脱出

ひどい経験をしたあとだから眠れないだろうと思っていたけれど、湿っぽい布団に入るとまぶたが重たくなってきて、気がつけば夢を見ていた。

夢の中の私は8歳くいらで家族で遊園地に来ていた。

お父さんとお母さんとおばあちゃんと一緒に観覧車に乗ったり、お化け屋敷に入ったりする。

観覧車では頂上についたときみんなで写真を撮ったし、お化け屋敷の中では怖くてお父さんに抱きついたりした。

それは遠い日の楽しかった記憶。

その記憶はあっという間に黒いものへ塗り替えられる。

遊んでいた遊園地内に緑色のクマの着ぐるみが現れたのだ。

両親はそれを見て『ほら、クマさんだよ』と、私に声をかける。

本当なら可愛いはずのクマ。

出会ったら嬉しいはずの着ぐるみが、私は恐ろしいものだとすでに知っていた。

あいつが近づいてくる前に逃げなきゃ!

そう思うのに、家族は私の手を引いてクマへ近づいていく。



『いや! 行きたくない!』



そう言いたいのに、夢の中の私は声を出すこともできずに、言われるがままについていく。

目の前にクマが現れたとき、その手にカマが握りしめられていることに気がついた。

カマはもう何人も子供たちを殺してきたように、真っ赤な血に染まっている。

私の体は冷え切って動けなくなる。

微笑んでいる両親たちの脳天にクマがカマを突き立てた。

両親の頭はパックリと割れて血が流れ出す。

そのまま前のめりになって倒れたとき、ようやく目が覚めた。

ハッと息を飲んで上半身を起こすと、全身が汗だくになっていることに気がついた。

両手がカタカタと震えていて止まらない。

心臓はまだ早鐘を打っている。

私はまだ眠っている香菜たちを起こさないようにそっとシャワー室へ向かった。

外で服を脱ぎ、少ししか出ない水に体を当てる。

本当はもっと一気に汗を流したかったけれど、それもできない。

今は夏だからいいけれど、これが冬だととても水浴びなんてできないだろう。

少ない量の水でどうにか汗を流した私は、そのまま元のジャージを着込んだ。

タオルもなにもないのだから仕方がない。

自然に乾くのを待つしかない。



「おはよう」



いつの間にか香菜が目を覚まして布団に座っていた。



「お……はよう」



声がかすれる。

ちゃんと眠っていたはずだけれど悪夢のせいで最悪な気分だ。

頭も重たい。



「点呼があるから、行くよ」



香菜は視線だけで私を促したのだった。


☆☆☆


どうやら私がシャワーを浴びている間にドアの鍵が開けられていたようだ。

全員で廊下へ出ると同じように廊下に並んでいる女の子たちの姿があった。

みんな、ここに連れてこられて労働している子たちだ。

想像よりも多い人数に驚いてしまう。

それでもみんな抵抗を見せないのは、それぞれの体につけられている機械のせいか。

私はジャージの上からそっと自分の腹部に触れた。

硬い感触が確かにある。

さっきシャワー室で水を当ててみたけれど、それくらいで壊れるものでもないんだろう。



「点呼って言われたら私の次に番号を言えばいいから」



隣に並んで経つ香菜が小声で教えてくれる。

ここでは男がなにかを教えてくれるようなことはないようで、女の子たちは互いに支え合っているんだろう。

やがて点呼が始まった。

101号室の1番から順番に、1011、1012と数字を言っていく。

一部屋4人と決まっているようで、男はゆっくりと歩きながら確認していく。



「1053」



隣の香菜が言う。



「1054」



私は間髪入れずに自分の番号を口にする。

その日の並び順によって自分の番号が変わるみたいだけれど、男は特に気にしていない様子だ。

きっと、これだけの人数の顔だって覚えていないんだろう。

それから男に連れてこられたのは食堂だった。

大きな部屋に白い長テーブルと椅子が置かれている。

入って左手がキッチンスペースになっているようで、クリーム色のお盆を手に前えへ進んでいくと中から料理が差し出される。

私達はそれを盆に乗せて席へ運ぶスタイルのようだ。

キッチン奥にいる数人のスタッフの姿を確認すると、みんなクマの面をつけていた。

こんなところまで顔を隠して仕事をしているなんてと、気分が悪くなる。

出てきた料理はたまごサンドとコンソメスープ。

そして小さなゼリーがふたつだ。

これじゃとてもお腹は膨れない。

これからやらされる仕事のことを考えたら全然割に合わない気分だ。

だけど、ここにお金をかければその分賃金を減らされるはずだから、文句は言えなかった。

寝床と食事があるだけマシだと思わないと。

食事を終えると自分たちで後片付けをして、それから仕事という流れになっているようだ。



「それじゃ、頑張って」



食堂から出ていく香菜が手をふる。

私も手を振り替えした。

ここから先は廊下に等間隔で監視役が立っていて、みんなそれぞれ自分の仕事部屋へ向かうことになっていた。

昨日と同じ部屋に近づいてくると、前方に智道の姿が見えた。

思わず駆け寄りそうになるけれど部屋の近くにクマの面をつけた監視が立っていたのでぐっと堪える。

昨日は大丈夫だった?

部屋の子たちはどんな人たちだった?

色々と聞きたいことはあるけれど、あとからだ。

私達は監視に見守られながらドアの前に立つ。

智道がドアノブに手をかけると、鍵はすでに開いていた。

私達が中へ入ってからロックされるんだろう。



「どうした、早く中へ入れ」



監視が後ろから命令してくるけれど、私達の足は動かなかった。

部屋に入れば最後。

1日の仕事を終えるまで外へ出ることはできない。

それがわかっているから体が動かなくなってしまっていた。

背中に冷や汗が流れていく。

隣の智道も緊張しているようでさっきから表情がこわばっている。



「おい!」



なんの反応も見せない私たちに監視の怒鳴り声が飛んでくる。

と、その瞬間だった。

智道が振り返ったかと思うと、右手を大きく振り上げ、そして振り下ろしていた。

次には監視の頬にサックリと切り傷ができて血が流れ出す。

監視が呆然としている間に智道は隠し持ってたメスで監視の首筋を切り裂いた。

監視はようやく自分がなにをされたのか理解したようで、大きく目を見開いてその場に崩れ落ちる。

切れ味のいいメスは監視の皮膚を簡単に傷つける。



「お前ら……どうして……」



中途半端に横倒しになった監視が呟く。

智道が肩で呼吸をしながら持っているメスを見せた。



「少し、監視が軽すぎたな」


「盗んでいたのか……」



部屋の中も監視されていたはずだ。

だけど道具を持ち出すことは簡単だった。



「こんなにうまくいくなんてな」



智道はそう言って微笑んだのだった。


☆☆☆


昨日の仕事中、私は1度メスを取り落してしまった。

メスは地面を滑ってベルトコンベアーの下に入り込む。

そのとき、気がついたんだ。

部屋の中は監視されていたとしても、ベルトコンベアーの下は視角になっているんじゃないかって。

だけど妙な動きをすればすぐにバレてしまう。

このことを智道に慎重に伝えないといけない。

私は大橋くんの体をメスで切り裂きながら何度も智道に視線で合図を送った。

智道は最初解体作業だけに意識が行って気がついてくれなかったけれど、次第に私の視線が上下することに気がついてくれたんだ。

ベルトコンベアーの下が視角になっている。

そのこと告げるために、私は智道に大橋くんの傷口を広げて置くように伝えた。

傷口の中にふたりで手を差し入れて、処置しているふりをして何度も智道の指先を握った。

それは高校1年生の頃に習うモールス信号だった。

あの授業がまさかこんな場面で役立つとは思っていなかった。

同じ高校にいる智道だって、当然モースル信号を知っていた。

こんなやり方で言葉が伝わるかどうか不安だったけれど、うまく行った。

智道は大橋くんの血を吸い取るために大量のガーゼを手にとり、その中にメスを隠した。

メスをジャージのポケットに滑り込ませたあと、智道はもうひとつ大切なものを盗み出したいた……。


☆☆☆


「そんなことをしても無駄だ……。お前たちの体につけられている機械が反応する」

監視の言葉に私と智道は目を身交わせた。



そう言うと思っていた。

だから私達は昨日の別れ際に握手を交わしたんだ。

小さな、手のひらサイズのドラーバーを手渡しするために!

智道はガーゼの中に小さなプラスドライバーも仕込ませていた。

作業を終えて座り込んでいる間に、体半分をベルトコンベアーで隠して見えないようにした。

そして、ドライバーを使って腹部の機械のネジを緩めたのだ。

同じように座り込んでいた私にはその様子がしっかりと見えた。

智道からドライバーを受け取った私は今朝シャワーを浴びているときに自分の機械のネジを緩めることに成功した。

ただ緩めるだけじゃ機械は作動してしまう。

一度カバーを取り外して中を確認した。

すると、体内に入り込んでいる線を取り外すことができたのだ。

電流を流したり、人の行動を操っている線は簡単に外すことができた。

あとはカバーを元通りつけておけばバレることはない。



「行こう」



智道が私の手を掴んで走り出す。

後ろから監視が「なぜだ!?」と、声を張り上げるのが聞こえてきたけれど、もちろん振り向かない。

出口へ向けて私達は全力でかけた……。


☆☆☆


走って走って昨日入ってきたドアにたどり着いたとき、智道が大きく舌打ちをした。

ドアの横に取り付けられている数字のタッチパネルに目をうばわれる。



「これ、番号で開けるようになってるの?」



呼吸を整えて小さな声で言う。



「そうなんだろうな」


「それじゃ順番に入力していけば開くよ!」



時間はかかるかもしれないけれど、鍵を探すよりは安全だ。

だけど智道は左右に首をふる。



「ダメだ。番号を間違えたときに警報がなるかもしれない」



そう言って頭上を見上げる。

つられて上をみると天井から赤いパトランプが下がっているのがわかった。

あれが回転して施設内の人物へ通報されるのかもしれない。



「なにかヒントになるものを探さなきゃ!」



通路を振り返ってみてももちろんそれらしいものはなにもない。

それに、どこをどう探せばいいかもわからない。



「とにかく、さっきの監視を調べてみよう」



今できることはそれくらいだ。

私は頷き、来た道を戻り始めたのだった。

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