第10話:海戦

 翌日朝早く。カスタネルラは独り、町から離れた海上に立っていた。――正確には、海を凍らせてその上に立っているわけだが、ぱっと見ではまずわからない。敵軍もさすがに混乱するだろう。有無を言わさず攻撃される可能性もあるが、そうなっても大丈夫なよう、強固な結界を用意していた。まずは、交渉から。


 しばらく待つと、百を優に超える艦隊が姿を現した。帆を張った巨大な船。カスタネルラなど、触れれば潰されてしまうようなサイズ差。さすがに声は届かないので、中空に氷で大きく文字を書く。


『停船せよ。こちらには貴国の船団を壊滅させるの用意がある』


 先頭の船の突端に、大柄な男が経つのが見えた。こちらの様子を視認したのだろう。さすがに停船こそしないが、速度を落とし、カスタネルラの様子を望遠鏡で見ている。


「埒が明かないわね……直接船に乗り込みましょう」


 カスタネルラは言葉と同時、海を凍らせて氷の橋を造る。歩きながら、先端を伸ばし、戦闘の船の突端を対岸とする橋を作り出した。さすがに船上が混乱しているようである。船が進めば当然氷の橋など壊れてしまうものだが、カスタネルラは船の動きに合わせて氷の橋を作り直していた。近づいてくればその分辿り着くのが早くなる。


 船上の兵たちは半ばパニック状態に陥っていたが、気にせずカスタネルラは氷の橋を歩いて船に乗り込んだ。屈強な兵たちに取り囲まれるが、気にせず口を開く。


「この船団のリーダーは誰?」


「……交渉であれば私が請け負おう」


 他より階級が高そうな服を身に着けた壮年の男性が現れた。それなりに立場と発言力はありそうだ。


「そう。なら単刀直入に言うわ。見ての通り、私は特殊な力を持っている。今みたいに氷の橋を造るだけじゃない。その気になれば、このあたりの海を凍結させることも可能よ。……つまり、貴方たちの船をすべて無効化することもできる。今すぐ撤退しなさい。被害を最小限に抑えるのは優れたリーダーの資質でしょう」


 海に小さな橋を架けた程度ではあるが、『兵器』というのが彼女自身であることは伝わっただろう。果たして彼女の力をどう判断するか。それによってどう対応するか。まずは様子見である。


「――なるほど。だが、今君が行った程度では、到底今の戦力差を覆すほどとは思えない。残念ながらハッタリとしか受け取れないな。もし仮に、君が危険なのであれば……ここで取り押さえれば良いことだ。その程度のまじない、対応手段はいくらでもある」


 前評判を聞く限り、カスタネルラを呼び出した『運河の町』と、この敵軍の戦力差は五倍ほど。普通に考えれば戦いにもならない。そんな状況で少し変わったことができる女が一人いたところで、兵を退くのは難しいだろう。さらに、船上の兵たちは既に臨戦態勢で、弓、弩、剣や槍を構えている。


「……でしょうね。――なら少し、力を見せましょう」


 カスタネルラの気配が変わったことを察知したのか、リーダーは兵たちに号令をかけた。


「放て! こんな魔女は殺して構わん!」


 四方から飛来する矢。だがそれはすべて彼女の周りに生まれた氷の壁によって止められた。


「乱暴ね」


「くそ、おい! 爆弾をぶん投げろ! 船が多少壊れても構わん」


「――遅いわ」


 パキン、という乾いた音。続いて、海が、軋む音がした。


 船団をすべて囲むように、海が凍り付いている。さすがに遠くは普段と変わらず波打っているが、見える範囲はほぼ凍結していると言っていい状況だ。


「艦長! 船が……動かせません! わが軍の船がすべて……」


「落ち着け! 魔女の術中だ! こいつを殺せば解ける!」


 怯えながらも、無数の矢が、剣や槍が、そして火薬による爆発が、カスタネルラに襲い掛かる。――だが、無傷。この程度の兵器では、氷壁に傷をつけることすら難しい。


「無駄よ。降参する気はないかしら?」


「これだけの戦力を率いて、おめおめと帰れるものか! おい! まじない師を呼べ! この壁と氷を何とかさせろ!」


「――まじない師……」


 カスタネルラはしばし考える。魔術がほぼ存在しない世界。普通に考えればまじないというのは、簡単な占いやちょっとした手品じみたことしかできないだろう。――だが、何事にも例外がある。その程度の術者が、軍属して軍艦に乗ったりするだろうか? もしかしたら強力な魔術の使い手である可能性もあるのではないか?


「教えてくれてありがとう。そして、さようなら」


 ――別れの言葉。それはカスタネルラからの最終通告。敗北の可能性が少しでもあるならば、油断をするわけにはいかない。先手を打たなければならない。それは、前回の戦いで学んだことだ。


 カスタネルラが、ドン、と右足を鳴らす。それで終わり。彼女の周囲から一気に冷気が広がってゆく。


「貴様、何を――」


 言葉は途中で途切れて消える。


 船上にいたすべての乗員は凍り付いた。風が吹き、真っ白な煙が船の間を通り抜ける。海上にいる船団すべて、その乗組員すべてがこの瞬間に静止した。


 ――戦争は終わった。百の船と数多の乗務員は物言わぬ彫像と化し、虚空を見つめる。たった一人生き残ったのは、氷の魔女と呼ばれる、真っ白な少女だけだった。

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