狂っていく
額に冷たい感触がして私は目を開けた。
目の前には尋の顔があって「大丈夫か?」と声をかけてくる。
冷たさを感じる額に手を当ててみると、濡らしたハンカチが当てられていた。
「うん。大丈夫」
答えてから自分はどうして横になっているんだろうかと考えた。
暑さのせいで倒れてしまったんだっけ?
思い出そうとするけれど、頭が痛くてなかなか思い出すことができない。
やっぱり熱でやられたんだろう。
尋は木陰に私を寝かせてくれたみたいで、体は少し楽になっている。
「ありがとう尋。ひとりで帰れそうだから大丈夫だよ」
心配かけまいとして言ったその言葉に違和感があって、私は周囲を見回した。
私が横になっている木陰の少し離れた場所にメリーゴーランドがあり、今はクマのお面をつけた従業員らしき人たちが片付けをしている。
地面にはまだ血がこびりついていて、それがブラシで洗い流されていく。
その光景にすべてを思い出して私は勢いよく上半身を起こした。
突然体を起こしたことで一瞬メマイを感じるけれど、気にしている場合ではない。
「ここ、遊園地だよね?」
聞くと尋は頷いた。
普通の遊園地ではない。
史上最悪の遊園地だ。
すべてを思い出して胸の中がずっしりと重たくなっていくのを感じる。
由紀子が無残に死んでいった様子を、私はすべて見ていたのだ。
「他の人たちは?」
「チームのみんなは自販機に飲み物を買いに行った」
「そっか」
自販機の飲料くらいなら簡単な労働で購入できる。
ゲームをしてクレジット人間を作らなくても、自分で働くことを選ぶだろう。
「みんなが戻ってくるまで、もう少し休んだ方がいい」
尋に言われて私はおとなしく横になった。
風が心地よく頬をなでていく。
「ここって街よりも涼しいよね」
「そうだな。日中は外にいられないくらい熱くなると思ってたけど、大丈夫そうだ」
周囲は森に囲まれているし、気温も違う。
もしかしたら山の中にある遊園地なのかもしれない。
こんな風に子どもたちを誘拐して殺害しているのだから、街なかにあるわけがないのだけれど。
意識が戻ってからしばらくすると繭乃と智道がペットボトルのジュースを何本か抱えて戻ってきてくれた。
「よかった、気がついたんだな」
智道がスポーツドリンクを差し出してくれたので、私はそれを一気に半分ほど飲み干してしまった。
考えれば朝からクレープと水しか口にしていない。
「ありがとう」
お礼を言ってどうにか立ち上がる。
まだふらつくかと思ったけれど、大丈夫そうだ。
「これからどうすればいいか、考えないとな」
智道の言葉に私は頷いた。
この遊園地から脱出しないといけない。
けれど、その方法は今の所見つかっていなかった。
「簡単よ」
答えたのは繭乃だった。
繭乃は刺激的な炭酸ジュースを片手に持っている。
「簡単って?」
眉を寄せて聞き返すと、繭乃は近づいてきた。
「この遊園地内に順応して暮らすか、出ていくか」
「出ていくことなんてできないじゃん」
クマの説明では、外へ出るためにはひとり一千万円が必要になるらしい。
そんな大金を稼ぐためには何年も働く必要がある。
しかし繭乃は視線をメリーゴーランドの方へと投げた。
それにつられて私も視線を向ける。
そこには由紀子と同じチームにいた残り3人が立っていた。
3人の元にクマの面をつけたスーツ姿の男がひとり近づいていく。
その手にはアタッシュケースが握られている。
「これが約束の商品です」
男はそう言うとケースの蓋を開けて中身を見せた。
ここからでもわかる。
ケースの中には一万円札の束が何枚も入っているのだ。
息をすることも忘れて私はそれを見つめていた。
「サンキュ」
リーダー格の男の子が軽い調子でケースを受け取ると、3人は歩き出した。
「これで外に出られるね!」
「あぁ。3人で外に出てもまだお金が残る。それは山分けだな」
そんな会話が聞こえてきて頭の中が真っ白になるのを感じた。
「あの子達。さっき純金を買ったんだよ。それを現金化して脱出する目的だったんだろうね」
繭乃が見ていたことを説明してくれる。
「その、純金ってまさか……」
「由紀子って子が死んだことで一括で購入したってこと」
やっぱり、そうなんだ……!
高速回転するメリーゴーランドに耐えきれず、柵にのめり込むようにして死んでいった由紀子。
自分たちの脱出のためだけに、そんなことをするなんて!
信じられなくて胸の奥がカッと熱くなった。
これからあの3人は外へ出て、残ったお金を使って悠々自適な生活をするつもりなんだろう。
ひとりを犠牲にして……!!
「許さない!!」
気がつけば私は大股で彼らに近づいていた。
後ろから尋が止める声が聞こえてくるけれど、止まることはできない。
怒りが体中を支配して、熱を持つのを感じる。
「ちょっと! こんなのおかしいでしょ!?」
飛び止めるために声を張り上げた。
出口へ向かって歩いていた3人が足を止めて振り返る。
その顔には笑みが浮かんでいて、更に苛立ちが加速する。
人ひとり殺しておいて、どうして笑っていられるんだろう。
「なにか用事?」
女の子が見下した声色で尋ねてくる。
「こんなのおかしいでしょ」
私はまた同じことを言った。
「おかしい? なにが?」
男の子の目が鋭く光る。
私はひるまないように両足を踏ん張って睨み返した。
「チームの子がひとり死んだんだよ? あんたたちのせいで!!」
「俺たちのせい? 違うだろ。これはこの遊園地が作ったシステムなんだよ。それがまだわかってねぇのか?」
確かに一番悪いのは遊園地側の人間たちだ。
だけど、だからこそ、私達は園内でそのシステムに踊らされちゃダメなんだ。
「時間をかければ死ぬことだってなかったでしょう!?」
「はぁ? お前、これだけの金を手に入れるのに労働しろってのか? 何年、何十年ここにいるつもりだよ」
男の子が呆れ顔になる。
「でも、それでも誰かが死ぬなんて……!」
「お前、一生ここで暮らすのか?」
私の言葉を遮るように重ねてくる。
私は喉の奥に言葉をつまらせた。
一生、ここで暮らす……。
そんなことできない。
絶対に無理だ。
こんな狂った場所、一刻も早く出ていきたい。
それはみんな同じなんだ。
だから選んだ。
チームの中で、誰かひとりを犠牲にすることを。
それは私が文句をつけるようなことではないのかもしれない。
「まぁ、せいぜい頑張れよ」
男の子はそう言うと、他の2人を連れて再び歩き出したのだった。
☆☆☆
結局3人を止めることもできず、時間だけが過ぎていく。
園内を見回せば次々とゲームを開始しているチームが目立ち始めている。
脱出するためだけじゃなく、飲食にも必要なことだからだ。
チーム内でのゲームに勝手喜ぶ者。
ゲーム負けて悔しがる者。
それだけならまだいい。
中にはゲームに負けて逃げ出そうとする者もいる。
なにをかけてのゲームなのか知らないが、ろくでもないものであることは確かだ。
逃げようとしてもそれがうまくいくわけでもない。
腹部に装着された機械が体の動きを制御して、元の場所へと引き戻される。
泣きながらクマに連れて行かれる女の子もいる。
まるで地獄絵図だった。
「みんな、自分が脱出するために行動に移し始めたね」
ベンチに座っていると繭乃がそう呟いた。
繭乃の視線の先には観覧車があるが、ゴンドラの上に立っている男の子がいる。
ゴンドラの外部に捕まるところもなく、あんなところに立っていたら落ちてしまうかもしれないのに。
男の子の体はガクガクと震えていて今にも落下してしまいそうなのだ。
「あれも、ゲームで負けたから?」
繭乃が静かにうなづく。
男の子を乗せた観覧車はゆっくりゆっくりと上昇していく。
この様子も沢山の視聴者たちに見られているんだろう。
こんなものを好んで見る連中がいるということに気持ち悪さを感じた。
「早く止めないと!」
駆け出してしまいそうになるのを尋が手を掴んで止めてきた。
「今更どうにもならない。近づいたってなにもできない」
「でもっ!」
でも、人が死ぬかも知れないのを黙ってみているなんてできない。
そう続けようとしたけれど、他のチームのみんなも観覧車には近づかないようにしていることがわかって言葉を切った。
「あの子の体はもう制御されてる。だから助けることなんてできない」
繭乃がハッキリとした声で告げる。
私はゴクリとつばを飲み込んで観覧車へ視線を向けた。
観覧車のゴンドラはさっきよりも少し上の方へ移動していて、男の子の姿が小さく見える。
その姿を視線で追いかけながら、右手で自分の腹部に触れた。
服の上からでもわかる不自然な硬さがある。
あの機械が自分にも取り付けられているのだと思うと全身から冷や汗が溢れ出す。
そっとジャージをまくりあげ、手を服の中に入れてみた。
指先がコツンッと硬いものにあたった瞬間、絶望を感じた。
もう見なくてもわかる。
私にも機械が取り付けられていて、ゲームで負ければ体の動きを制御される。
どれだけ嫌なことでも、やらされてしまう。
そう理解したとき、園の奥からバスが走ってくるのが見えた。
それは遊園地の中を走っているバスのようで、側面には緑色のクマの絵が描かれている。
普通は子どもたちを乗せてゆっくり運行しているはずのそのバスが勢いよくこちらへ向けてやってくるのだ。
私達はバスの邪魔にならないように芝生の上に逃げた。
と、バスが急カーブをしたかと思うと、バスの後ろにロープが下がっているのが見えた。
そのロープには女の子が腕を縛られた状態で引きずられている。
「いやっ!」
女の子はすでに体中血まみれで、足が妙な方向へ歪んでいた。
引きずられた場所にはレッドカーペットがひかれたように、血がこびりついていく。
「ひどいな」
尋が小さな声で呟いた。
ひどいなんて言葉じゃいい表せないことだ。
「みんなもう決断したんだよ。外に出るか、ずっと園内に残っているか」
繭乃がふっと息を吐き出す。
すぐに外へ出る決断をしたチームの誰かがどんどん犠牲になっていく。
こんなのおかしいよ……!
過酷な現実に脳がクラクラしてきたけれど、気を失っている場合じゃない。
どうにかここから逃げ出さないと自分がいつゲームで負けるかもわからないんだ。
再び視線を観覧車へ向けると、男の子が立っているゴンドラはすでに頂上付近に差し掛かっていた。
ここまでくれば後は下るだけだ。
どうにか、無事でいて……!
そう祈ったときだった。
強い風がふいていてゴンドラが大きく揺れた。
男の子ゴンドラの上で体のバランスを崩して滑り落ちてしまいそうになる。
「危ない!」
どうすることもできないのに、声を張り上げる。
男の子はゴンドラの上に腹ばいになって必死に堪えている。
風は一度強く吹いただけで、すぐに止まったようだ。
ゴンドラの揺れは穏やかになり、ひとまず胸をなでおろす。
だけどゴンドラはまだまだ高い位置にあるから油断はできない。
ゴンドラは眩しい太陽に照らされてギラギラと光っっている。
太陽は容赦なくゴンドラも男の子も焼いていく。
やはりゴンドラにしがみついていると暑いのか、男の子は再びゴンドラの上に立ち上がろうとしている。
「やめて……」
男の子が少し動くたびにゴンドラが大きく左右に揺れて、下で見ている子たちが悲鳴を上げる。
少しでも体のバランスを崩せばすぐにでも落下してしまいそうだ。
しかし男の子はどうにかゴンドラに上に立ち上がることができたのだ。
「なかなかやるじゃん」
繭乃が楽しげな声を上げる。
本人は生死がかかっていても、見ている方からすれば楽観的なものだ。
きっと、視聴者たちはもっと楽しんでいるに違いない。
そうしている間にもゴンドラはゆっくりと下降を開始しはじめていた。
よかった。
あの子は運動神経もよさそうだし、これならきっと大丈夫。
誰もがそう思っていただろう。
だけど、これはそんなに簡単なものじゃなかったんだ。
男の子が立っているゴンドラが頂上から少し下がってきたとき、途端に観覧車の動きが止まったのだ。
最初は観覧車の動きがゆっくりだから止まっているように見えているのかと思ったが、1分待っても2分待っても場所が変わらない。
さすがにおかしいと感じ始めた子たちがざわめき始めた。
観覧車の操作室へ視線を移動させると、そこにはやはりクマがいる。
クマはタブレットでなにかを確認しながら操作をしているみたいだ。
「なんで動かないんだ」
智道が焦った口調で呟く。
このまま止まっていれば男の子の体力はすり減っていく一方だ。
いくら運動神経がよくたって、あの場所から落下すれば助かりっこない。
「わざと止めてるんだ」
そう言ったのは尋だ。
「視聴者を楽しませるために」
「そんなの卑怯じゃない! ゴンドラが下がってくれば助かるんじゃないの!?」
しかし尋は左右に首を振った。
「そんなこと誰も言ってないんじゃないか? どれだけ頑張ってみても、彼は死ぬんだ」
男の子の運命はチーム内でのゲームに負けたときから決まっている。
そうなのかもしれない。
不安で押しつぶされそうになりながらゴンドラへ視線を戻すと、また強い風がふいてゴンドラが左右に揺れ始めた。
上手にバランスをとっていた男の子だけれど、今度の風は簡単には吹きやまない。
ゴンドラが軋む音がここまで聞こえてくる。
そのとき、男の子が体のバランスを崩すのが見えた。
咄嗟に両手をゴンドラについて落下しないようにするが、そのままずるずると落ちていく。
他に捕まるような場所もなく、男の子の両手はついに乗っているゴンドラから離れてしまった。
男の子の体は下のゴンドラにぶつかりながら落下してくる。
近くにいた子たちが悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
男の子体はあちこちにぶつかりながら、最後には頭からコンクリートに打ち付けられた。
まるでスイカ割りのスイカのように脳症が飛び散り、ぐったりと横たわったのだった。
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