闇の月を巡る碧眼の旅人と赤眼の術使い

伊藤あまね。

第1話 ある夜の出逢いは最悪

 晩春の青い月の夜、鮮やかな金髪に碧眼のひとりの若者が西の都、酉暮とりぐれの歓楽街の中でも指折りにガラの悪い飲み屋街をふらふらと歩いていた。

 干支国かんしこくの政の中心である東の都、明卯あけうと同様、さまざまな人種――人間は勿論、妖魔や精霊の血を受け継ぐ者やその混血など、実に様々な種類の肌の色や髪、瞳の色を持つ人々――が、集まることと、商業の中心地でもあるせいか、大通りを一本入るとたちまち治安も雰囲気も悪くなる。

 宵を迎える頃となるとそれは一層の色を増す。

 ここでは違法的な商売や薬物・武器・人身の売買など、金さえ払えばこの街で手に入らないものはないとも言われている。

 その通りの一つを行く、空に掛かる三日月のような大きな弓を背負った彼は、誰かを捜すように、時折立ち並ぶ店の中を覗き込んだりしている。

 そうして、何軒目かのひとつの古い飲み屋を覗き込み、入っていった。

 店内は一日の仕事を終えた者たちが浴びるように飲み交わす酒の臭いと、せ返るような熱気、それによって気化していく大衆の汗の臭いで店の中はひどい臭いがしている。

 そこへ更に酔いが加わり、人々の口調も態度も乱暴になった騒々しい怒鳴り声や笑い声が響く。彼はその間を器用にすり抜けながら店の奥へと進んでいく。

 喧騒と臭いから逃れるようにして辿り着いた処には、真っ黒な布ですっぽりと頭も顔も覆ってしまっている奇妙な格好をした者がひっそりと座る一角だった。

 彼はその卓の上を軽く叩き、座ってもいいか? と、訊ねる。黒い影はちらりと彼を見上げるような素振りをして、そして小さく頷いた。


「――黒の月が診れるってのはあんた?」


 影の前に座りながら彼がそう聞くと、影はまたこくりと頷き、そして黒い布の下から掌の半分ほどの大きさの古ぼけた色札の束を取り出す。

 ちらりと覗いた色札の表には炎や水、樹木や光などといった万物をつかさどるとされる精霊の絵が鮮やかな色彩で描かれていて、影はそれらを裏返して手繰り始める。

 色札を手繰る仕草が妙に軽やかで神秘的に見えてしまうのは、この者が醸し出す雰囲気の怪しさによるものが大きいように思えた。

 纏う雰囲気から察するに、どうやら黒尽くめの影は占い師で、これから占いを始めるらしい。先ほど金髪の彼が訊ねてきた言葉はその依頼だ。

 占いを依頼する際は先ほどのように「月を診て欲しい」と頼むのがこの国では一般的だ。

 占いは魔術や妖術を扱うことにも通じるせいか、古来よりこの国の人々の拠り所になっている存在なのだが、表だって占いで商売をしている者は少ない。

 取り扱う際は役所の許可を求める地域も少なくなく、拠り所にしながらも、魔術や妖術といった得体の知れないものを扱う存在を、生物というものは本能的に遠ざけておきたいという心理からくる矛盾なのだろう。仮に商いにしている者がいたとしても、あくまで副業として口伝えで客を集めるか、このようにひっそりと盛り場の片隅などで座を設けているかだ。

 この占い師のように「黒い月を診る」ことは、色から闇を連想させるせいか特に忌み嫌われている。

 しかし闇は生の対極にある死に繋がると考えられていることからか、魂の還る場所とも言われている。そこから波及した魔術が闇の魔術で、それを操れる者はあらゆる魂の在り様を導き出すことができるという。

 黒の月を診てもらうことは、魂の在り方、つまり、自分のこの先の人生を見定めてもらうということにも繋がるという。人生における大きな選択や転換期を目前に控えたものなどが、特にこの占いを求めてくることが多いと言われているが、真偽や詳細は定かではない。

 黒尽くめ占い師は手繰り終わった色札を次々と捲って手際よく卓の上に並べていく。並べられる色札はどれも色彩が暗いものばかりだ。

 最後に残った色札の束を彼の前に差し出し、そこから一枚捲るようにと促す。彼はそのとおりにし、一番上に載る色札を一枚引いて卓の真ん中に置いた。

 色札の絵柄は火・水・木・土・風の万物構成の五つの要素のどれにも当てはまらない黒が基調の「闇」――占われた者の死や災いを示すと言われている色札だった。

 占いに疎くても、色札の絵柄が示す不吉さぐらいは金髪の彼にもわかっていた。広げられた卓の上を眺める表情に思わず強張りと緊張が走る。

 彼が占い師に色札の意味を問うように視線を上げると、対峙している影の被る布の隙間から僅かに真っ赤な瞳が覗く。炎のように紅く、血のように深い色をしたそれに、彼は吸い寄せられるように魅入る。


(――……赤い……いや、紅い、綺麗な眼だ……)


 彼の遠慮のない視線に占い師も気付いたのか、不快感を露わにした眼差しできつく睨み返す。彼は慌てて目線を外して占いの結果が告げられるのを黙って待つことにした。

 と、そこに二人連れの若い男たちが近寄ってきて彼の肩を叩いた。振り返ると、日によくやけた褐色の肌をした丸顔の男と、その少し後ろに緑色が複雑に混ざり合った色の眼をした眼鏡がんきょうと呼ばれる、薄い玻璃はりを金属で留めたものを鼻にかけた男が立っている。


「よっ、なにやってんの? 占い?」

「あ、うん。この旅の幸先も見てもらおうと思って」

「ふーん? で、なんだって?」

「や、まだ結果は聞いてな……」

「うっわ、これ闇色札じゃん! グド、おまえ大丈夫かよ?! 幸先悪ぃなぁ」

「や、だからまだ結果聞いてないんだって」


 褐色の肌の男はどうやら気が短いのか、グドと呼ばれた金髪の彼の言葉を聞かずに勝手に早合点をして卓の上の色札に大袈裟に落胆する。

 占いの結果を占い師が告げる前に勝手に他人が口にしてしまうことは、占い師にとって屈辱的なことであり、なにより営業妨害である。黒尽くめの占い師は一見じっと黙しているように見えたが、黙していても怒りの感情がにじみ出てきている。

 グドはそれを肌で感じつつも、横やりをよこしてきた男の早合点と口は止まる気配がない。

 とは言え、グド自身も広げられた占いの結果を薄っすら自分なりに解釈して案じていただけに、強く言い返せないでいた。

 まだ聞きもしていない結果を前に、グドに声をかけてきた男が勝手な解釈のさらに披露しそうになった時、押し黙っていた黒尽くめの占い師が、ひどく小さな、しかしひどく負の感情を込めた声で呟く。それはまるで呪詛を吐くように。


「――そんなに言うなら……この結果、本当に闇にしてあんたらに吹っかけてやろうか?」


 占いの中でも闇に通じる特殊な術を巧みに扱うだけのことはあって、呟かれた言葉には信憑性と迫力に満ちていた。

 幸先が悪いだのなんのと、詳しい結果も聞かず、グドが悪いわけでもないのに彼をなじり始めていた男の表情が、呟かれた言葉と迫力に気圧されて凍りつく。

 グドとその男、そして緑の眼をした男が揃って占い師の方を見やると、先ほど覗いていた真っ赤な瞳が更に紅みを増してこちらを睨みつけていた。

 瞳に滲む怒りの感情に偽りは微塵もなく、あと一言誰かが口を開いたらたちまち占いの結果が闇となって降りかかってきそうな気配だ。


「その言葉、ご自分の立場をわきまえてから口にしたらどうなんです?」


 不穏で張り詰めた空気の中、対峙している両者の間を割るように、またひとつの声がかけられる。

 一同が揃って声の方に眼を向けると、濃紺に似た艶やかな長い黒髪を垂らし、左の紫の瞳が印象的な男とも女ともつかない者が傍らに立っていた。

 声の低さからして男だと思われるが、ゆったりと微笑みすら浮かべる表情からそれを読み取ることは難しい。

 しかし、その人物の姿を確認した途端、黒尽くめの占い師は商売道具であろう色札もそのままに、座っていた椅子を蹴りあがるような勢いでそこを飛び出していったのだ。


「っくそ!」


 誰が止める間もなく、酒と人いきれで噎せ返るような混みあった店内の中を、隙間を縫うようにして占い師は姿を眩ませてしまった。

 グドたちを置いて突然逃げ出した占い師の後を、「ほぉ、追いかけっこですか」と言ったかと思うと、紫の目の男もまた店から飛び出していく。

 二人がひっくり返した椅子や卓などの激しい物音に、あんなに騒がしかった店内が一瞬静まり返ったが、すぐにまたざわざわと声が上がりだし、何事も今の今までそこに占い師がいたことすらなかったかのように騒々しさを取り戻す。

 突然の出来事に呆然と暫くの間を置いてグドたち三人がお互いの顔を見合わせると、ふと、グドがしゃがみ込んで足元に散った色札に目を止めて拾い集め始めた。

 最後に自分の占い結果と思われる闇の色札の絵柄を上にして重ね、それを外套の内側に押し込む。


「届けてくる」

「はぁ? おま、なに言って……」

「代金も払ってないし」

「でも、あんな勢いで飛び出してったんだからどこに行ったのかわかんねぇぞ?」

「大丈夫、すぐ見つかる。……それに、あいつは必要だ」

「え? どういう意味?」


 グドの言葉の真意を測りかねるという顔をする二人に、彼は、「知りたいんだったらついてきなよ」と言って立ち上がり、足早に店を出て行った。

 彼の意を測りかねると言いたげに顔を見合わせていたが、残された二人も後を追うように店を出て、グドと共にあの飛び出していった不可思議な二人を探すことになった。


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