第2話 追いかけられる者と追う者の対峙

「しつっこいなぁ……まだついてくるつもり?」

「申し訳ないですがそれが私の仕事なもんで」

「俺よりろくでもないね」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」


 歓楽街を少し北に行くと売春宿などが立ち並ぶ小さなドブ川に行き当たる。店を飛び出していった二人は方々を駆けまわり、しまいにはその細い川を挟んで向かい合うように対峙していた。

 紫の眼の男は、口調同様薄っすらと穏やかな笑みを相変わらず浮かべていたが、追いかけられている占い師には挑発するような口調の割りに余裕のない表情をしていた。

 ここまで来る途中で占い師は頭から覆っていた布などはどこかへ落としてしまったのか、真っ赤な瞳が右側に輝く顔が露わになっている。石榴(ざくろ)の実のように紅い右眼に青い月明かりが射していた。


「さて……追いかけっこなんてそろそろ終わりにしましょう。疲れたでしょう、黒詐欺占い師、フリト」

「詐欺は余計だよ、詐欺は!」

「役所に届けもなく、法外な代金をふんだくって闇の魔術や占いを扱うあなたが悪いんですよ」

「だ、だってそんな金ないもん……金貨二十枚なんてどっちが詐欺だよ!」

「それだけ喚き散らす元気があるのなら充分に罰の奉仕活動が出来ますね、フリト」

「誰が……!」


 フリトの反論を待たずに紫の眼の男が小さく何か文言を唱え始めると、すかさずフリトもまた言葉を唱える。


「――オノホ・アケ・ヒシシ」

「ヨミ・ザメメ・ウリュヨク」


 どちらも旋律のような言葉の並びではあったが、それぞれが醸し出す空気は対極にあった。

 紫の眼の男が唱える言葉からは柔らかな光の粒が、闇の魔術を扱うというフリトが唱える言葉からは薄灰の霞がゆらゆらとどこからともなく現れ始め、やがてそれぞれの足元で渦を巻き始める。

 男の言葉とフリトの言葉にそれぞれの足許の地面が呼応するように大きく揺れ始めたかと思うと……男の足元からは燃え盛るように開く紅蓮のような大きな紅い獅子が、フリトの足元からは漆黒色の翼を持つ小ぶりな竜のような生き物が生えるように姿を現した。

 どうやら、二人はそれぞれ飼い慣らしている魔獣、あるいは妖獣を召喚し、それによって相手を封じてしまおうと考えているようだ。

 この国で魔獣を飼い慣らし召喚し、意のままに扱える者は少なからず精霊の血を受け継いでいるものでなくてはならない。その血の中の精霊の割合が濃ければ濃いほどその能力は高いとされるので、おそらくこの二人はかなり近い肉親が純粋な精霊なのだろう。文言を唱えるだけでこれだけの魔獣を召喚できることからうかがえる。

 呼び出された獣たちは、それぞれの主に忠誠を誓うように頭を垂れ、それをまた彼らが撫でる。


「――アケ、捕らえなさい」


 ひと時の触れあいもそこそこに、紫の眼の男が獅子をフリトのいる方向へ促し、獅子の火柱のような肢が石畳を蹴り上げんとした。

 その瞬間、ひゅっ、と何かが両者の間を流れる川の中に飛び込んで突き刺さる。川底のヘドロの中に突き刺さったそれは、この辺りでは見慣れない漆黒色の金属で出来た矢で、二人の身の丈ほどの長さもある。

 二人が、気の昂ったそれぞれの魔獣を制し、矢の飛んできた方を振り返ると、川の上に渡されている橋の欄干の上に、先ほどの酒場で占いを依頼してきた金髪の男が、構えていた弓を下して仁王立ちになってこちらを見下ろしていた。


「あいつ……」


 フリトが、矢を射って来たのが先ほどの占いの客だということに気づくのと同時に、その背後からまたこちらを覗き込むように緑の眼の男と、店で横やりをよこしてフリトを激怒させた褐色の肌の男が顔を覗かせる。

 予想外の野次馬の登場に戦意を削がれ、二人は足許へそれぞれの魔獣たちを帰した。野次馬に見物させてやるほどに自分たちの術は安くはないと言いたげに。

 吸い込まれるようにして消えていった獣の姿に、安堵したような、呆れたような溜息を、褐色の肌の男と、その隣にいた緑の眼の男が揃って口を開いた。


「はいはいはいはい……そこまでー……」

「おまえらなぁ、町のど真ん中で魔獣を真正面からぶつけようとするなよ。町の半分が吹っ飛ぶだろ、あんなでかいの同士だったら!」

「……何しにきた」

「用があるのは俺でもテレントでもねぇよ……ほら、グド」


 男に促されるようにグドが下ろした弓を背に負い、足もとの石造りの欄干を蹴ってフリトの近くに降り立つ。そのまま傍らの川に片足を突っ込み、川底に刺さったままの矢を引き抜いて矢じりに絡みついたヘドロを払う。

 断りもなく近付いてくるグドに、露骨に警戒心を示すフリトの表情は硬い。それに構うことなく、グドは外套の内から先ほど店に忘れていった色札の束を取り出して差し出した。

 あからさまな警戒心を見せ続ける自分に何の躊躇いも不快感もなく近づいてくるグドを、フリトはますます油断ならない奴だと構える。


「これ、忘れてったでしょ」

「だから?」

「あとさ、さっきの料金まだ払ってなかったし……いくら?」

「金貨三枚」

「高っ! もうちょっと負けてよ!」

「迷惑料だよ。勝手に占いの結果解釈して騒いでさ……営業妨害だ、あんたらは。これでも負けてやってんだからね」

「だからその結果も聞いてないのにぃ……」

「結果はね、“これからあんたには畢生をひっくり返すようなことが降りかかる”だよ。これで満足?」

「畢生をひっくり返すかぁ……ふぅん、それは良いことで?」

「さあね。そこんところはあんたらが邪魔したからもうわかんないよ」


 フリトの素っ気ない言葉に、グドはあからさまに肩を落としたが、「まあ、死ぬわけじゃないみたいだからいいか」と、朗らかに笑った。

 正位置でないとはいえ、闇の色札を引き当てながらもそんな呑気な顔をするグドに、フリトは虚を突かれたように目を丸くする。その表情は、先ほどまでの警戒心剥き出しのものとは変わって幾分彼を幼く見せた。

 その表情はすぐまた闇に紛れてしまったが、グドの心の中に沁み込むように焼きつけられたのだが、本人は気付いていない。


「で? 結果を知れたんだから、払ってくれるんでしょ?」

「あ、ああ、そうだね」


フリトからの言葉にグドは顔を上げ、金貨を3枚と、届けにきた色札共に引き渡そうとしていると、それに更に手を差し出す者がいた。フリトを追いかけてきた紫の眼の男だ。

 至極当然と言わんばかりの微笑みをつけて手を差し出してくる彼に、フリトは警戒心を再燃させる。


「……なにその手。コレは俺の稼ぎだよ!」

「とりあえず、その分だけでも徴収させていただきましょうか」

「はーぁ?! なんでそーなんだよ! 譬えそんなことしたってどーせ免罪されないんでしょ!」

「おや、よくわかりましたね。まぁ、奉仕活動をするのが数日か数時間少なくなりはするでしょうけど……」

「そんなの意味ないし!」

「あのー……」

「はい?」

「さっきからさ、なんであんたこいつのこと追っかけてんの?」


 フリトと紫の眼の男の事情が飲み込めないグドが恐る恐る男に問いただすと、男は淡々とフリトの罪を簡単に説明し始める。

 酉暮では、近年凶悪化する歓楽街の治安強化のため、ひとまず、暗躍する売買よりも、一般の人々の目につきやすく、搾取と取り締まりのしやすい占い師たちの取り締まりをここ数年厳しくしている。

 そのため、座を設けていただけでこのような騒ぎになってしまうことも少なくなく、それでなくても、もともと役所の許可なしに闇の魔術を商売に扱ってはいけないことになっている上に、役所からの許可を得るには最低でも金貨二十枚はくだらない。

 加えて、フリトの場合は謝礼金が高すぎるという垂れこみが後を絶たないのだというのだが、フリトに言わせれば、金額は占いに見合った額だということではあるらしい。

 そう言った事情から、フリトへの警告に次ぐ警告を無視し、実力行使すら交わし続けてきたことも含め、すべての罪をざっと合わせると金貨四十枚はくだらない罰金刑と、最北の荒れ地での奉仕活動三ヶ月が彼には課せられているということだった。

 奉仕活動は荒地での重労働のことで、課徴期間の間が悪ければ死も意味することになる。

 男がグドにフリトの罪状を説明している間も、フリトは二人に警戒心を放ったまま睨みつけていた。さっさとグドから占い代金を頂戴して一刻でも早くこの場を去りたくて仕方なかったからだ。

 苛立っている様子が前面に出ているフリトを他所に、グドは金貨3枚を一旦懐に戻し、再びそこから麻でできた小さな袋を取り出し、こう切り出した。


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