第21話:戦闘

 五歳くらいの子供が、うずくまっている。恐怖かあるいは怪我か。どちらにしても放っておくわけにはいかないと、カスタネルラは魔力で身体能力を強化し、子供を抱き上げた。すぐに巨大な化け物が迫る。化け物は不快な声を上げながら、節足動物を思わせる腕の一本をカスタネルラに振り下ろした。


「くっ……!」


 何とか跳躍して、回避する。そのまま少し距離を取り、抱えた子供を近くに居た人に預け、再び化け物と対峙した。


「ネルちゃん!」


 ユキの声がする。逃げよう、というのだろう。だが、ダメだ。こんな化け物、放っておくわけにはいかない。


「皆さん、早く逃げて! ここは――私が、食い止めます」


 カスタネルラ本人の魔力は、はっきり言って少ない。丸一日かき氷用の氷を出していたので、残りの魔力は本当に限られている。できることはせいぜい時間稼ぎくらいだろう。だが、それでも彼女がやるべきだと感じた。


 化け物の大きさは、おおよそ十五メートル。先ほどは以前戦った火竜を想像したが、冷静に見るとさすがにそこまでの大きさではない。とはいえ自らが無力な分、威圧感は強く感じた。


 カスタネルラはじっと化け物と見つめ合っているが、目がどこなのかもよくわからない。幸い、無差別に暴れることもなく化け物は静止している。――と、サイレンがどこからか鳴り響いた。化け物出現の合図だろうか。その音に驚いたのか、化け物が再び暴れ出した。


「ネル! 『ブレイバー』に救援を要請した! 到着まで何とか持たせてくれ」


 村長が叫ぶ。彼の周りにはおそらく町の警護をする人たちが集まっているが、全員一様に怯えた表情で、避難誘導が精いっぱいのように見える。当然だ、普通の人間が、こんな化け物と戦えるわけがない。


「――凍れ!」


 カスタネルラが化け物の脚の一部を凍らせ、転倒を誘う。ただそもそものサイズ差のせいか、大した効果は発揮していない。


 振り下ろされる脚を避けながら、氷の刃を作って反撃するが、やはりダメージを与えることはできていない。避難は進んでいるようだが、『ブレイバー』とやらが来るまで保つかどうかは自信がなかった。


「ネルちゃん!」


 ユキの声。逃げてくれ、と思うが、彼女は動かない。『ブレイバー』が来るまで見届ける気なのだろうか。


「ユキちゃん! みんなと逃げて!」


「いやだ! だって! お父さんはこうやって死んだんだもの!」


 そうか。それが彼女のトラウマになっているのか。でもだからと言って――。


「村長! ユキちゃんを連れて逃げて――」


 会話に意識を割いた隙に、化け物が足をカスタネルラに向けて振り下ろす。直撃は避けたものの、地面が砕け、その勢いで彼女は吹き飛ばされた。


「ネルちゃん!」


 カスタネルラは屋台に激突した。幸い、魔力で肉体を保護していたのでそこまで大きなけがにはなっていない。しかし――。


 カスタネルラがいなくなったことで、化け物は標的を切り替えた。――先ほどからうるさい、少女へと。


 その場にいた全員がバラバラに逃げる。村長もユキを連れて逃げているが、化け物のほうが圧倒的に速い。カスタネルラの魔術も間に合わない。――今のままじゃ、間に合わない。


「――魔方陣、発動……」


 その瞬間、時間が引き延ばされたようになった。


◆◇◆◇◆◇


 カスタネルラが発動したのは、以前自身の中にあった魔術。強くなるための簡単な解決策。――世界との接続を、可能とする術だ。毎晩少しずつ、魔術の再現と構築、そして魔方陣の作成を行ってきた。溶けない氷で描いた、極小の魔方陣を自身の身体に刻んでいたのだ。


 以前は、魔王を倒す力を得るために、強制的に発動された魔術。それを自身で体に刻む。それがどういう意味を持つのか。――世界からの声がする。


 ――もし、この魔術を発動させたら、君はもうヒトではなくなるよ。


 ――前は世界からの強制接続だった。今は自身の選択だ。体に刻んだ刺青は、消えなくなる。


 ――ここで、幸せに暮らす選択肢を、捨ててもいいのかい?


 今のカスタネルラは、少女からの願いを叶えるために来た、いうなれば、少女だけのヒーローだ。でも、世界と繋がって、化け物を退治してしまったら。


 ――アレを倒した時点で君は、世界を守る勇者となる。少女の願いを捨てることになる。


「――うるさい」


 そんなことはわかっている。もしかしたら、ユキを救う手段はまだあるかもしれない。間に合うかもしれない。でも――そんなことはどうでもいい。


「私は、ユキちゃんを救いたいんだ。本当の意味で」


 この閉鎖的な世界で、限られた世界で、家族もなく怯えて暮らす日々を、終わらせて。


「彼女は頭がいいから、きっと、なんでもできる。なんにでもなれる、本当なら」


 そう、本当なら毎日働かなくてもいいはずだ。友と遊び、笑い、勉強して、生きていけるはずなんだ。


「だから、私は――ヒトを捨てるよ」


 ――承認。君は、世界と繋がる『魔法使い』になった。


◆◇◆◇◆◇


 化け物がユキに迫る。無数の脚で、彼女を貫かんと振り上げる。


「――遅い」


 カスタネルラの声と共に、ガチン、と音を立てて、巨大な化け物は、さらに巨大な氷に包まれた。


 その場にいたカスタネルラを除く全員が、化け物を見、続いて、カスタネルラの方を見た。


 カスタネルラは、ユキに向けて、歩み寄る。


「――大丈夫? ユキちゃん」


 ユキは、涙を流していた。それは、化け物に襲われた恐怖でも、それから解放された安堵でもなく。


「ありがとう――ごめんね、ネルちゃん」


 カスタネルラとの別離を予感しての、涙だった。



 

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