必要なの?」

「うん、あんたがいて……」

「俺は、フリト」

「フリトは、闇の魔術を扱えるんでしょ? だったら、あの森に足を踏み入れるのにどんだけ闇の魔術の使い手が必要か、知ってるよね?」


 太陰山連への行く手を阻み、多くの秘宝探訪者の命を奪う大きな元凶となっているのが、狗宵と呼ばれる鬱蒼うっそうとした森だ。そこは人間や人間と共存している精霊たちをひどく敵視する魔獣や妖獣たちが巣食っている。

 光の射さないそこは進むほどに魔や負、闇の力が強大になっていくとされていて、生身の人間が一歩踏み込めばたちまち餌食えじきになってしまう。

 そこを潜り抜けていくには闇に通じる者の導き――月を診る力、つまり闇の魔術を扱える者の力が不可欠と云われている。そのことから、グドはフリトを必要だとしているのだ。そして、その理由も闇の魔術を扱えるフリトならば既に知りえている筈だ、とも。


「俺は生まれ故郷の村の命運を背負って闇の月を捜しに行くんだ。どうしたって見つけたい。だからフリトについてきて欲しい」

「ふーん……村の命運ねぇ……」

「村を治める家の者としての務めが俺にはあるんだ。だから、闇の月をどうしても見つけなきゃいけない。頼むよ、フリト」


 村のためだとか、命運だとか、流れ者のフリトにとってはどうでもいい話だ。そんな話はつまらない見栄にとり憑かれた莫迦者でしかないと思っているからだ。

 だけど――この男は、グドと言う男は、数多あまたいるだろう黒い月を診られる者の中からあえて自分のようなものを選んできた。しかもこんなお尋ね者の紅い眼の者を。


(――こいつ、特段にお人好しなのかもしれない……)


 フリトは、思わず忍び笑いを零してしまうほどの興味がグドに湧いた。これまで覚えたことのない感情を湧かせる存在が面白く思えたのだ。

 懇願してくるグドの掌に載ったまま差し出されていた麻袋を、ひょいとフリトが摘み、手早く金貨十枚を抜き取ると、残りを袋ごと紫の眼の男の方に放り投げる。抜き取った金貨の内三枚は自分の懐に入れ、残りはグドに投げて寄こした。


「そんなに言うならついてってやってもいいよ」

「ホントに?」

「でも」

「え。何また条件?」

「その宝の分け前はきっちり頂くからね」

「えー!」

「当たり前でしょ、タダで、っていうなら、この話はなかったことになるけど、いい? グドの村の命運とやらがどうなってもいいなら話はナシだね」

「うぅ……で、でもどれぐらい…?」

「それはそん時に決める。この世で一番大きな黒色金剛石か……売り払うには大き過ぎるかもしれないけど、金持ちの閑人な貴族とかなら買ってくれるだろうし……削ってあちこちで売りさばくってのもありだよね」

「あのさ、まだ見つかってもないし、探しにも行けてな……」

「そのためには俺が要るんでしょ? どうすんの? 分け前惜しいからやめとく?」

「うぅぅー……」

「言っとくけどね、俺ほどの闇の魔術の使い手はそうそういないよ」


 青白い月が夜の頂点に達して五つの影を石畳の上に映し出す。すえた水の臭いと、岸辺の売春宿の隙間から枯れた雌鳥のような声が漏れ聞こえる沈黙の中で、紅い眼がふわりと笑ってグドを見つめる。闇の色をした髪と月明かりが、透けそうなほど白い肌を縁取り、その右眼に収まる紅玉色を際立たせている。

 通り一本向こうで宵口に客待ちをして並ぶ花街の女たちよりはるかに嫣然としたそれは、わかりきった答えが差し出されるのを待っていた。


「――わかった、闇の月が見つかったら、相応のものをあげるよ」

「当たり前だろ」

「私についてはお構いなく」

「それは助かる」


 いたずらっぽく笑うフリトの姿と、二人のやり取りを眺めていた紫の眼の男の姿を、グドは観念したように苦笑して見つめた。

 そうして、闇の月を巡るグド達の旅の物語が幕を開けることとなる。


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