第6話 転機

 きょろきょろ


「……ここがトモキのおうち?」


 スニーカーを脱いで玄関に上がると、興味深げに部屋の中を覗きこむアイナ。


「会社に比べて狭くてごめんな?」


 今までアイナがいたのは、各種学習素材が置かれ、生体パーツの調整施設まで備えた広いHJC調教室だ。

 100畳ほどあったあろうか?


 それに比べたら、一般的な1LDKのアパートはうさぎ小屋みたいなものだろう。


「ううん、だいじょうぶ!

 トモキの匂いがするから、さいこう~♪」


 ぴょんっとソファーにダイブすると、すりすりとクッションに顔をうずめるアイナ。


 やべぇ、超カワイイ。

 その様子を見ていたら、100億のローンなんでどうでも……良くはないが、払ったかいがあったと実感できる。


「問題は定期メンテナンスだな……」


 生体パーツを使っているとはいえ、ぶっちゃけHJCは生物ではないので充電してやれば動く。

 メシやお菓子を食べるのは、あくまで学習の為である。


「ぽてち、おいしい~♪」


 ……たぶん。


 さっそくテーブルの上にあったポテトチップスを頬張っているアイナを見ていたら、その常識が揺らぎそうになる。

 まさかアイナだけ食べ物を消化できるとか、そんな機能はないよな?


 ともかく、強化シリコンで作られたボディを持つ第二世代にしろ、生体パーツを使っている第一世代にしろ、定期的なボディのフルメンテナンスが必須である。

 第二世代は数年に一度でいいが、アイナの整備マニュアルによると1日10時間程度稼働させた場合、3か月に1度のフルメンテナンスが必要になるらしい。


「俺はもうカナデテクノスの社員じゃないから会社の設備は使えない」


 となれば、外注するしかないのだが個人でHJCを所有している人間なんて殆どいないため、メンテナンスしてくれる企業を探す必要がある。


「一応、心当たりはない訳じゃないけど」


 カウンターキッチンの上に置かれた写真を見やる。

 高校の制服を着た俺の両隣で笑顔を浮かべる両親。


 AI技術者だった父と母は、第一世代HJCの開発に携わっていた。

 カナデテクノスの先代社長らと組み、AIの革新を目指して日夜研究に励んでおり、国内外のAI企業と技術協力もしていたみたいだ。


 そのつてを頼る、というのが俺の考えだ。


「もう7年か……」


 多忙な研究生活の間、家族が揃う事はほとんどなかったけど、俺は二人を誇りに思っていた。

 工業高校からAI工学系の大学に進んだのも両親の影響だ。


「だけど」


 思わずため息が漏れてしまう。

 高校の卒業式の日、後に大反乱リベリオンと呼ばれるAIの暴走をきっかけとした事故に巻き込まれ、ふたりは……。


「ふお? これがトモキのパパとママ?」


 興味深そうに写真を覗き込むアイナ。


 この事故をきっかけに、神の領域を目指すとしていた第一世代の開発は中止、その時点でほぼ完成していたアイナはじめ第一世代のHJCに対して大幅な機能削減が行われた。


 代わりに人間に絶対服従であり、そこそこの性能を持つ第二世代が主流となったというわけだ。


「えへ、!」


 にぱっと笑うアイナが可愛くて、頭をガシガシと撫でる。


「ああ、世界最高のAI技術者だと今でも思うぜ!」


 嬉しくなった俺は、ソファーに座るとアイナの整備マニュアルを開く。

 すこしでも自分で彼女をメンテナンスできるようになっておきたいのだ。


「あ、トモキ。

 コンセント借りていいかな?」


「ああ、いいぞ」


 バッテリーの残量が少なくなってきたのだろう。

 アイナは尻尾から充電ケーブルを伸ばすとコンセントに差し込む。


「ふひ~♪」


 気持ちよさそうな吐息を洩らすアイナ。

 そのままソファーに横になり、俺の膝に頭を乗せてくる。


 ああもう、可愛すぎるんだが!


 俺はアイナのもふもふな髪の毛を撫でながら、整備マニュアルに没頭するのだった。



 ***  ***


「『電源ユニットが格納されている脇の下にはジョイント部があり、汚れが溜まりやすいのできれいに洗いましょう』……マジか!」


 アイナは完成してすぐにスリープ状態にされたため、稼働していた時間が少ない。

 なのでまだ本格的なメンテナンスは行われていないのだが……自宅で出来そうなメンテナンスといえば、一緒にお風呂に入って汚れが溜まりやすい部分を洗う事。


「…………」


 恥ずかしそうな表情を浮かべるアイナに両腕を上げさせ、あらわになった脇を歯ブラシで……。


「うっ!?」


 とても倒錯的な光景が浮かんだので頭を振ってピンクな妄想を振り払う。


「ほえ~?」


 充電モードでご満悦のアイナが俺の膝の上で無邪気な笑顔を浮かべている。


 これはアイナの為の神聖なメンテナンス。

 これはアイナの為の神聖なメンテナンス。


 ぴぴぴぴぴ!


 煩悩を一つずつ退治していると、スマホがけたたましいアラーム音を立てた。


「な、なんだ?」


 慌ててスマホを開くと、電力会社のアプリから警告メッセージが。


『電力の使い過ぎを警告します。

 定額範囲を超えたので、従量課金に移行……現時点の請求額:102,300円』


「うげ!?」


 慌てて整備マニュアル末尾のスペック表を開く。


「消費電力……一般家庭の30軒分!?」


 考えてみれば当たり前である。

 アイナの学習能力も、人間と変わらない動きも、生体パーツの維持も電気を使って行われるのだ。


 会社には工業用電源があるので意識したことが無かった。


 通常時のアイナは、72時間に一度の充電が必要。

 月に10回充電するとしたら……。


「おうふっ!?」


 電気代だけで大変なことになりそうだ。


「あう……トモキ、ちょっとおトイレ借りるね?」


 これじゃ、借金を返すどころか破産じゃないか……。

 そんな時、俺の悩みを知ってか知らずか少し恥ずかしそうに顔を赤らめたアイナがトイレに立つ。


 え、HJCってう○こすんの?


 そう思った人もいるだろう。

 結論から言えば、HJCは○んこはしないが、学習のため摂取した物質を廃棄する必要がある。


 処理しやすいよう、高密度圧縮した廃棄物は専用の処理施設で……。


「あっ!?」


 ヤバイ!

 それを人間が使うトイレにそのまま流しては……しかも、アイナは大量の食べ物を摂取していたのだ。


 じゃ~~~


 止める間もなく、トイレから水を流す音が聞こえてきて。


 どかん!


「みぎゃ~~!?」


「アイナ!?」


 破裂音と悲鳴に、慌ててトイレのドアを開ける。


「あうう、トモキごめんなさい~」


 そこにあったのは、水を吸って膨張した廃棄物によって破壊された便座と、壊れた水道管から噴き出した水でびしゃびしゃになったアイナの姿だった。


「Oh……」


 アパート全体が大騒ぎとなり、管理会社に呼び出された俺はこっぴどく叱られ……アパートから追い出されることになったのだった。



 ***  ***


「ぐすっ、ごめんなさい、トモキ」


「いい、気にするな」


 涙を浮かべるアイナを優しく撫でてやる。

 幸い、両親の残してくれた貯金のお陰である程度の蓄えはある。


「とはいえ、アイナを連れて住める家か……」


 工業用の電源があり、特別な廃棄物処理施設を持った家。


「……そんなのただの工場じゃね?」


 昔ブームになったEV車用充電設備が付いた家でも探すか?


 ピリリリリ!


 頭をひねっていると、またもやスマホが呼び出し音を立てる。

 イマドキ珍しい、音声通話だ。


「……ん? この番号って」


 個人識別番号を使った1対1のホログラム通信アプリが主流の現代、電話番号での音声通話は非常時にしか使われないので、電話番号を登録しておく習慣は廃れている。


 だが、スマホの画面に表示された番号にはどこか見覚えがあった。

 俺は首をかしげながら音声通話をつなぐ。


 ピッ


「……もしもし?」


『久しぶりね!! トモキお兄ちゃん!!!』


 大音量で聞こえてきたのは、どこか懐かしい少女の声だった。


『会社をクビになったって聞いたわ! 山川重工ウチに来ない?』


「……へ?」


 山川重工といえば、世界でもトップクラスの総合エンジニアリング企業。

 どうやら俺は、そこからスカウトを受けたようだった。

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