第23話:Twilight Line

 夏灯篭が流れた翌日の朝、カスタネルラは旅立った。『ブレイバー』との契約金は八割をユキに送るように依頼済みだ。それだけでユキが働かなくとも小学校卒業までは暮らしていけるくらいの金額にはなっている。その後の給金も随時ユキに送るつもりなので、彼女はこれから仕事をせず、学業に専念できるだろう。


「……うん、ありがとう」


 そのことを伝えたとき、ユキは、泣きはらした目で、そう言った。


 ただ、かき氷屋の需要はありそうなので、ひとまず村長にお願いし、村はずれの倉庫を借りて一抱えほどの氷を大量に詰め込んでおいた。カスタネルラの魔術で造られた氷で、削らなければ溶けないようになっている。ユキができるタイミングで、お店を出してくれるらしい。


「ユキちゃん。また、時間ができたら帰ってくるね」


 カスタネルラはそう言って、用意された車に乗り込む。振り返ることはしなかった。別れは既に、昨晩済んでいたから。


「良かったんですか、彼女を置いていって」


 車内で支部長に声を掛けられた。彼女は、ユキを連れていくことも想定していたらしい。『ブレイバー』の施設内には生活圏も当然あるので、子供を連れているケースもあるとのことだ。


「ユキは……ここで、生きてほしいんです。仲の良い友達も、頼れる大人も、思い出深い家もある」


「我々の申し出を断る手もあったのでは?」


「世界がこのままでは、ユキは本当の意味で救われません。それに――私は、もう世界と契約を結んでしまった。力と引き換えに、世界を救う役割を背負ったんです」


 世界との接続。それは無尽蔵の魔力と引き換えに、世界の願いを叶える礎となることなのだ。カスタネルラはあの時、世界の声を聞いた。魔術士から、魔法使いになったのだ。


「わかりました。……まずは我々の基地へ来ていただいて、色々な説明をさせていただきます。『アパリシオン』を滅ぼすために、必要なことをね」


「お願いします。これから、何年かかるかわかりませんが……必ず、成し遂げて見せます」


◆◇◆◇◆◇


 それから――カスタネルラは、最前線で戦い続けた。数年に一度、ユキの元を訪れては、色々な話をする。手紙は頻繁に送り合った。そのうち音声通話もできるようになった。


 五年の後、この国の大半を支配していた『アパリシオン』は、カスタネルラの活躍により滅ぼされた。


 限られた世界で暮らしていた人々は、その境界を取り払い、以前のように交流を復活させ、復興を進めた。


 それから――さらに五年。世界中の『アパリシオン』は、消滅した。生物兵器の開発により、根絶に成功したのだ。始まりの一体とされる、途方もなく巨大な化け物もいたが、それらはカスタネルラとその仲間たちにより、打倒された。


 多くの犠牲があった。討伐が間に合わず滅んだ国もあった。戦いの中で無数の命が失われた。カスタネルラの友人たちもたくさん死んだ。カスタネルラ自身も何度となく生死を彷徨った。――それでも、彼女は止まらなかった。組織の中で最も強く、最も多くの敵を倒し、最も多くの人を救った。全く見た目の変わらない神秘性も相まって、その名はやがて世界中に広がり、勇者ブレイバーという組織の名前は、いつしか彼女の代名詞となっていった。


 そして――。


◆◇◆◇◆◇


「ただいま」


 十年後の、夏。カスタネルラは小さな田舎の村を訪れた。


「おかえり、ネルちゃん」


 かき氷屋に立つ、一人の美しい女性が、カスタネルラにそう言った。


「前会った時は、高校生だったのに」


「もう、ネルちゃんより見た目は年上だね」


 でも、笑顔はあの頃のままだ。


「どう? 大学は」


「楽しいよ。色んな人がいるし、好きなこといっぱいできるし」


「かき氷屋、まだやってたんだ」


「学費稼ぎたいし、何よりみんな喜んでくれるからさ。夏休みの間だけだけど」


「村長も元気?」


「うん。前、ネルちゃんの特集された番組見て喜んでたよ」


「ああ……アレ、恥ずかしかったんだけど、やめてもらえなかったんだよね」


 そんな、とりとめのない話をし、ユキの家で彼女の作った夕食を食べ、布団を並べて横になる。


◆◇◆◇◆◇


「もう、戦いは終わったの?」


「うん。もう、化け物は出てこない。もし万が一また現れても、倒す武器は手に入ってる」


「そっか……」


 つまり、彼女は。


「だから、私は、明日、帰るよ」


「……うん」


 もっと、一緒にいたいと、そう思った。でも、それはできないんだ。


 もう彼女は、ユキだけの勇者ではないんだから。


「ネルちゃん、手をつないで寝てもいい?」


「うん、いいよ」


 そっと、手を握る。あの時と変わらない、あの時は大きく感じた、手。いつの間にか、自分のほうが体も、手も大きくなっていた。


「ネルちゃん。――ありがとう」


「うん。私も、ありがとう」


 響く虫の声は、涼やかに。流れる涙を、悟られないように。


 ――神様の、嘘つき。


 ――願い事、叶わなかったよ。


◆◇◆◇◆◇


 次の日の朝、日が昇る、少し前。カスタネルラは起き上がり、身支度をした。ユキも、何も言わずに、支度を整える。二人とも、一睡もしていない。ただ互いの手のぬくもりと、今までの思い出を、噛み締めていただけだった。


 夜明け前の、世界。二人は言葉を交わすことなく、手をつないで歩いた。――目指す場所は、なんとなくわかっていた。


 二人が出会った神社、薄暗い中、階段を上る。ヒグラシの声が強く響いた。


「――景色の良い場所、あるかな」


 神社の裏手は広場になっていて、村を、海を一望できた。


 水平線から、日が昇ろうとしている。


 カスタネルラは、ユキから少し離れ、向かい合う。


 黄昏時の空を、一筋のラインが区切っていった。


 ――今、夜が明けていく。


「ユキちゃん」


 カスタネルラは、微笑んだ。


「ネルちゃん」


 ユキも、腫れた目で、笑う。


「最後に、一つだけ」


「……何?」


「あなたを――愛している」


「――私も」


 朝日が、差し込んだ。


 眩い輝きが、ユキの目を一瞬眩ませた。その次の瞬間――カスタネルラは、消えていた。


 もう枯れたと思ったのに、目から涙が溢れる。


 漫画みたいに大きな声を出して、ユキは泣いた。最後だから、たくさん、泣いた。



◆◇◆◇◆◇


 ――True End



 

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