第一章 火竜の国

第1話:使命

「この魔術を発動させろ、ですか?」


 カスタネルラは問い返す。


「そうだ。現在、ヴァルコイネンにあるシルバという城塞都市において、魔王率いる魔族どもの侵攻を受けている。この魔方陣によりその状況を打開したい」


 上司は表情を変えずに言い放った。いつものことだ。この鉄面皮が崩れたところをカスタネルラは見たことがない。


「ヴァルコイネン……北にある寒い国ですよね。それに魔族の侵攻って、危険は……」


「既にシルバは陥落し、魔族に占拠されている。当然危険だ。話を戻すが、この魔方陣は異世界から魔王を倒しうる化け物を召喚して、戦わせるための術式を組み込んでいる。試作段階だが、このまま魔族に領土を広げられるのは避けたい。最悪シルバが滅んでも、魔族に打撃を与えることが目的だ。頼めるな?」


「……拒否権は」


「ない。お前は氷で細かな装飾や文字を描く能力には長けている。それ以外は平凡だが、魔方陣を描くには最適だ。こういう時のためにお前を雇っているのだから、せいぜい働くがいい。魔方陣を発動させてすぐ逃げれば、命は助かるだろう。どうせ試しだ、失敗しても構わん」


「――はい、わかりました」


「明日出発だ、準備をしておけ」


◆◇◆◇


 翌日。カスタネルラは陰鬱な表情で現場に向かった。彼女の住む魔術都市コペルフェリアからシルバまで徒歩だとかなりの時間を要するが、今回は緊急ということで魔導車を準備されたため、翌日には到着することができた。


 到着したのは、真白い都市の外側だった。城塞都市らしく、中央には武骨なつくりの城があり、取り囲むように町がつくられている。町の外壁には戦闘の後らしき破壊や焦げ跡が所々にあり、魔族の襲撃の激しさを物語っている。


「ここは今は魔族に占領されている……つまり町中には魔族がうじゃうじゃいる……?」


 魔族と言っても姿は種族で様々で、いかにもな悪魔のような姿のもの、翼や様々な角が生えたもの、人間と変わらぬ姿のものもいる。


「魔方陣を描くなら、できれば城の近くでって言ってたかな……町中への抜け道の地図は……これか」


 カスタネルラは、外壁近くの岩場にある抜け道から侵入し、町中へ移動した。幸い道中に魔族はいなかったので、まだ発見されていないようだ。息をひそめて出口から外をうかがう。城内に続く抜け道もあるようだが、さすがにリスクが高すぎるので城から少し離れた小屋に続く道を選んだ。


 魔族はいない。今のうちに外に出て、魔方陣を描こう。


「大丈夫……何も難しいことはない。できる、私はできる、大丈夫」


 カチカチ鳴りそうな歯を抑え、音をたてないように小屋の戸を開け、外に出る。一面の銀世界。足音を立てないように、小屋の陰に隠れ、深呼吸。近くにあるはずの広場に向かう。幸い近くに魔族の気配はないようだ。


「ここまでは順調――では、開始」


 カスタネルラは左手に紙片を持ち、右手を広場に向けた。その手先から糸状の氷が射出され、魔方陣を描いていく。


 恐ろしく細かな文字、模様で魔方陣が描かれた紙片。それを氷で拡大し、再現する。仮にペンで大きな紙に描くだけでも大変な作業。それを遠隔で、しかも魔術の氷で行っているのだ。驚異的な集中力と操作精度が要求される。


 カスタネルラは汗を流しながら必死に魔方陣を描く。緊張で震えそうな身体を抑えながら。誰も来ないで。失敗しないように。そんなことを考えながら――魔方陣を描き切った。


「――よしっ! 後は魔力を注げば……」


 魔方陣に魔力を流し込む。自身の魔力だけでなく、周囲の魔力も吸収し、可能な限りの魔力を注ぎ込んだ結果、魔術は発動した。


 ――瞬間、カスタネルラの意識は途絶える。


◆◇◆◇


 加速された空間。世界の声が聞こえる。


 ――魔力、充填。周辺世界の検索を開始します。


 ――検索中。検索中。検索中――。


 ――対象は見つかりませんでした。範囲を拡大してやり直しますか?


「……え? はい、おねがい、します……」


 訳も分からずカスタネルラは返答する。ここはどこだ? 今の声はなんだ?


 ――対象範囲を拡大し、検索を開始します。


 ――検索中。検索中。検索中――。


 ――残念ながら対象は見つかりませんでした。検索対象のレベルを下げますか?


 この魔術は、魔王に対抗できる対象を検索する魔術のはずだ。つまり、この結果は周辺世界に魔王に対抗できる存在がいないことを意味する。だが、弱いものを呼んでも、意味がない。ただ魔王に殺されてしまうだけだ。


「い、いえ! レベルは維持してください!」


 慌てて叫ぶ。これは変更してはいけない個所。


 ――了解です。同条件で範囲を拡大し、再検索を行います。


 ――魔力が不足しています。再充填してください。


「えっ?」


◆◇◆◇


 瞬間、意識は雪景色に戻った。


「はぁっ、はぁっ……」


 呼吸が止まっていたのだろうか。息が苦しい。


「魔力……不足」


 とはいえ、カスタネルラ自身の魔力は空っぽに近い。この周囲の魔力も使い尽くした。どうしよう、そんなことを考えていると――。


 ぎしり、と雪を踏む音と、何者かの声。おそらく、魔族。考えてみれば当然だ。これだけの魔術を発動したのだから、魔術の心得があれば異変には気づく。


 近づいてくる。緊張で歯がカチカチと、音を立てる。怖い。必死に解決策を探す。魔力が足りない、ならば何かと交換するしか――。


「――髪を代償に、魔力と成せ」


 途端、長くうねったカスタネルラの銀髪が、肩口から毛先まで一気に凍り付き、砕けた。同時に光を放ち、魔方陣へ吸い込まれていく。


「これで……ダメなら後はもう手足か臓器でも使うしか……」


 魔方陣が輝き、彼女の意識は再びあの世界へと戻る。


◆◇◆◇


 ――魔力は充填されました。再度検索を実施します。


 ――検索中。検索中。検索中――。


 ――検索完了。対象は見つかりません。


 ――この方法では不可能だと判断。代替案の検討を開始します。


「……代替案?」


 ――検討中。検討中。検討中――


 ――検討中。検討中。検討中――


 ――検討中。検討中。検討中――


 ――解。


 ――設定レベルに達する対象がいないのなら――


 ――


「…………え?」


 ――術者と、世界との接続を開始。


 言葉と同時、再びカスタネルラの意識は暗転した。


 のではないか、という絶望的な想像と共に。


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