第32話:決戦

 魔王は、当たり前に強かった。カスタネルラと同様、膨大な魔力を持ち、それを用いて肉体と魔術を強化している。行動パターンは決して複雑ではない。幼い少女の外見通り、リーチは短いし、技術面でもそこまで優れてはいないと見て取れる。だが――。


「よっと」


 魔王が軽い声と共に跳躍し、蹴り掛かってきた。その速度も、威力も、常人であれば躱すどころか視認すら困難なレベルである。カスタネルラは視力と肉体を魔力で最大限強化しているが、それでも回避はままならない。結果として。


「くっ!」


 一瞬で生み出した氷の壁で蹴りを止めようと試みるが、全く歯が立たない。五枚を一瞬で貫通されたうえ、カスタネルラの左腕に蹴りが直撃し、吹き飛ばされた。先ほどから、この繰り返しだ。


「じゃあ次ね」


 魔王の右手に光が灯り、光線が打ち出される。回避が間に合わず、左足を焼かれた。そのままカスタネルラは、無様に倒れこむ。完全に、遊ばれている。何度か反撃として魔王に氷で攻撃してみたが、一瞬で弾かれてしまう。肉体を無限の魔力で覆っているため、物理的な攻撃が全く効かないのだ。氷を槍状にして飛ばしても効果はなかった。カスタネルラの攻撃では、魔王にダメージを与えることは難しい。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 既に、両手、両足含め、体中が傷だらけだ。致命傷ではないが、放っておけるほど浅いものでもない。もう限界は近い。カスタネルラは魔王を拘束するべく、部屋のあらゆる個所から氷の蔦を伸ばした。先ほど死神との戦闘でもこの戦法を使い、勝利している。


「お?」


 魔王はにやりと笑みを浮かべた。余裕の表情は崩れない。あえてその身で受けようとしているのか、魔王はその場に立ち止まった。四方八方から、氷の蔦が魔王に絡み、その箇所から氷漬けにしていく。空間そのものを凍結させているのではなく、蔦に絡まった個所を固定して凍らせていくので簡単には砕けないのだ。だが――。


「体が弱いと動けなくなっちゃうかもしれないけどさ」


 そういう魔王の両手両足は氷の蔦に絡まれ、氷漬けになっている。


「私には効かないよね」


 少し身じろぎしただけで、氷が砕けた。――ダメだ、全く効果を発揮していない。


「なるほど……私の攻撃では、貴女にダメージを与えることは無理そう」


「そうそう。魔力で肉体が覆われているからそもそも通じない。あらゆるは、私には効かないよ」


 カスタネルラは、じりじりと魔王から距離を取る。部屋の中は凍り付いていて、彼女の荒い吐息が白くなっていた。


「うーん。残念。今までより強そうだったから、どんなことをしてくれるかと思ったんだけどな。いつも通り、私が強すぎて相手にならなかったね。――じゃあ、終わりにしようか」


 魔王がゆっくりと、足元の氷を砕きながら近づいてくる。


「ところで、魔王さん。貴女は、私達と同じように、ご飯を食べて、水を飲んで生きているの?」


「え? うん。普通だよ。魔力量が膨大だから、それによって肉体の全機能が強化されている、らしいけど」


「そう。最後に、もう一つ。――貴女の、名前は?」


 その問いに、驚いたように魔王は――少女は目を丸くした。


「あ……名前、そうか。魔王、としか呼ばれなかったから、忘れてた。私は……私の名前は、スフェーン」


「スフェーン。良い名前だね。……覚えておくよスフェーン。私はカスタネルラ。さようなら、できれば、また会おう」


「……? 覚えておく、は、私の台詞でしょう?」


 真っ白い息とともに、言葉を紡ぐ、スフェーン。彼女は不思議そうにしつつ……ぶるり、と、身体を震わせた。


「……え? 寒い? 私が?」


「寒いでしょう。この国は、凍り付いている。既に、すべての生き物は、死滅した」


「……え?」


 カスタネルラは、この部屋に入った少しあと、魔王の力を測ったときから、ずっと魔力の大半を向けていた。彼女を起点として、この部屋以外をすべて凍らせていたのだ。


 氷漬け、などという生易しい気温ではない。文字通り、死の世界。生物が呼吸すると、肺から出血して死亡するレベルにまで、温度を下げていた。単純に氷漬けにするだけでは、こうはならない。この城下町を覆うように氷で包んで太陽を遮り、湿度を限りなく下げた。カスタネルラは、魔王を倒すために、この国を殺したのだ。


「だ、だとしても私には」


「貴女も息を吸って、水を摂取して、身体に血を巡らせて、生きている。生命である以上、この世界では生きられない。――氷の魔女たる、私を除いて」


 カスタネルラは、氷の操作の応用で、温度を操作できる。彼女自身の周囲は人間が生きていける程度の気温に調整されていた。


「え、嘘。私、死ぬの?」


 スフェーンはこちらに駆け寄った――いや、そうしようとした。だが、身体が動かないらしく、無様に転んだ。既に細胞の一つ一つが、凍りつつあるのだろう。


「い、いやだ。私、死にたくない。ねぇ、お願い。助けて」


 スフェーンの口から、血が吐き出され、凍った。カスタネルラは、応えない。少しずつ、凍り付いていく魔王。外からではなく、身体の中から凍っているから、攻撃ではないから、防げない。――これはただの、自然現象。気温が下がっただけの話だから。


「――ごめんね。今の私の力では、貴女を助けることはできない。だからスフェーン。せめて、私が、貴女を凍らせる。もしかしたら、魔王の生命力なら、戻ってこれるかもしれないから。……私がもっと強くなったら――魔王と、魔族との争いが終わったら、その時にまた、会えるといいね」


 すがるような、声、表情、そして、伸ばされた右手が、凍り付く。魔王は、この国と共に眠りについた。――ここに住む、あらゆる生命と共に。

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