はめられる

遊園地の中はオレンジ色に包み込まれていたけれど、少しもお腹は減っていなかった。

今日1日で色々なことがありすぎて、食欲が失われている。

それはみんなも同じようで誰も食事をしようとは口に出さなかった。

ただ時折ペットボトルのジュースを飲むだけだ。

私達4人はショップから離れた場所にあるベンチに座っていた。

このまま夜になったらここで夜明かしすることになりそうだけれど、野生動物などが襲ってくる心配はなさそうだ。

中にはホテルを利用するチームもあるみたいだけれど、そんな気にもなれなかった。

せっかくホテルを利用したとしても、きっと熟睡はできないだろうし。



「少し横になろう。さすがに疲れたよ」



ベンチの後方に敷き詰められている芝生に智道がゴロンッと横になった。

「そうだね」

私も同じように横になる。

昼間の暑さは徐々に影を潜めていき、今はちょうどいい気温だ。

柔らかな芝生で横になっていると今日1日の出来事が夢のように感じられてくる。

ジェットコースターに轢かれた男の子も、メリーゴーランドの柵に激突して死んだ女の子も、バスに引きずられた女の子も、観覧車の男の子も。

そして、助けられずに自殺したチームのことも。

オレンジ色に染まる空にはカラスが数羽飛んでいて、これから家に帰るのだろう。

途端に家族の顔が浮かんできた。

お母さん、お父さん、おばあちゃん。

そしてペットの柴犬のシロ。

みんなの顔が空の雲のように浮かんでは流れて消えていく。



「……家に帰りたい」



ポツリと呟く。

今頃みんなどうしてるだろう。

私がいなくなってすごく心配しているかもしれない。

できれば今すぐここにいることを知らせに走っていきたいくらいだ。

ジワリと視界が滲んで、また涙が出てきたことに気がついた。

すぐに手の甲で拭き取るけれど、なかなか止まらない。



「大丈夫?」



智道が上半身を起こして私の頭を優しく撫でる。

大丈夫だと答えたかったけれど、喉が締め付けられてうまく言葉にならなかった。



「無理に泣き止まなくていいよ」



そんな風に優しい声で言われると涙は次から次へと溢れてきてしまう。

気がつけば私は智道の胸に顔をうずめて大きな声をあげて泣いていた。

わんわん泣きじゃくる私の背中を智道が優しくさすってくれる。

こんな風に泣いたもの、なぐさめられたのも、小学生以来かもしれない。

しばらく泣き続けるとさすがに疲れてきて涙も出なくなってきた。



「……ごめんなさい」



人の彼氏の胸を借りてしまったことに罪悪感をいだきながらそっと離れる。

智道は優しい笑顔で「もう大丈夫?」と聞いてきた。

その近い距離に今更ながら恥ずかしさを感じて顔が熱くなっていく。

「だ、大丈夫です。ごめんなさい」

早口に言って智道から距離を取り、周囲を見回す。

どこに行ったのか、繭乃と尋の姿が見えない。

トイレにでも行ったのかも知れない。

とにかく、ふたりで抱き合っているような場面を見られなくてよかった。

頬に流れた涙を拭っていると、繭乃が戻ってきた。

手にハンカチを握りしめているからやっぱりトイレだったんだろう。

それから少しすると尋も新しいペットボトルのジュースを持って戻ってきた。



「飲み物いるか?」

尋がスポーツドリンクを差し出してきたので「ありがとう」と言い、受け取る。

けれど尋の顔をまっすぐに見ることができなかった。

さっきまでの罪悪感がまた胸に残っている。

「少し考えたんだけどさ」



智道が芝生に横になったまま口を開く。



「この園内には社員用の建物があるはずだろ。そこから逃げることはできないかな?」



クマの面をつけた人や、クマの着ぐるみの存在を思い出す。

彼らだってどこかで寝泊まりしているはずで、その建物を見つけることができれば、出入り口も見つかるかも知れない。



「建物のドアが触接外に続いてるってことか」



尋が智道の言葉に同意するように頷く。



「他に出入り口はなさそうだからな」



それなら明日はそれらしい建物を探してみるのがよさそうだ。

簡単に入ることはできないと思うけれど、建物を見つけることができれば状況は一歩前進する。

私はそう思っていたのだった。


☆☆☆


「ダイヤモンドを買うためのゲームをしようよ」



私と智道が脱出方法を思案していたとき、繭乃が信じられない言葉をかけてきた。



「なに言ってるんだ?」



智道の表情が一瞬にして険しくなる。

冗談にしても聞き逃すことのできない言葉だ。

ダイヤモンドを手に入れるためには長期間労働か、死を意味する。

絶対にそんなものを購入してはいけないと、わかっているはずだった。

しかし、

「俺も賛成だ」

繭乃の意見に賛成したのは尋だった。

尋は繭乃の横に立ってこちらを見ている。



「なに言ってるの!?」



思わず智道と同じ言葉を発していた。



「ダイヤモンドを購入すれば全員がここから脱出できる。しかも、残りのお金は山分けができるんだぞ? こんなチャンス、外に出たら出会えない」


「そうかもしれないけど、それって誰か1人を犠牲にするってことだよね!?」



私の言葉に尋は左右に首を振った。

「そうじゃない。ちゃんと労働をすれば死ぬことはない。それに、さっき自販機のところで会ったクマに聞いたんだけど、労働はゲームに負けた1人だけがしなくてもいいらしいんだ」


「どういうこと?」



ゲームをせずに普通に労働をしようと言っているんだろうか?

4人で働いたってダイヤモンドを買うだけのお金が簡単に貯まるとは思えない。

とにかく私は反対だった。



「他にもわかったことがあるよ」



繭乃が口角を上げて笑顔になって言う。

どうせろくでもないことだと耳を塞ぎたくなるけれど、これから先必要になる情報かもしれないから無視できないのが悔しい。



「普通に労働するよりもゲームで負けたクレジット人間が労働するようが遥かに高収入だってこと」


「そういえば俺がクレープ屋で働いたときも結構高収入だったよな」



元々クレープの単価がやすかったこともあり、尋はそれほど重労働をしたわけでもなく4人分のクレープを手にいれることができた。

繭乃は大きく頷いた。



「それにね、負けた人間1人だけをクレジット人間にする必要はないんだって」



その言葉に私は眉を寄せた。



「例えばババ抜きで最下位になった人と、3位になった人がふたりで労働することもできるってこと。そのシステムを活用すればダイヤモンドなんてあっという間に手に入る!」



繭乃の声がオクターブ高くなる。

すでにダイヤモンドを手に入れたような喜び方だ。



「ちょっと待ってよ。一体どのくらいのダイヤモンドがほしいっていうの?」



ダイヤモンドだって値段はピンキリだ。

まずはそこを聞いてからじゃないと話しにならない。



「3億円のダイヤ」



繭乃が躊躇せずにはっきりと答える。

私は強いめまいを感じてよろめいてしまった。

3億円のダイヤ!?

それはショーケースに入っていたあの大きなダイヤモンドのことを言っているのだと、すぐに理解した。

あんなものを欲しがるなんてどうかしてる!



「ダイヤモンドをお金に変えて4人で脱出する。それでも金は充分に余るってことか」



尋が考え込むように顎に手を当てた。

その様子に焦りが湧いてきた。

まさか、本当に3億円のダイヤモンドを購入する気だろうか。



「ダイヤモンドなんていらない! いくらクレジット人間になって労働したって、何年かかるかわからないでしょう!?」



必死になって説得するけれど、繭乃は目を輝かせたままで聞く耳を持とうとしない。



「勘弁してくれよ繭乃。お前はいつだってそうだよな。自分が欲しいと思ったものは絶対に手に入れようとする。それが他人の持ち物でもだ」



智道が我慢の限界だと言わんばかりに声を荒げる。

今までも繭乃は私生活の中でわがまま放題してきたのだろう。

付き合っている智道はそれをよく理解している。



「だって、欲しいものは欲しいんだもん。それのなにが悪いの?」



繭乃は全く悪びれた様子を見せない。

自分がしていることが異常だとも感じていないみたいだ。



「やっぱり、お前が言っていた希の噂は嘘だったんだな」



なにかを確信したように智道が呟き、両手で顔を覆った。

希って誰だろう?

気になったけれど、今は聞けるような雰囲気ではない。



「嘘を本当だと信じ込んで希と別れたのは智道でしょ」



繭乃の顔が愉快そうに歪む。

希というのは智道の元カノみたいだ。

繭乃は智道と付き合いたくて、希の嘘を吹き込んで別れさせた。

そして自分が付き合うことに成功したのだろう。

どこまでも貪欲で、自分の手に入れたいものは必ず手に入れる。

そんな繭乃の性格がどんどん顕になっていく。



「そんなことしたなんて、最低」



ため息交じりに吐き捨てる。

「あんたなんてどうせ自分が欲しいと思って


も我慢するんでしょう? 手を伸ばせば手にいれることができるのに、ばっかみたい」


「誰かを傷つけてまで手にいれたいものなんてない!」


「いい子ぶってんじゃねぇよ!」



繭乃が私の両肩に掴みかかる。

痛いほどに食い込んだ両手を引き剥がそうとするけれどうまくいかず、そのままふたりして転がってしまう。

それでも繭乃は私から手を離そうとしない。

私は目の前にある繭乃の顔につばを吐きかけた。



「なにすんの!」



咄嗟に身をかわした繭乃の体を両手で押して無理やり引き剥がす。



「さいってー! 汚い!」



頬についた私の唾をジャージで何度もぬぐっている。



「あんたに最低とか言われたくないけど」



人の彼氏を無理やりとっておいて、よく彼女面ができていたものだ。

私は智道に手を差し伸べられて立ち上がった。



「もういい。それならふたりでゲームをしよう」



とんでもない提案をしたのは尋だ。

いつの間にかクマの着ぐるみが近くに立っていて、その手には2種類のゲームが入った箱が準備されていた。

ダーツとトランプだ。



「違うの! 私達ゲームなんてしないから!」



慌ててクマへ向けて言うが、クマは首をかしげてこちらを見つめるばかりだ。



「ゲームはする。俺と繭乃で勝敗を決めて、どちらかが労働に出る。それで問題ないだろう? その代わりダイヤモンドを手に入れても恵利と智道には渡さない」


「そうね。それでいいじゃん。ゲームをしたくない人間は参加しなくていい。そういうこともできるんでしょう?」



繭乃がクマに質問して、クマがうんうんと頷いて見せた。

私と智道は目を身交わせて息を詰める。

このままゲームをすればどちらかが必ず負けて労働へ行くことになる。

そしてダイヤモンドを手にしても、私と智道だけはここから脱出することはできない……。

ゲームをしたとしても勝つか負けるかはまだわからない。

私が勝つ可能性だって残っている。

そうなれば、なにもせずにただ遊園地内で待っているだけで外へ出ることができて、大金を手に入れることもできるんだ。

ゴクリと唾を飲み込む。

待って。

落ち着いて。

本当にそんなにいい話があると思う?

繭乃の性格は最悪だし、尋も遊園地へ来てからはお金に目がくらんでいるときがあるみたいだ。

そんなふたりの言葉に踊らされちゃいけない。

ちゃんと自分の頭で考えないと。

それでも心はグラグラと大きく揺れ始めていた。

ここでふたりだけにゲームをやらせていいのかどうか、判断がつかない。

そうしている間にも尋と繭乃はクマに近づいてどのゲームを行うか相談し始めている。



「ねぇ……ちょっと、待ってよ」



数歩ふたりに近づいて声をかける。

けれど私の声は届かない。

ふたりは完全にふたりの世界に入り込んでしまっているようだ。



「くそっ」



そのとき智道が舌打ちをして大股でふたりに近づいた。

そして繭乃の肩を叩く。



「待て。俺たちも参加する」


「いいの?」



繭乃が楽しげな表情で振り向いた。

繭乃の思い通りの展開になっているような気がして、私は唇を引き結んで視線を外す。



「勝手に話を進めるんだから仕方ないだろ」



ため息まじりに言っているけれど、やはり繭乃のことをほっとけないんだろう。

私も3人に近づいた。



「みんなが参加するなら、私も参加するよ」



1人でこの遊園地に取り残さえるなんて考えただけで寒気がする。



「よし、じゃあ全員参加だな」



尋はそう言うとクマへ向き直った。

クマが持っている箱の中を覗き込んでいる。



「ゲームはジャンケンとトランプとダーツ。どれを選ぶ?」



尋に聞かれて私は繭乃と智道を交互に見つめた。

どのゲームを選ぶかによって得意不得意がわかれるのがわかる。

一番平等なのはジャンケンだけど、それだとすぐに決着がついてしまう。

色々と考えている間に手のひらにじっとりと汗が滲んでくるのを感じた。

恐怖と緊張が体を駆け巡っているのがわかる。



「トランプだとそこからまたゲーム内容を決めなきゃいけないよね? そうなると結構時間んがかかっちゃうと思うけど」



繭乃がトランプを指差して言う。

確かに、トランプゲームは種類が豊富だし、なかなか決着がつかないときもある。

ババを引きあいこしてしまうババ抜きだって、よく見かける光景だ。

となると残っているのはダーツだけだ。

ダーツならすぐに勝ち負けが決まることもないし、それほど時間もかからない。

精神面を保つためには一番最適かもしれない。



「ジャンケンとダーツ、どっちがいい?」



尋が私へ向けて質問するので、視線が思わずダーツ版へ向かう。

でも、ダーツは未経験だ。

中央の丸い印に矢を当てればいいだけの簡単なゲームだということは知っているけれど、実際にやったことはない。



「ダーツか?」



視線に気がついた尋が聞いてくる。

私は慌てて左右に首を振った。



「ダーツはやったことがないし、よくわからないよ」



なんにせよゲームの選択肢が少なすぎる。

生死がかかっているゲームを行うというのに、この三種類しかないなんてひどい。



「俺もダーツは未経験だ。他のみんなは?」



繭乃も智道も同時に「やったことがない」と、答えた。

みんな初心者ということは平等にゲームが進んでいくということだ。



「ダーツなら、それぞれが三回投げてその得点を競うよ!」



話し合いを聞いているのに疲れてきたのか、クマが口を挟んできた。



「回数まで決められてるの?」



聞くとクマは首を傾げて「それ以上でも以下でもいいけれど、視聴者が飽きずに楽しめる回数はひとり三回かな」

そういうことか。

だらだらと長期戦をしていると視聴者が飽きて動画を見なくなる。

あまりにあっさり決着がつくのも面白くない。

なんもかもに踊らされている気がして気分はよくないけれど、仲間同士で話し合いをしていてもいっこうにゲームは進まないだろうから、ここは従うことになった。



「よし、それじゃあ順番はジャンケンで決めよう。一番負けが一番最初にやって、あとは順番にしよう」



尋の言葉にみんなが頷く。

全員が未経験のゲームなのだから、ここで損得はないはずだ。



「じゃーん、けん、ぽんっ!」



私が出したのはパー。

尋はグーで、繭乃もグー。

そして智道がパーだ。

自分が勝ったことでなんとなく安堵して息を吐く。

智道とジャンケンをすると、チョキとパーでまた私が勝ってしまった。

順番は一番最後ということになる。

私の順番は最終的に負けたのは繭乃だった。



「これがゲームだったら私が負けてたんだよね。危ない危ない」



苦笑いを浮かべて額に浮かんだ汗を拭っている。

繭乃でもさすがに緊張していたようだ。



「それじゃ繭乃から」



尋が箱からダーツの道具を取り出していく。

丸い板になってりうダーツ版は壁に固定できるようになっているから、建物の壁にかけさせてもらう。

後必要なのは矢だ。

矢は手のひらより少し大きいくらいのサイズで、カラフルに色付けされている。

これならどこに刺さったかすぐにわかりそうだ。

ダーツ板の真ん中は真ん中が赤色になっていて、そこに当たれば50点。

そこから細かく円で分けられていて次に小さな円に当たれば40点。

その次が30点、20点、10点と、円が大きくなればなるほど点数は少なくなっていく。



「普通のダーツよりも真ん中の円が小さい気がするな」

尋が呟く。

「え? 知ってるの?」

「見たことくらいはあるよ。兄貴がダーツが好きだから」

そういうことかと納得する。

とにかく経験のない私は人がやっているのを見て少しでもなにかを習得するしかない。

「ダーツのルールを説明しよう」



ゲームの準備を進める私達へクマが近づいてきた。



「矢を投げる場所はダーツ板から244センチ離れた場所から」



クマは説明しながらダーツ版を設置した壁からの距離を測り始める。

きっちり244センチの地面に白いチョークで印をつける。



「矢は二本の指で持つこと。親指と人差し指でね。そして中指は添えるだけ」



クマにレクチャーされながら矢を持ってみる。

なんだかこうしていると普通に遊んでいるような気持ちになってくる。

緊張感は忘れちゃいけないものなのに。



「後は手首のスナップをきかせて投げるだけ」



簡単に言っているけれど、結構難しいはずだ。



「練習時間はないの?」



聞くとクマは左右に首を振った。

ぶっつけ本番ということだ。

矢を持ったのだって今が初めてだけれど、みんな同じなのだから文句は言えない。

初心者で、しかも一番最初に投げる繭乃が緊張で表情が固くなっているのがわかる。



「よし、じゃあ始めよう」



尋の言葉を合図に私たちのゲームは開始された。


☆☆☆


周囲は随分と暗くなり始めていたけれど、遊園地の中はきらびやかな電灯のおかげで昼間のように明るかった。

昼間と違うのは、その光に虫がよってきていることくらいだ。

周囲は森に囲まれているから、あちこちで羽虫が飛び交う音が聞こえてくる。

そんな中で、繭乃が緊張した様子でダーツの矢を手に持ち、クマが引いた線の手前に立っていた。

その視線を先にはダーツ版がある。

黒色と貴重としているダーツ版だけれど、蛍光塗料が塗られているようで夜でもしっかり見えていた。



「行くよ」



繭乃が小さく呟いて、勢いよく矢を放った。

矢はまっすぐに飛んでトンッと軽い音を立ててダーツ版に突き刺さる。

矢が刺さったのは30点の輪の中だ。

知らない間に呼吸を止めて見守っていた私は大きく息を吐き出した。



「やった、30点!」



繭乃がその場で飛び跳ねて喜んでいる。

これがいい点数なのかどうか、まだわからない。



「次、2投目」



クマが合図して繭乃がまた表情を引き締める。

ダーツの矢を持つ指先が、さっきよりも様になっているような気がする。

繭乃が投げる瞬間、またしても息が止まる。

もしも矢がダーツ版の外に落下したら?

ダーツ版に全く届かなかったら?

そんな不安が押し寄せてきて背中に汗が流れていくのを感じる。

他人のゲームでこれだけ緊張感があるのだから、自分の番になったときにどうなるかわからない。

繭乃の2投目は40点の場所に刺さった。

なかなかの高得点じゃないだろうか。



「ダーツ得意なのかも」



すっかり舞い上がった繭乃は鼻歌を歌いだしそうなくらい上機嫌だ。

もう自分が負けることはないと思っているのかもしれない。



「次、3投目」



そういうクマの声色がなんとなく面白くなさそうに聞こえたのは気のせいだろうか。

すでにリラックスしている繭乃が線の前に立ち、最後の矢を投げる。

矢は再び40点のところに刺さった。



「3回投げて110点か」



智道が呟く。

それがいい点数なのか普通くらいなのか、私にはわからない。

でも、少なくても悪い点数ではなさそうだ。



「次は俺の番だな」



尋が大きく息を吸い込んで一歩前へ出る。

手のひらにひどく汗をかいているようで、ジャージで何度も拭っている。



「準備はいい?」



クマに聞かれて尋はダーツの矢を手に取った。

そして祈るように矢の先を指先で撫でる。



「頼む。いいところに飛んでくれ」



小さく呟いて投げた矢はトンッと小気味いい音を響かせて40点の輪の中に刺さった。



「よしっ!」



尋が勢いよくガッツポーズを作る。

最初から高得点だ。

私は唾を飲み込んで様子を見守る。



「2投目」



クマが間髪入れずに指示を出す。

それにも尋は動揺を見せることなく、冷静に対処する。

2投目も同じ40点のところに刺さった。



「やった! すごいよ尋!」



思わず手を叩く。

ここが普通のダーツバーかなにかだったら、もっと喜んでいたのに。

そして尋の3投目は真ん中の50点に刺さって終わった。



「以外と簡単だったぞ」



尋は我慢できない笑顔を浮かべて言う。

そっか、意外と簡単なんだ。

そう聞くと少しだけ安心できる。

尋のトータル得点は130点。

繭乃よりも高い。



「100点は超えられるものなんだな」



今までのゲームを見てきた智道が呟いた。

ふたりとも初心者だったけれど、3回のトータル得点は100点を超えてきている。

それを基準にしてプレイするみたいだ。



「頑張って!」



繭乃が横から智道に声をかけている。

智道は小さく頷くと、クマから矢を受け取った。

そして白線の手前に立って深呼吸をする。



「1投目!」



クマの言葉に智道の視線がダーツ版へ向かう。

何度か手首を揺らして矢を構える。

そして勢いよく投げた。

しかし力加減が間違っていたのか、矢は右にそれてダーツ版の右側の壁にぶつかって落下してしまった。



「嘘でしょ」



思わず呟く。

繭乃や尋は簡単にダーツ版に当てていたから、まさか0点なんてことがあるとは思っていなかった。



「おやぁ? 残念だったね、0点だ!」



クマが楽しげな声を上げる。

ここから50点を2回取ったとしても繭乃と尋に勝つことはもうない。

智道は愕然とした様子でその場に立ち尽くしてしまった。



「ほら、早く2投目を投げなよ」



クマに催促されて智道は再び矢を持つ。

しかしその指先は微かに震えていた。

まさかのミスで自信が揺らいでいるのが見えていてもわかる。



「智道落ち着いて、大丈夫だから」



繭乃の言葉に智道はうなづき、再び深呼吸をする。



「でも、結構難しいぞ」



智道は真剣な表情でそう言った。



「私にもできたんだから、大丈夫だって!」



繭乃は必死で声をかけているけれど、自分はすでに安全圏にいると思っているのかその声はどこか軽さを感じる。

もともと、本当に智道のことが好きだったのかも怪しい人だ。

それでも智道は勇気をもらったのか、2投目を投げた。

矢はまっすぐに飛んでトンッと軽い音を立ててダーツ版に突き刺さる。

やった!

当たった!

喜んだのもつかの間、ダーツの矢は10点のところに刺さっていた。



「いい調子!」



繭乃が調子よく声をかけているが、智道の顔は真っ青だ。

これじゃ次に50点を撮ってもトータル60点にしかならない。

私がどれだけ点数を取れるかわからないけれど、絶望的な数字であることには間違いなかった。



「次が最後」



クマが粘ついた声で言って智道に最後の矢を渡す。

智道は震える手でそれを受け取った。

この矢ですべてが決まってしまうような、そんな緊張感が漂ってくる。



「こんなのおかしい。なにか変だよ」



智道が投げる前に私はそう言っていた。



「おかしいってなにが?」



早くゲームを勧めてほしいのか、繭乃が眉間にシワを寄せて聞いてくる。



「だって、みんな初心者のはずなのにここまで点数に差がでるなんておかしいじゃん!」



あきらかに繭乃と尋のふたりはダーツに慣れている。

智道を見ているとそう思わざるを得ないのだ。



「何言ってんの? 私達がダーツを選んだわけでもないのに?」



そう言われると言い返せない。

確かに、私はダーツをすることを強要されたわけじゃない。



「でも、みんな初心者だと思ったからダーツに決めたんでしょ!?」



それが経験者だったとなれば話は全く違ってくる。



「私達が経験者だっていう証拠でもある?」


「そ、そんなのあるわけないじゃん!」

証拠があればそれを突き出しているところだ。



だけどなにもない。

ただの私の憶測でしかないのだから、繭乃が調子に乗って笑い始める。



「それってただの言いがかりじゃん。単純に私と尋が上手だった。それだけでしょう?」


「でも……っ」



絶対にそんなのは嘘だ。

だけど証明できない。

反論しても適当にかわされて終わるだけだとわかっているから、余計になにも言えなくなってしまった。

黙り込んでしまった私に繭乃が勝ち誇った笑みを浮かべる。

智道が青い顔で線の手前に立った。



「仕方ない。やるしかない」



自分に言い聞かせるように呟く智道の手は、肉眼で見てはっきりとわかるほどに震えている。

こんなんで矢を投げられるわけがない。

止めようとしたけれど、それより先に矢が投げられていた。

力の抜けた手で投げた矢は心もとない動きで飛び、20点のところに突き刺さった。

それを見た智道がその場にへなへなと座り込んでしまう。



「大丈夫!?」



慌てて駆け寄ると、智道は真っ青な顔で左右に首を振った。



「もうダメだ。俺はゲームに負けた」


「ま、まだわからないよ」



最後に残っているのは私だ。

私は正真正銘ダーツの初心者だし、智道よりも点数が低い可能性は残っている。

でもそれは、私がクレジット人間になって労働することを意味している。

智道を助けたい。

だけど自分も負けたくない。

そんな矛盾した感情がぐるぐると頭の中を回っている。

どうしよう。

どうすればいいんだろう。

あのふたりに乗せられてゲームなんてしなければよかったんだ。

今更後悔してももう遅い。

ふたりの勝利はすでに確定しているようなものなのだから。

負けるのは私か智道。

どちらかだと、ふたりは最初からわかっていてこのダーツを始めたんだ。

悔しくて下唇を噛みしめる。

一体いつから?

いつからふたりは共謀していたんだろう。

そうとしか思えない展開だ。



「ほら、次は恵利の番だ」



智道と共に座りこんでいたところに尋の声が聞こえて視線を上げた。

尋はすでに勝ち誇った笑みをたたえていて、その手にはダーツの矢を持っている。

早くゲームを終わらせて労働へ行けと言われているような気がした。

胸の奥がムカムカして、吐いてしまいそうだ。



「尋は……こうなることを知ってたんだね?」



訊ねる声が震えた。

こんなこと考えたくはないけれど、尋は私を裏切ったんだ。



「なんのことだよ?」



しらばっくれるように首をかしげているけれど、笑みは浮かんだままだ。

自分の勝利が確定しているから、私のことなんてどうでもいいんだろう。



「私達……付き合ってるんだよね?」



確認せずにはいられなかった。

私はここへきてからもずっと尋のことを想っている。

尋はどうなんだろう?

遊園地へ来てからの尋はどこかおかしかった。

時折見せる顔は繭乃と同じで、自分の欲望を顕にしている。

私のそばにずっといてくれたのは、尋じゃなくて智道のほうだった。



「何言ってんだよ。もちろん」



尋の言葉にパッと顔を上げる。

手を伸ばして私の頭を優しく撫でる。



「尋……」


「でも今はそんなこと関係ないから」



優しさの後で突き放されて私の頭は混乱する。

尋は私の頭に置いた手で、痛いくらいに髪の毛を掴んできた。



「痛いよ、なにするの!?」



逃げようとしてもそのまま引き立てられてしまった。

頭皮が引きちぎれてしまいそうな痛みと熱で涙が滲んでくる。



「だから、早く投げろ」



耳元で低い声で脅されて血の気が引いていく。

これが私の知っている尋?

あんなに優しくて頼もしかった尋?

とても信じられなかった。



「なにしてんだよ!」



尋を止めたのは智道だった。

尋の手から力が抜けて、そのすきに智道の後ろへ身を隠す。

尋は面白くなさそうに智道を睨みつけた。



「お前には関係ないだろ? これは俺と恵利の問題だ」


「関係あるだろ、同じチームなんだ!」



智道の言葉に声を上げて笑ったのは繭乃だった。

繭乃は体を曲げて心底おかしそうに笑っている。



「チームって、まだそんなこと言ってんの?」



繭乃の言葉に周囲の温度が下がっていく。



「他のチームはもう誰かを蹴落としていってる。それでもチームだとか言える?」


「誰も犠牲にしていないチームだってまだ沢山ある!」



みんなでホテルで仕事をしていたチームのことを思い出す。

あんな風に全員で協力することはできるんだ。



「彼らはつまらないね。だからこうなる」



口を挟んできたのはクマだった。

クマはタブレットを私達に見えるように掲げて持つ。

その画面に写っていたのは、全員で労働をしていたあのチームの姿だった。

4人がホテルのロビーでのたうち回って苦しんでいる。

それを撮影しているクマもいる。



「なにこれ、なんで!?」


「仲良くするのはいいことだけれど、あまりに面白くないと視聴者が離れるんだ。彼らは動画視聴率を下げたとして罰を受けてもらってる」



これが、罰……?

彼らは4人ともなにもない空間でただ苦しんでいる。

なにがどうなっているのかと思ったとき、腹部に取り付けられている機械の存在を思い出した。

あれがなにかしてるんだ……!

クレジット人間になった子の体を制御する機械。

だけど使い道はきっとそれだけじゃなかったんだろう。

この機械がついている限り、私達はこの遊園地に好き勝手使われうということだ。



「ほぉらね。チームなんて関係ないんだよ」



繭乃が楽しげに言う。

こんなときに楽しめるなんて心底どうかしているとしか思えない。



「次はあんたの番よ?」



ダーツ版を指差して繭乃が言う。

体がビクリと撥ねるのがわかった。

ここでゲームに参加すれば私か智道が負けるのは確定している。

3億円のダイヤモンドを購入するなんて、どれほど過酷な労働が待っているかわからない。

クマが差し出すダーツの矢を見るだけで心臓が早鐘を打ち始める。

呼吸が浅く早くなっていくのがわかるのに、恐怖心から自分ではどうしようもできない。

メマイを感じて視界がぼやける。

こんな状態でダーツをするなんて不可能だ。

その時智道に腕を掴まれて悲鳴を上げそうになった。



「逃げろ」


小さな声で囁く。

え……。



「ゲームに参加するな。逃げろ!」



大きく目を見開き、智道を見つめる。

その目は真剣そのものだ。

私は唾を飲み込んで頷く。

そうだ、ゲームなんてしなくていい。

こんなもの、参加する必要ない!

私は弾けるようにしてその場から駆け出した。

今までにないくらいに全力で走る。

何度も足が絡んで転けそうになりながらも必死で、前だけを向いて走る。

後方では繭乃と尋のふたりが文句を言っているのが聞こえてくるけれど立ち止まる気はなかった。

きらびやかに輝く園から脱出するために走って走って、シャッターが降りているアーチが見えてきたところでようやく足を止めた。

ここまで全力で走ってきたから肺が痛くて息を吸い込むのも苦しいくらいだ。

だけど心はスッキリしている。

私はゲームに参加しない。

その気持が背中を押している。

シャッターの前までやってきた私は周囲の様子を確認した。

銃で撃ち落とされた男の子たちの死体はすでに片付けられていて、静寂に包まれている。

銃はどこから打ったんだろう?

園内に背の高い建物はたくさんある。

グルリと確認したところで、緑色のクマの着ぐるみがこちらを見ていることに気がついた。



「ヒッ」



息を飲んで後ずさる。

シャッターが背中に当たってガシャンと大きな音を立てた。



「ゲームを途中で放棄することはできないよ」



クマが機械的な声で説明するが、私は左右に首を振る。



「ゲームなんてしない。私はやめる」


「できないよ」



クマが一歩一歩近づいてくる。

このクマの着ぐるみは園内に何体もいるのだろう。

あちこちから同じ着ぐるみが姿を見せ始めた。

全身に冷や汗が流れて足がガクガクと震えだす。

これだけのクマに取り囲まれたら連れ戻されてしまう!

逃げようと振り向いたその先にもクマがいた。

手を伸ばし、私の腕をつかもうとする。

寸前のところで隙間を縫って駆け出した。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

それでも体力はもう限界だ。

ここまで全力で走ってきたこともあって、足は思うように前へ出てくれない。

よろよろと何歩か進んだところで倒れ込んでしまった。

すぐさまクマが私を取り囲む。



「さぁ、ゲームへ戻ろうか」

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