認められる
動物園コーナーから出てすぐの場所に運良く緑色のクマを見つけることができて、駆け寄った。
このクマを可愛いと思ったことは1度もないけれど、今だけは頼りにしている。
「ちょっとこっちに来て! ゲームで不正を見つけたの!」
私の言葉にクマは首を傾げている。
着ぐるみの中だから、声が聞こえなかったんだろうか?
「ゲームで不正をしているのを見つけたの!」
もう1度言うとクマはコクコクと頷く。
よかった、聞こえたみたい。
ホッとしたのもつかの間、クマは「だから?」と首を傾げて聞いてきたのだ。
「だ、だから早く注意しに行かないと!」
「注意? どうして?」
「どうしてって、不正は悪いことでしょう!? それでゲームに負けたんだから、なしにしてあげなきゃ!」
「なしに? どうして?」
さっきからクマは少しも動こうとしない。
それどころか話が通じない。
こうしている間にも由紀子がどうなるかわからないし、もどかしい気持ちになってくる。
「社会に出てから騙されたって、誰にも助けてもらえないのに?」
「え……?」
私は驚いてクマを見つめる。
「仕事で不正を見つけた。それを報告しても、証拠がなかったらどうする?」
「それは……」
なにも言えなかった。
不正はたしかにあった。
だけどそれを証明するものはなにも持っていない。
「不正を働いた人たちが素直に認めると思う?」
それはきっとないだろう。
さっきのチームの子たちだって、白を切るに決まっている。
「で、でも、やられた子が証言するかも!」
「それならなぜその子はここに来ないの?」
それはきっと、怯えているから。
普段からイジメにあって、言いたいことを飲み込むようになってしまったから。
だけど、それがここで通じないことは薄々気がついていた。
不正だと言ってもクマがすぐに動こうとしないのが、その証拠だ。
「社会に出てから誰かにハメられるようなことがあったとして、その子は自分の言葉で助けを求めることができると思う?」
「それはまだ、わからないでしょ? ここは遊園地の中だし、私達は学生だし」
クマがやれやれという様子で左右に首を振る。
「それじゃダメだよ。社会に出れば責任だって大きくなる。いつまでも誰かに助けてもらおうとする人間は、いずれ落ちぶれる」
「そうかもしれないけど、今は違うでしょう!?」
そんなの大人になってから考えるべきことだ。
そう思うのに、クマは少しも動いてくれない。
「それに、園内で不正を行っちゃいけないなんてルール、ないよ?」
クマがまた首を傾げた。
その言葉に背中がスッと冷えていくのを感じた。
確かに、今まで聞いてきたルールの中で不正をしないようにとか、暴力を振るわないようにといったものはなかった気がする。
ということは、この円の中では弱い者が淘汰されていくということ……?
「人間は腕力だけじゃない。頭脳もちゃんと使えばきっと切り抜けられる。それができない人間は企業にとってもいらない人間だ」
クマはそう言い放つと、スキップをしながら遠ざかっていったのだった。
☆☆☆
なにもできなまま、重たい足を引きずるようにして動物園コーナーへと戻ってくる。
「どうだった?」
智道に聞かれて私は無言で左右に首を振った。
誰も助けてくれない。
それがこの遊園地内での現実だ。
たとえそれが不正に行われたことだとしても、回避できなかった自分のせいにされてしまう。
こんな理不尽なことってあるだろうか。
考えれば考えるほど気持ちが重たくなっていく。
「俺たち3人がここを出るための金をすぐに集めてこい」
ベンチに俯いて座っていた由紀子へ男の子が告げる。
その瞬間由紀子の体がビクリと震えた。
三千万円をひとりで稼いでくるなんて無理に決まってる。
それをわかっていて、あんなことを言っているのだ。
「……できません」
由紀子が震える声で答える。
うつむいていたその目から涙がこぼれ落ちるのが見えた。
遊園地内で、もう何度もクレジット人間にされてきたのかもしれない。
ボロボロになったジャージがそれを物語っている。
「できるだろ? ほら、今すぐ行け!」
怒鳴られた由紀子がビクッと体を撥ねさせると同時に立ち上がった。
その顔は真っ青で、倒れていないのが不思議なくらいだ。
由紀子はぼろぼろと涙を流して「もう、嫌」と呟く。
見ていられなくて近づこうとしたそのとき、由紀子が弾かれたように駆け出したのだ。
チームから逃げるように、園から逃げるように全力で走る。
残りの3人はすぐに追いかけるかと思っていたけれど、ベンチに座り直しておしゃべりを開始しはじめたのだ。
その光景に私は足を止めた。
どうして追いかけないんだろう?
さっきまでの様子を見ていると、由紀子を無理やり労働へつかせることくらいやりそうなのに。
そう思っていたときだった。
走って逃げていったはずのに由紀子がこちらへ戻ってくるのだ。
「よぉ、戻ってきたかよ。じゃあ行こうぜ」
由紀子は相変わらず涙を流して「嫌、もう嫌」と繰り返している。
しかし抵抗もなく男の子に腕を取られて歩き出したのだ。
「どうして逃げなかったの!?」
思わず大きな声を出していた。
だって、今の様子だと逃げ切ることができた。
園から出ることが難しくても、チームから逃げてひとりになることはできたはずだ。
それなのに由紀子は自分から戻ってきた。
「途中でクマに見つかった?」
そう聞いても由紀子は答えてくれない。
しゃくりあげて話ができる状態ではない。
「なに言ってんだお前」
呆れた声を出したのは男の子だ。
私は相手を睨みつける。
どんな事情があるか知らないけれど、この子がイジメのリーダーであることは間違いない。
私の大嫌いなタイプだ。
「ひどいじゃないあんたたち! この子をイジメてるんでしょう!?」
「だからなんだよ。お前に関係ないだろ」
「イジメて不正でゲームに勝つなんて最低!」
その言葉に3人が同時に笑い声を上げた。
「お前さ、ここにいてまだそんな甘いこと言ってんのかよ? そんなことじゃ由紀子と同じようにハメられて終わりだぞ?」
顔を近づけて言われて、思わず後ずさりをする。
「そ、そんなことない! 私達はあんたたちのチームとは違う!」
振り向くと尋たちが待ってくれている。
私を置いていったりなんてしない。
「そうかよ。でも、もう遅い。こいるはゲームに負けてクレジット人間になったんだ。これから労働なんだよ」
「だけど嫌なんだよね? それならはっきり言ったほうがいいよ!」
由紀子はこちらへ一瞬目を向けたが、すぐにそむけてしまった。
「無理だって。ゲームに負けたから逃げられなかったんだからさ」
「それってどういう意味?」
聞くと男の子は驚いたように目を見開き、そしてまた笑い出した。
本当におかしそうに、体をくの字に曲げて笑い続ける。
その様子が不快で顔をしかめた。
「お前、本当になにも知らないんだな? おい、見せてやれよ」
男の子が由紀子へ向けて命令すると、由紀子が体をこちらへ向けた。
そしてジャージの裾に両手をかける。
「なにするつもり!?」
いくらなんでも男の子たちがいる前で……!
止めようとしたが、遅かった。
由紀子は自分のジャージが大きくめくりあげていたのだ。
思わず目をそむけた瞬間に見えた黒い機械に、私はそろそろと視線を向けた。
由紀子の腹部には黒く小さな黒い箱がめり込むように取り付けられていて、横から赤や黄色の線が幾本も伸びて、体内へと入り込んでいるのだ。
「なにこれ!」
あまりに君も悪い光景にとびのいてしまう。
「うわ、キモ」
後ろで繭乃が呟くのが聞こえてきた。
「これは俺たち全員に取り付けられてる」
男の子の説明にハッと息を飲んで自分の服の上から自分のお腹に触れてみる。
コンッと、指先がなにか硬いものに触れるのがわかって全身から血の気が引いていく。
振り向いてみると尋と智道が慌てて服をまくりあげていた。
顕になった腹部には由紀子と同じ機械が装着されている。
「なんだよこれ!」
尋がパニックを起こしたように叫び、機械を体から引き離そうとする。
しかし、その機械はしっかりと体に取り付けられているようで簡単には取れない。
自分の皮膚が引っ張られて激痛が走るらしく、尋はすぐに諦めてその場に両膝をついた。
「こんなのが私達についてるってどういうことよ!?」
繭乃がヒステリックに叫ぶ。
「これはクレジット人間になったヤツの動きを制御する機械だ。さっきみたいに、逃げることはできない」
男の子からの説明に私は由紀子を見つめた。
途中まで逃げたのに自分から戻ってきた由紀子。
男の子たちも由紀子を追いかけなかったから、自分から戻ってくることがわかっていたんだろう。
「だけど欠点があったみたいなんだ」
「欠点って?」
男の子の言葉に私はすぐに質問した。
なにか抜け道があるのなら聞いておいた方がいい。
「ジェットコースターでひとり死んだのは見たか?」
そう聞かれて私は苦い顔をして頷いた。
早く忘れてしまいたい光景が、また頭の中に浮かんできてしまう。
脳裏から振り払おうとしても何度でも血まみれになった男の子の姿を思い出してしまう。
「あいつは体を拘束されてた。つまり、機械じゃ制御できなかったんだろうな」
そう言われてジェットコースターのレールの上で、ロープで拘束されていた姿を思い出す。
「私見たよ。あの子は何度も逃げ出そうとしてて、最後にはクマに捕まったんだ」
女の子が横から口をはさむ。
「そう。だから効果には個人差がある。実際にゲームをして、負けてみないとわからないことだ」
「待てよ。俺は体の動きを制御されてるような感じはなかったぞ?」
言ったのは尋だ。
尋は一度負けてクレジット人間になっている。
「それはお前自身が嫌がってなかったからじゃないか? どんな使い方をされたんだ?」
尋は30分間クレープ屋で手伝いをしただけだ。
あのときは今ほど危機感も強くなくて、お腹も空いていたから尋が嫌がるようなこともなかった。
「じゃあ、今回は?」
私は由紀子を見つめる。
由紀子は助けを求めるように何度もまばたきをした。
「さぁ、どうかな?」
男の子が口の端を上げて笑った、その時だった。
どこにいたのかクマがやってきて由紀子の腕を掴んだのだ。
由紀子は咄嗟にそれを振り払おうとするけれど、動きを制御されているせいか途中で腕を引っ込めてしまった。
そのままクマに引きずられるようにして歩き出す。
「ちょっと待ってよ。どこに連れて行くの?」
慌てて追いかけてもクマからの返事はない。
「ねぇ、止めてあげなくていいの!?」
振り向いて由紀子と同じチームの子たちに聞くが、3人共素知らぬ顔をしている。
これが同じチームだなんて思えない。
チームは強力し合うものなんじゃないの!?
由紀子がずるずると引きずられてたどり着いた先はメリーゴーランドだった。
今は誰も乗っていなくて回転も止まっている。
「今日はまだ誰もメリーゴーランドに乗ってないんだ。視聴者のみなさまに、メリーゴーランドが回っている所を見せてあげよう」
クマが明るい口調で由紀子に話かける。
由紀子は青ざめた顔でブルブルと震え始めている。
あんなに怯えているのに、誰も助けようとしない。
「さぁ、乗って」
クマが由紀子の手を引いてメリーゴーランドの中へ入っていく。
由紀子はクマが指定した馬に乗ることになったようだ。
「ただメリーゴーランドに乗るだけだ。そんなに心配すんなって」
男の子が私の肩をポンッと叩いてくる。
私はすぐにその手をはねのけた。
確かに、ジェットコースターに惹かれるような悲惨なことにはならないかもしれない。
だけど、なにを購入したのかによって状況は変わってくるはずだ。
尋のときみたいに手伝いをして終わりというわけではなさそうだから、きっとなにかある。
助けるタイミングがないか思案しながら馬にまたがった由紀子を見つめる。
由紀子は覚悟を決めたようにキツク目を閉じた。
クマがメリーゴーランドの操縦室へ入ると、ガラス窓越しに由紀子が逃げていないかどうかを確認した。
そして……。
「メリーゴーランドスタート!」
と掛け声をかけると共にスタートボタンが押された。
メリーゴーランドからは明るい音楽が流れ出しゆっくりと回転を始める。
由紀子は両手で馬の背中から出ている棒を握りしめている。
「これなら大丈夫じゃない?」
繭乃が安心したような声で呟く。
「でも、ただメリーゴーランドに乗るだけでクレジット人間としての役目が果たせるの?」
私はそこが疑問だった。
視聴者を楽しませるために乗っているとしても、これを見て楽しむ人がいるだろうか?
そう考えているとクマが小さな端末を取り出してなにかを確認しているのがわかった。
「おぉ~! 生配信を見てくれている視聴者数がどんどん上がってきてるよ! やっぱりみんなこういうのが好きなんだね!」
嬉しそうに飛び跳ねて報告するクマに私は首をかしげる。
本当にこんなことで視聴者が増えてるの?
そう思ったとき、尋が近づいてきた。
「なぁ、なんかスピードが早くなってないか?」
「え?」
メリーゴーランドへ視線を戻すと、こころなしか回転スピードが上がっているようにも見える。
曲のリズムが同じだから気がつかなかった。
メリーゴーランドは確かに早くなっている。
「ほらほら、もっともっと楽しませてあげなきゃ!」
クマの言葉を合図にしたように由紀子が棒から片手を離してピースサインをし始めた。
一見楽しんでいるように見えるけれど、その笑顔は引きつている。
きっとこれも自分の意思ではないのだろう。
指先の一本さえも行動を奪われてしまっているのだ。
その間にも回転は早くなり続けていて、目で見ても違いでわかるほどのスピードになっている。
由紀子はそれでも無理やり笑顔を作らされている。
「楽しそうでよかったじゃん」
由紀子のチームの女の子がクスクスと笑いながら呟くのが聞こえてきた。
これが楽しんでいるように見えるなんてどうかしてる。
回転が早くなればなるほど由紀子の顔色は悪くなっていく。
不安なのか目には涙もにじみ始めていた。
しかし回転は止まらない。
最初に比べれば三倍くらいの速さに到達している。
「ねぇ、そろそろやめてあげなよ」
私はクマに近づいてそう言った。
もう充分メリーゴーランドに乗ったはずだ。
「なに言ってるの? ここからが本番だよ?」
クマがそう言った次の瞬間だった。
突如メリーゴーランドが高速回転を始めたのだ。
由紀子の体が遠心力で一旦大きく揺さぶられる。
慌てて両手で棒にしがみついて、どうにか振り落とされないですんだようだ。
ホッと安心する暇はない。
回転数はグングン上がってきて、あっという間に由紀子の姿を確認できないくらいになってしまったのだ。
「なにしてるの!? やめて!!」
クマに向かって怒鳴るが、クマは素知らぬ顔をしてメリーゴーランドを見つめている。
「あんたたちもなにか言いなさいよ! このままじゃ由紀子ちゃんが……!」
そこまで言って言葉を切った。
由紀子ちゃんのチームの3人も、クマと同じように素知らぬ顔をしているのだ。
時々あくびをして、談笑をしているだけで誰も由紀子ちゃんを心配していない。
その異様な光景に愕然としてしまう。
「少し離れた方がいい」
智道に言われてようやく自分がメリーゴーランドに近づき過ぎていることに気がついた。
腰ほどの高さの柵はあるものの、これだけ回転していてはさすがに危険だ。
メリーゴーランドからは由紀子の悲鳴が聞こえてくる。
だけど今助けにいくことはできない。
なにもできずにただ見ていることしかできない。
胸の中に強い焦りを感じるものの、自分の無力さを痛感することしかできない。
私はなにも言えずに高速回転するメリーゴーランドを見つめる。
由紀子は今必死にしがみついて振り落とされないように踏ん張っているはずだ。
頑張れ。
頑張れ!
必死に祈ったところで役立つかどうかもわからないのに、また手を胸の前で組んでいた。
「さぁて、そろそろクライマアックスかな」
クマが呟いた次の瞬間、メリーゴーランドの回転スピードが最速になった。
グンッと突然上がったスピードに由紀子の手が棒から離れるのが見えた気がした。
「いやぁあああ!」
耳をつんざくような悲鳴の後、何かが振り飛ばされるのを見た。
そのなにかは勢いよくメリーゴーランドを取り囲む柵にぶち当たる。
それと同時に生ぬるい液体が私のところまで飛んできていた。
メリーゴーランドはゆるゆると回転数を下げていき、やがて静かに止まった。
そこに由紀子の姿は見えない。
嫌だ。
見たくない。
だけど目が探してしまう。
メリーゴーランドの柵にめり込んだ由紀子の体。
その体はまるで鋭利な刃物で切られたように、柵の形にそって切断されている。
切断されきれなかった部分はぐちゃぐちゃに破損して、周囲に内蔵が飛び散っている。
私は自分の頬にそっと触れた。
ぬるりとした感触があって指先を確認してみると、由紀子のち肉がこびりついていた。
「あ……」
ついさっきまで一緒にいたのに。
ついさっきまで助けられると思っていたのに。
その由紀子はすでにこの世にはいない。
「いやああああああ!!!」
私は絶叫し、その場に倒れ込んだのだった。
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