過去

クマに立ちふさがれた私の体には軽い衝撃が訪れていた。

その痛みに体をくの文に曲げて顔をしかめる。

これはなに!?

そう質問する間もなく、クマに担ぎ上げられてしまう。



「あまりに往生際の悪い子には電流を流すことになっている」



私を担いでいるクマが言う。

電流っていうのはきっと、腹部につけられた機械から流されているんだろう。

悔しさと痛みに唇を噛みしめる。

せっかく智道が逃してくれたのに、こんなにすぐに捕まるなんて!



「下ろしてよ!」



無駄な抵抗だと知りながらもクマの背中を拳で叩く。

着ぐるみがぼふぼふと音を立てるだけで、中の人間に当たっている感じはしない。

クマはなんの反応も見せずに歩き続けている。

園内ではあちこちで雑魚寝している子供たちの姿があり、そのどれもが疲れ果てていた。



「戻ってきたぞ」



しばらく歩いてクマはようやく私を解放してくれた。

それでもまだ微かに電流を流されているようで、体が思うように動けない。



「ここからは逃げられないってまだわからないわけ?」



足を組んでベンチに座っていた繭乃は呆れ顔だ。

その横には尋もいるけれど、こちらを見ようともしない。

ベンチには座らずにへたり込んでうつむいているのは智道だ。

顔色は悪く、生気もない。



「大丈夫?」



私は繭乃の言葉を無視して智道に声をかけた。

智道は少し顔を上げただけでなにも言わなかった。

あんなに私のことを心配してくれていたのに……胸の奥がギュッと痛む。

どうにかして智道だけは助かって欲しい。

私の心はとっくに尋から離れてしまっていた。



「私、ダーツをする」



すでに薄れてきている白線の手前に立ち、クマへ向けて言う。

その瞬間体に流れていたしびれがスッと引いていくのを感じた。

遊園地のシステムに従う姿勢を見せたからだろう。

クマは無言で私にダーツの矢を渡してくる。

それを受け取り、ルール通り親指と人差し指で持つ。

244センチ離れたダーツ版は、周囲の暗さが増したことにより見えにくくなっている。

それでも文句はなかった。

私は何度か手首を回したあと、姿勢を正した。

全くやったことのないゲームだけれど、やるしかない。

視界の隅には憔悴しきった智道の姿が写っている。

どうしても、助けたい……。



「やっ!」



声をあげて力任せに矢を投げる。

矢はふらふらと揺れてダーツ版に届くことなく落下した。

0点だ。

繭乃が呆れたように笑う声が聞こえてきた。

だけど気にしない。

2投目も同じく、変に力が入った矢はダーツの左側の壁に当たって落ちた。

また0点。

最後の一投になったとことで智道が顔をあげた。

その目は不安そうに揺れている。

大丈夫。

きっと、助けるから。

3投目も投げてようやくダーツ版に当てることができた。

数字は10だ。

すべての矢を投げ終えた私は大きく息を吐き出して肩の力をぬいた。

これで、終わり……。



「ゲーム終了!」



クマがそう宣言して、ぼふぼふと騎ぐるみの手を叩く。

続いて「結果発表~!」と叫んだ。

結果は一目瞭然なのに、クマは嬉しそうに飛び跳ねている。

私たちのゲームで視聴者でも増えたんだろうか。



「まずは赤木繭乃さんの得点! 110点!」



ぼふぼふとまた手を叩く。



「そして牧田尋くんの得点! なんと130点! そしてそして……楠智道くんの得点! 30点! 最下位は……ざんねぇん! 10点の橘恵利さんでぇす!」



ぼふっぼふっぼふっ。

なにがそんなに楽しいのか、ジャンプをしながら手を叩くクマ。

私はそんなクマを睨みつけることしかできない。

私が最下位。

私がクレジット人間になる……。

ゾクリと背中が寒くなった。

これからどこでどんな労働をさせられるんだろう。

そしてそれはいつまで続くんだろう。

考えたくないのに、考えてしまう。



「と、いうことでクレジット人間は橘恵利さんに決定!」



視聴者向けなのか、クマはいつもよりも随分とテンションが高い。



「ちょっとまって。クレジット人間はひとりじゃなくてもいいんだよね?」



口を挟んだのは繭乃だ。

クマが飛び跳ねるのをやめて繭乃へ視線を向ける。



「いいよ? どうする?」


「それなら智道も一緒にクレジット人間として働いてもらう」



まだうつむいたままの智道を指差す繭乃に、私は愕然とした。



「なにそれ。なに言ってんの!?」



私は智道だけでも助けたいと思った。

だから自分が負けてもよかったのに!



「だって、ふたりの点数って同じようなもんじゃない? それに、ふたりで仕事した方が早くダイヤモンドが手に入る。負担だって軽くなるんじゃない?」



繭乃は笑みを浮かべてそう言い放った。

信じられない……!



「でも、智道は彼氏でしょう!?」


「彼氏だからなに?」



繭乃が一歩私に近づく。

その威圧感に押されて一歩後ずさりをしてしまう。



「こんなところで彼氏も家族もないんじゃない?」



そんな……!



「恵利はいつでもそうだ。ちょっと考えが生ぬるいんだよ」



そう言って繭乃の肩に手をかけたのは尋だった。

尋は繭乃の首筋に顔をうずめている。

繭乃もそれを拒絶しない。



「なにしてるの……」



声が震えた。

遊園地に入ってからふたりの仲が急接近していることにはなんとなく気がついていた。

でも、ふたりの距離感がそんなものじゃない。

もっと長い付き合いがあるように感じられる。



「やっと気がついたみたいだな」



尋がニヤついた笑みを浮かべて繭乃の胸に触れる。



「なにしてるの尋! やめてよ!!」



自分の彼氏が自分の目の前で他の女の体に触れている。

それがこんなに気持ちの悪いことだなんて、知らなかった。

全身に虫唾が走っているような感覚だ。



「俺たちはずっと前から付き合ってる」



繭乃が愛おしそうに尋の手を握りしめる。

やめて!

それ以上聞きたくない!



「はじめて会ったのは1ヶ月前だっけ? ダーツ場でだったよね」



繭乃が懐かしむように目を細める。

尋は頷いた。



「そう。ちょうど一ヶ月前だったな。俺が友達とダーツで遊んでたところに繭乃が来たんだ」


「ダーツはしたことないって言ってたくせに!」



思わず声が荒くなる。

なにもかも嘘だった。

私はずっと前から裏切られ続けていたんだ!

その事実が体にずっしりとのしかかってくる。

信じられないし、信じたくない。

だけど、今尋が話していることはすべて事実なんだ。



「悪いな恵利。本当は中学校の頃から兄貴と一緒にやってたんだ」



それならかなり上達していても不思議じゃなかった。

こんな状況にあっても尋は冷静にゲームをすることができただろう。

それは点数を見ても一目瞭然だった。



「私がダーツを始めたのは尋と出会ってから。でも、尋の教え方が上手だったからすぐに上達した」



繭乃が勝ち誇った笑みを浮かべる。

悔しくてギリギリと奥歯を噛みしめる。



「どうしてこんな女なんかに……」



そう思わずにはいられない。

こんなクズ女に尋が惹かれたなんて、そして私が負けてしまっただなんて思いたくない。



「だってお前、ヤラせてくれねぇじゃん」



尋の言葉にカッと体が熱くなる。

顔が真っ赤に染まっているのが自分でもわかった。



「尋ってばかわいそうに、ずっと我慢してたみたいよ?」



繭乃は自分から尋の体に絡みついていく。



「恵利は顔は可愛いけど、処女だからめんどくせぇんだ」



そう言って笑う尋に屈辱感がこみ上げてくる。

めんどくさい。

私と付き合っている間、ずっとそう思っていたんだろうか。

尋は私に優しかった。

決して嫌がるようなこともしなかった。

だけどそれは陰で繭乃と関係を続けてきたからだ。

別のところで自分の欲望を発散していたからこそ、私に優しくできていただけなんだ。



「よくそんなひどいことが言えるな」



智道がふたりを交互に見て震える声で言った。



「よく言うよ。自分だって裏切られてたくちなのにさ」



尋がバカにしたように鼻で笑う。



「ゲームをダーツに決めたのだってふたりで仕組んでたんでしょ!?」


「それは違う。ダーツに視線を落としてたから、そうするかって聞いたんだ」



あのとき、私は頭の中でダーツがいいんじゃないかと確かに考えていた。

だけどそれはみんなが平等にできるゲームだと思ったからだ。

尋は私の視線の動きを見逃すことなく、背中を押した。

ふたりにはまだいいたいことが山程あった。

だけどそんな時間も負けた人間には与えられない。



「さぁ。行こうか」



クマに促されると体に微量の電流が流れる感覚がして、次の瞬間には自分の足でクマについて歩きだしていたのだ。

途中で逃げ出そうとしても、体がいうことをきいてくれない。

心と体がバラバラになってしまったような気持ちの悪い感覚。



「大丈夫。きっと、大丈夫だから」



智道が私の横を歩きながら繰り返す。

その後ろではふたりの笑い声がいつまでも聞こえてきていたのだった。

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