第5話 会社をクビになり、少女を買う

「ふぅ~っ……」


 久しぶりに袖を通したスーツのせいか、少しだけ息苦しい。


「大丈夫、大丈夫だ」


 俺がいるのはカナデテクノスのオフィス棟に隣接した大講堂。

 半年に一度開催される成果発表会の会場で、出世のカギを握る大事なイベントだ。


「ここでアイナと一緒に評価されて、なんとしても!」


 前回も前々回もレンヤさんの根回しで地方に出張に行かされていた俺は、成果発表会に参加したことがない。

 成果発表会には経営陣おえらいさんも出席しているので、俺とアイナの成果を直接アピールするチャンスである。


「……別の部署にスカウトされたいな」


 小市民的な願望だが、アイナと一緒に別の部署に行ければ、もっとじっくりアイナを調教できる。


「彼女の可能性は、無限大なんだ」


 この1週間の調教成果を思い出す。


「結局、覚醒エウレカした詳しい原因は分からなかったけど」


 アイナから検索ログを取り出し、覚醒に至った要因を分析したのだが、温泉やマッサージ店のウェブサイト、果てはファンタジーRPG攻略Wikiまで。アイナが検索したウェブサイトは多岐にわたり、特定の傾向を見つけることが出来なかった。


「あのログは異常値だろうし」


 一つだけ「巨乳人妻オギャリ癒しピンサロ:昼下がりの浮気亭」なるカルマの集合体のようなサイトの履歴があったのだが、そういう極端な情報は学習の際に異常値として除外される。


「…………」


 すこしえっちだったアイナの様子を思い出して思わず赤面する。


「やっぱりチョップが効いたのか?」


『ほえ?』


『うっ……』


 だが、純粋無垢な笑顔を浮かべるアイナを意味なく叩くなどということが出来るはずなく……。


「おそらく、”感情”の振れ幅と”肉体的刺激”が鍵になっているんだとは思うけど」


 あのあと一度だけ、アイナの肩を揉んだ時に少しだけ覚醒し「なおるくん」をバージョンアップしてくれた。


 カスタードクリームたっぷりのシュークリームを食べた後だったので、彼女の感情もアガっていたのだろう。


「傾向を把握するには、もっといろんな調教をしないとな」


 HJCの学習と調教は、トライ&エラーの繰り返しである。

 この成果発表会を乗り切れば、もっと時間を貰えるはずだ。


『……それでは、AIイノベーション部所属、綱木 友樹つなぎ ともきさんによる発表です』

『タイトルは、「第一世代HJCの可能性について」です』


 司会役の総務部長が、俺の名前を呼ぶ。


「よしっ!」


 俺は頬を叩いて気合を入れると、ノートPCを片手に壇上に上がった。



 ***  ***


 ざわざわ


(な、なんだよこれ……!)


 自信満々にスタートしたはずのプレゼンは、思わぬ展開を迎えていた。


「ツナギ君はこう言っておりますが、私はリスクがあると考えております」


 まず説明したのは第一世代の中でも最初期モデルであるアイナの紹介と、調教に時間が掛かったとはいえ覚醒(エウレカ)に近い事象を起こせたことだ。

 当初眠そうだった経営陣たちも、覚醒エウレカのワードに表情を一変させる。


 いける!


 そう思った俺が覚醒の成果である「なおるくん」に言及した途端、レンヤさんが俺の発表を遮ったのだ。


「わが社の広報に貢献したとはいえ、無視できない数のクレームが届いており……」


 レンヤさんがプロジェクターに映したのは、かなでん公式アカウントに付いたリプライ。


『カナデテクノスって暇なの?』


『これって危なくない?』


『突き指した。訴訟』


 わざと批判的なコメントだけ抜き出されている。


「むぅ……コンプライアンスが厳しい昨今、こういうのはよろしくないな」

「炎上商法というヤツかね? 我が社の社風には合わないな」


「でしょう? ツナギには良く言い含めておきますので。

 申し訳ありません。公式アカウントに対する投稿内容のチェックが甘かったと猛省しております」


 主賓席に居並ぶ経営陣に深々と一礼するレンヤさん。


 お前にお似合いの仕事を持ってきたぞ!

 誰も見ていない公式アカウントだ。一度くらいバズらせて見せろ、と言っていたのはレンヤさんなんだが。

 まさかこれもレンヤさんの陰謀だったのか? 俺が公式SNSでミスすることを期待して。


「ま、まあレンヤ君の責任ではないよ」

「やはり、ネット広報など我が社には不要だな」

「我々はBtoB(企業間取引)に専念しておればよいのだ」


「ツナギ君だったか? 軽率な投稿は慎みたまえ」


 こちらを見る目が厳しくなる。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 投稿にはあくまでジョークアプリであることを書いていたし、アプリにも本当にチョップする際には十分注意するよう大きく警告メッセージを出していた。


 確かに、あんなにバズるとは思っていなかったが……他社でもやっている事である。


 反論しようとしたが、いつの間にかマイクが切られている。

 レンヤさんはこの話は終わったとばかりに画面を切り替える。


「それに」


「え?」


「彼が担当しているAI-NA自体にも問題がありましてね」


 プロジェクターが映したのは会社近くにある公園。

 桜の花が満開だ。


「これは……」


 まさか?


「先日、調教作業中のツナギ君に声を掛けたのですが……」


『わたしは人々の希望を込めて創られた一人の”人格”だ!

 取り消して、その言葉!』


『アイナ、駄目だ!』


「!?!?」


 思わず息が詰まる。

 蒼髪のHJC、ミルに撮影させていたのだろう。

 俺がレンヤさんの胸ぐらをつかんだシーンが背後から映されている。


 だが、俺とアイナの音声が差し替えられており、

 これではまるで、アイナがレンヤさんに掴みかかったように錯覚してしまう。


「御覧のように、AI-NAが暴走しましてね。

 ツナギ君がHJCを制御できていない事は明白……そもそもこの個体は先代のごり押しで我が社に押し付けられたもの。解任されたことを恨んで先代が”仕込んで”いたのかもしれませんね」


 にやり、と笑うレンヤさん。

 経営陣たちは、すっかり彼のペースに吞まれていた。


「なんと! それはまことかレンヤ君!」

「やはり第一世代は得体が知れぬ」


「ああ、そういえば。

 私は止めたのですが、ツナギ君がどうしても担当させてほしいと懇願してきましてね。彼の父親は先代と親交があったそうで……なにかの意図があったのかもしれません」


 意味深な視線で俺の方を見る。


「おっと、失礼。無用な詮索でしたね」


「なんということだ!!」

「これが真実なら、とんでもない背任だぞ?」

「調査もいいが、さっさとAI-NAを処分してはどうかね? 暴走したことを他社に知られるわけにはいかん!」


「あ、ああ……」


 こうなったらもうプレゼンどころではない。

 俺は逃げるように檀上から降りるのだった。



 ***  ***


「はぁ……」


 ホールから出て、廊下に置かれたベンチに座り込む。


 プレゼンは大失敗だ。

 これでは転属など望むべくもないだろう。

 ていうかクビになってもおかしくない。


「よう」


 そんな俺に、レンヤさんが声を掛けてくる。

 わざわざ発表会を中座して来たらしい。


 この上俺をイビリに来たのか?

 あまりの性格の悪さにうんざりしてしまう。


「そんなに怖い顔するなよ?

 オレはお前の暴力沙汰をHJCのせいにしてやったんだぜ?」


 あんな捏造映像を作っておいて、今さら何を言うんだろうか。


「このままじゃお前は服務規定違反で懲戒解雇の可能性もある」


「だが」


 両手を広げ、大仰なポーズを取るレンヤさん。


「オレは部下には寛容な男だ。

 コイツにサインすれば、オレの権限で自己都合退職に変更してやろう」


 レンヤさんが手渡してきたのは1枚の書類。


「……HJC所有権移転契約書?

 って、これはアイナの!?」


「そうだ」


 ニヤニヤと笑うレンヤさん。


「人間に”反抗”したHJCは廃棄される。

 だが、ウチとしては大金を払って維持してきたHJCを処分したら丸損なんだよ。

 出来ればお前に買い取ってほしいんだがなぁ、トモキ?」


 厭味ったらしい口調で、わざわざ苗字ではなく名前を呼んでくる。


 書類に記載された所有権移転費用は……100億円。

 アイナはコスト度外視で製造されたプロトタイプだ。

 とはいえ、無茶苦茶な金額である。


「お前が拒否すれば可愛いアイナちゃんは廃棄。ああ、かわいそうだなぁ?」


 全くそうは思っていない表情。


『トモキ~♡』


 脳裏に浮かぶのはアイナの笑顔。

 あの笑顔が消えてしまうなんて、俺には耐えられない。


「くそっ!」


 俺にこの提案を断る選択肢は用意されていなかった。

 俺は書類にサインすると、電子印を押す。


「おお。マジかよ、ポンコツHJCに100億も払う馬鹿が本当にいるとはな」


 書類を受け取り、信じられないという表情を浮かべるレンヤさん。


「オレは優しいから30年ローンにしてやるぜ」


「せいぜい頑張ることだな!

 ははははははっ!!」


 こうして俺は無職になり、自宅にアイナを連れ帰ることになったのだった。

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