空腹
私達4人はまず園に張り巡らされているフェンスに切れ目がないか探し始めた。
グリーンのフェンスは10メートルはありそうで、とても登って逃げることは難しそうなのだ。
「こんなに背の高いフェンスが必要だと思うか?」
フェンスに沿って歩きながら智道が呟く。
「普通の遊園地じゃ必要ないと思う」
私は即答した。
ここはまるで私たちに逃げられないように工夫されているように見えるし、実際にそうなんだろう。
「ジュエリーもあるし、高級ホテルの宿泊権利まで売ってる!」
「すっげーな! ここでなんでも手に入るってことか」
尋と繭乃のふたりはさっきからパンンフレットを見たままで、視線をあげようともしない。
すっかりこの遊園地を気にってしまったみたいだ。
「どれだけほしいものがあっても、俺達には金がない。なにも買うことはできないんだぞ」
智道がそう言っても、ふたりは全く聞いていない。
「お金がないなら、労働をすればいいんだろ?」
尋はそんなふうに気楽にとらえているみたいだ。
その労働がどんなものなのかも、わからないままなのに。
4人のチームのはずが協力的でないふたりの態度にだんだんと気持ちが沈んでいく。
一生懸命出口を探してバカみたいだ。
そろそろ休憩でもしたいな。
そう思ったとき、前方でフェンスによじ登っていくチームを見つけて足を止めた。
近づいてみると胸には三角のバッヂがついていて、私達と同じ男女ふたりずつのチームだ。
その内の筋肉質な男の子がひとりでフェンスを登っていっている。
「上まで行くつもり?」
下で待っていた女の子に声をかける。
おかっぱ頭でおとなしそうな雰囲気をしているその子は小さく頷いた。
「私達のチームで一番筋力のある大橋くんが登ってみるって言ってくれたの。入り口が閉まってたから」
その言葉に私は頷いた。
この子たちも一旦は入場ゲートまで行ったけれど、どうにもならなかったんだろう。
目を細めて大橋くんという人物を下から見上げる。
今フェンスの真ん中辺りまで登っているようで、いいペースだ。
周囲はもうすっかり朝日に包まれてフェンスの向こうが森になっているのも見えた。
森の深さはどれくらいだろうか?
すぐに道路へ出るようにも見えるし、どこまでもどこまでも続いて行っていそうな気もする。
と、そのときだった。
大橋くんの右足が滑ってフェンスから離れた。
「あっ!」
と女の子が声を上げて口に手をやる。
大橋くんはどうにか右足をフェンスに掛け直して「大丈夫だ!」と合図を出す。
私も三角バッヂのついたチームの子たちと同じように胸をなでおろす。
今5メートルほどの場所にいるけれど、そこから落ちたら大怪我をしてしまうだろう。
下はコンクリートだし、打ちどころが悪ければ死んでしまう可能性だってあるかもしれない。
そう考えると今更ながら心臓がドクドクと早鐘を打ち始めた。
大橋くんは命をかけて脱出しようとしているんだ。
自然と拳を握りしめてじっとりと汗が滲んてきていた。
「ねぇ、このジュエリー店、後で行ってみてもいい?」
そんな声が聞こえて思わず視線を向ける。
そこにはまだパンフレットを見つめている繭乃の姿があった。
「今それどころじゃないだろ」
智道にたしなめられているけれど、繭乃はパンフレットから視線をあげようともしない。
大橋くんが命がけでフェンスをよじ登ってくれているにも気がついていないかもしれない。
そんな繭乃にあきれて、私はまたフェンスへ視線を戻した。
大橋くんの手はあともう少しで頂上に届きそうだ。
上まで行ければあとは下るだけ。
そうすれば助けを呼びにいくことだってできる!
私はゴクリと唾を飲んで大橋くんを見守る。
他のメンバーもみんな無言で大橋くんの無事を祈っていた。
そしてついに大橋くんの手がフェンスの頂上へかかる。
大橋くんは腕力で自分の体を持ち上げていく。
やった!
これで後は下るだけ!
心の中でガッツポーズをした、その瞬間だった。
森の中が騒がしくなってきたかと思うと10羽ほどのカラスが一斉に飛び出してきたのだ。
驚いて見ている間にカラスたちはあっという間に大橋くんの体を取り囲んでいた。
「なんだよ、やめろ!」
フェンスにしがみついたまま大橋くんは叫ぶ。
カラスは大橋くんの体をくちばしでつついているみたいだ。
「痛いだろ! どっか行け!」
大橋くんがどれだけ声を張り上げてもカラスは逃げない。
まるで人間の存在を怖がっていないようにも見える。
その時、一羽のカラスが大橋くんの右足首にくちばしを当てた。
その拍子に右足がフェンスから離れ、バランスが崩れる。
「危ない!」
女の子が真っ青な顔で叫んだ。
カラスは大橋くんの左手もつつく。
皮膚が弱いそこをつつかれた大橋くんは地上まで届く声で唸り声をあげた。
「もううから、早く降りてきて!」
女の子の声に大橋くんが悔しそうな顔を向ける。
早く降りてこないと、10メートルの高さから落下することになってしまう。
地面にはマットもなにもないから、その衝撃は計り知れない。
「でも、もう少しなのに……」
大橋くんは再びフェンスへ視線を向けた。
あとは乗り越えて、降りるだけ。
ここまで来たのに引き返さないといけないから、躊躇しているのがわかる。
けれど、その間にもカラスたちは大橋くんを攻撃し続けているのだ。
遠くからだからわかりにくいけれど、カラスは必要に手や足を狙っているようにも見える。
それを見ていて自然と背中に汗が流れていく。
カラスは明らかに人間を警戒していない。
そして人間の弱い部分を知っているようにも見える。
そう、まるで飼いならされているようなのだ。
「早く降りてきて! そのカラスたち、なんか変だから!」
もしもこの遊園地で飼いならされているカラスだとすれば、人間を攻撃するように仕向けられているかもしれない。
カラスたちの攻撃は、フェンスから大橋くんが落ちるまで続くだろう。
大橋くんもようやく自分が危機的状況にいると察したのだろう、ゆっくりとフェンスを折り始めた。
半分ほど降りてきたところで、カラスはなにかに操られるようにして森の中へと戻っていった。
「血が出てる」
地面に戻ってきた大橋くんの手足は出血していて、ジャージもあちこち穴が空いている。
「これくらいなら大丈夫」
女の子の言葉に安心させる言葉をなげかけながらも、痛むのか顔をしかめている。
「この近くに救護室があったはずだ。行こう」
智道を先頭にして、私達は歩き出したのだった。
☆☆☆
足首を突かれていた大橋くんはひょこひょことジャンプするようにゆっくりゆっくり進んでいく。
その後を私達はついていく。
「フェンスを乗り越えるのも不可能か」
「他に出口はないのかな」
三角のバッヂがついたチームはみんなが次にどうすべきかを考えている。
それに対して私たちのチームは尋と繭乃が全く協力的ではなかった。
さっきから園内にどんなお店があるのか熱心に調べるばかりだ。
「ねぇ、ふたりとももう少し協力してよ」
思わずそんな文句が口をついて出てきてしまう。
「出られないものは仕方ないだろ? それに、こうして園内の店を調べるのだって役立つかもしれないし」
尋が最もそうなことを言うけれど、私にはハイブランドの商品に目がくらんでいるようにしか見えなかった。
そうしている間に救護室と書かれたドアの前にたどり着いていた。
「すみません、怪我人です」
智道がドアをノックして返事を待つ。
すぐにドアが開いてクマの仮面をかぶって白衣を着た女性が出てきた。
不気味な緑色の仮面に一瞬驚いたけれど、中の様子はいたって普通だ。
患者用のベッドど、薬品棚、デスクに椅子。
学校の保健室によく似ている。
「あら大変。血が出ているのね」
仮面をかぶった女性はすぐに大橋くんの怪我に気がついて救護室へ入るように促す。
「消毒と包帯と、痛み止め。これでよしと」
女性は手際よく棚から必要なものを取り出すと、大橋くんをベッドに座らせて処置をしはじめた。
馴れた手付きにひとまず安心する。
これで大橋くんの怪我は大丈夫そうだ。
大橋くんが手当をしてもらっている間に三角バッヂのチームとこの園についての情報交換を行ったが、まだあまりよくわかっていないとのことだった。
私達と同じように暗い間に目がさめて、外にも出られず、クマの着ぐるみに説明を受けてから、園内の他の出口を探していたということだ。
「労働した対価として商品が与えられる。これは社会見学のひとつなのかなって、思ってるんだけどね」
女の子がぽつぽつと、自信なさそうに自分の意見を口にする。
「社会見学か。それもあるかもしれないな」
智道が肯定する。
けれど私達はもう高校生だ。
社会見学というならば、普通にアルバイトをするほうがしっくりくる。
こんな風に無理やり閉じ込められてやるようなことじゃない。
「はい、できあがり」
女性が大橋くんの肩をポンッと叩いて立ち上がる。
見ると怪我をした場所にはガーゼや包帯が巻かれていて、ちょっとだけ痛々しい姿になっていた。
「ありがとうございました」
女性に頭を下げて外へ出ようとした、その手首は掴まれていた。
「ちょっと待って」
「え、なんですか?」
大橋くんがキョトンとした表情で女性を見つめる。
処置は終わったし、痛み止めももらったから用事は終わったはずだ。
そう思っていると女性が大きなため息を吐き出した。
仮面の上からでも呆れ顔になっていることがわかるくらいだ。
「治療費は?」
女性の言葉に誰もが驚いて固まってしまった。
「治療費って、でも……」
こういう場合は無料じゃないの?
そんな気持ちが浮かんでくる。
他のメンバーだって、私と同じように考えていたはずだ。
「もしかして、お金ないの?」
女性の声がオクターブ低くなる。
それだけで室内の気温が一度下がったような気がした。
「こ、ここに連れて来られたときに、財布はなくって」
大橋くんがしどろもどろになりながら説明をする。
その指先が微かに震えているのがわかった。
「お金がないのに、ここに来たの?」
「こういう場合は無料なんじゃないんですか?」
たまらず智道が口を挟んでいた。
女性はそれでも視線を大橋くんへ向けたままだ。
その威圧感に大橋くんは後ずさりをする。
「ここではなにもかもにお金がかかるのよ。もちろん、ここでもね」
そんな……!
それじゃ怪我をしても、体調が悪くなっても救護室を利用することはできないということだ。
そんなのってない!
「でも大丈夫よ。ここではクレジット人間制度が適用されるから」
さっきとは打って変わって、明るい声で女性が言う。
仮面の下でも微笑んでいるのがわかった。
「ゲームをして、クレジット人間を決めるってやつですか?」
大橋くんが青ざめながらも質問する。
女性は大きく頷いた。
「そうよ。ただし、ゲームで勝ち負けを決めるのは自分で払いたくない場合ね。自分で支払ってもいいという場合には、自分がクレジット人間になれる」
「それって、労働して支払うってことでいいんですよね?」
「まぁ、そういうことね。あなたに施した処置の費用だと、それほど高額にもならないなら、半日ここで手伝いをしてくれれば充分よ」
女性の言葉に明らかに大橋くんが安堵するのがわかった。
半日間のアルバイト。
そう考えれば簡単なものだ。
「じゃあ、俺がクレジット人間になります」
大橋くんの言葉におかっぱの女の子が一瞬複雑な表情を浮かべたのがわかった。
きっと、心配しているのだろう。
こんなわけのわからない場所で労働するなんて大丈夫だろうかと。
大橋くんはそんな心配を汲み取ったように、女の子へ向けて微笑みかけた。
もしかしからこのふたりは相思相愛なのかもしれない。
「そう。じゃあこれで成立ってことね」
女性はそう言うと、大橋くん以外のメンバーを救護室の外へ追い出してしまった。
「半日したら返してあげるから、安心して」
そう言ってドアが閉められた。
「半日間の労働であれだけの手当かぁ」
繭乃が空を仰いで呟く。
鏡はとてもいい天気で、私の心模様とは大違いだ。
「それじゃあ、宝石一個はどれくらいなのかな?」
繭乃が小さな声で呟いたけれど、その声は誰にも届かなかったのだった。
☆☆☆
三角バッヂのチームと別れた私たちは芝生広場のベンチに座って休憩をとっていた。
園内を回ってフェンスを確認してみたけれどどこにも切れ目は見当たらなかった。
更にこの遊園地は森に囲まれていることがわかり、どこから逃げようとしてもカラスが襲ってくるようになってみるみたいだ。
「本当に逃げ道がないなんて……」
歩き疲れたこともあって、私はベンチに座ってぐったりと首を垂れる。
太陽は真上に登ってきていて、ジリジリと気温も上がってきている。
春や秋ならまだよかったけれど、今は7月中旬。
もうすぐ真夏の熱さにもやられることになるだろう。
「ねぇ、お腹すいた」
さっきまで水道の水を飲んでいた繭乃が不機嫌そうな表情で呟く。
ここへ来てから水分しかとっていないのだからお腹がすいても不思議じゃない。
昼時ということで園内にあるレストランや屋台からはいい香りが漂ってきていて、余計に食欲をそそる。
「あ、あのクレープおいしそう」
繭乃がふらふらと屋台へ向けて歩いていく。
「おい、勝手な行動はしないほうがいいって」
智道がすぐに繭乃を追いかけていく。
わがままな繭乃だけれど、智道からすれば大切な彼女だ。
やっぱり心配なんだろう。
「恵利も腹が減っただろ?」
「うん、まぁね」
尋の質問に頷いたものの、正直まだ頭が混乱していて空腹を感じるどころではなかった。
自分の処置費用のために働いている大橋くんのことも気になる。
「あれ見ろよ」
そう言われて指が刺された方へ視線を向けると、別のチームがジャンケンをしているのが見えた。
その隣にはクマの着ぐるみが立っていて、勝負の行方を見守っている。
「あれって、クマが言ってたゲームをしてるの?」
「たぶんそうなんだろうな。あ、男が負けたな」
ひとりの男がジャンケンに負けてお好み焼き屋の屋台へと歩いていく。
お店の人となにか会話をしたあと、すぐにエプロンが手渡された。
男はエプロンを身に着けて屋台の中に入ると、手伝いをしはじめたのだ。
「あれが労働か。以外と普通だな」
男は店の人に指示を聞いて動いているだけで、他にかわったことはしていない。
その間に他のメンバーは男が焼いたお好み焼きを頬張り始めている。
その様子を見ていると途端に空腹感が湧いてきて、お腹がぐぅと音を立てた。
しばらくお好み焼き屋の様子を見ていると、男は30分ほど労働をしたあと、自分の分のお好み焼きもゲットして屋台から出た。
そのときにはすでにエプロンは外されていた。
「30分で4人分のお好み焼きか。一枚200円って書いてあるから、800円の稼ぎってことか」
「そのくらいならできそうだね。屋台の値段が普通の遊園地よりも随分安く設定されてる」
繭乃が興味を持ったクレープは一つ100円で購入できるらしい。
これなら労働してもいいかなと思えてくる。
「とにかくこのままなにも食べないでいればいずれ餓死する。俺たちもなにか食べないと」
それはこの遊園地の言いなりになるということを意味しているようで、嫌な気持ちになってくる。
けれど尋の言う通り生きて帰るためには食事をするしかない。
「わかった。私達もゲームをしよう」
私は苦い気持ちで頷いたのだった。
☆☆☆
クレープ屋の前にいた繭乃と智道のふたりと合流して、ゲームをすることを提案した。
智道は驚いた顔をしていたけれど、さっき見たお好み焼き屋でのことを説明すると納得してくれた。
「確かゲームは三種類から選べるんだったよね?」
「あぁ。ジャンケンとダーツとトランプだ」
私の質問に尋が答えてくれる。
「無難にジャンケンでいいんじゃないの?」
そう言ったのはお腹が減っている繭乃だ。
誰も異言はない。
「よし、じゃあいくぞ」
じゃーん、けん、ぽんっ!
同時に出したのはグーとパーで、尋の一人負けになってしまった。
「なんだ、俺が働くのかよ」
一瞬嫌な顔をした尋だけれどすぐに笑顔に変わる。
「まぁ、ちょっとした労働だし、大丈夫だろ」
アルバイト経験のある尋ならそんなに心配することもなさそうだ。
「気をつけてね」
クレープ屋へ向かう尋の背中にそう声をかける。
一見普通に働いているように見えるけれど、実際はどうなのかわからないのがこの遊園地の恐いところだ。
尋のことが心配でずっとクレープ屋の近くにいたい気持ちだったけれど、繭乃の「疲れた」という一言で再びベンチに戻ることになった。
「結構熱くなってきたなぁ」
座ったベンチは熱を持っていて気温が上昇してきているのがわかる。
日陰は沢山あるものの、真夏の熱さをしのげるとは思えない。
私は繭乃から園内地図を借りて確認しはじめた。
食事や水分補給はどうにかなるとして、休める場所があるかどうか探しておかないといけえない。
「中央広場ってところに噴水があるから、そこが涼しいかも」
水が出ている場所なら周囲よりも少しは気温が低くなるはずだ。
他にもレストランやホテルなどが描かれているけれど、そこで休憩するときには30分の労働では済まされないだろう。
できるだけクレジット人間という、得体のしれない制度は使いたくない。
クレープを食べた後は噴水へ行くと決めて、私達はまたクレープ屋へ向かった。
労働時間はついさっき終わったみたいで、尋が4人分のクレープをもらっているところだった。
「俺たちここから出たいんですけど、なにか知りませんか?」
クレープ屋のお兄さんにそんな質問をしているのが聞こえてくる。
茶髪で遊んでいそうに見えるお兄さんは眉を下げてすまなさそうな表情に変わった。
「悪い。俺は園に雇われてるただのバイトなんだ。なんか普通の遊園地と違うなって思ってたけど、ここでクレープを売ることしか聞いてないんだ」
「そうなんですか……」
本当に申し訳なさそうにしているお兄さんが嘘をついているようにも見えず、尋はクレープを持って屋台から出てきた。
新鮮なバナナとクリームとチョコの香りが食欲を刺激する。
「わぁ! おいしそう!」
尋へのお礼もなく繭乃がクレープに飛びついた。
「ありがとう尋。大丈夫だった?」
「とくになにもなかったよ。本当にクレープ屋の手伝いをしただけだった」
「そうなんだ……」
なにも実害がなかったことはいいことだけれど、ただアルバイトをさせるためにここまで大きな誘拐をするとは思えない。
私は納得のいかない気持ちでクレープを受け取ったのだった。
☆☆☆
もし食べ物の中に毒が入っていたら?
そんな不安をよそに繭乃がクレープにかぶりついた。
口の端にクリームをつけながら「美味しい」と頬を緩ませる。
ごくんっと飲み込むのを見て私も恐る恐るクレープに口をつけた。
もっちりとしたクレープ生地に、甘すぎないクリーム。
チョコレートソースとバナナの相性も抜群だ。
「あ~美味しかった!」
相当お腹が空いていたのだろう、繭乃はものの5分ほどですべて食べきってしまった。
「やっぱりここは社会学習の場所なんじゃないか?」
お腹が膨らんで少し余裕が出てきたのか、尋がそう言い始めた。
「でも、私達ここへ来た記憶がないんだよ? 誘拐されてきたに決まってる!」
社会学習の一貫だとしても、普通じゃないことは明らかだ。
「そうだけど、別に危害を加えられているわけじゃないし、激しい労働を強いられてるわけでもない。そんなに気にすることないだろ」
実際に自分が労働してみた尋は私以上に余裕がありそうだ。
スマホも財布もなくて、外部と連絡もとれない。
今のところ外へ出る手段もないのにこれほどゆっくりしていられるのだって、誘拐犯の策略のひとつかもしれないのに。
そう考えていたとき、笑い声が聞こえてきて視線を向けた。
そこでは絶叫系マシーンに乗っている一組のグループの姿があった。
船の形になった遊具が大きく左右に揺れている。
「キャハハハハ!」
恐いものが好きなのだろう、女の子の甲高い笑い声が響く。
「ねぇ、楽しそうじゃない?」
繭乃が智道の腕を掴んで揺さぶる。
「こんな遊園地で遊ぶなんて、ちょっとおかしいだろ」
智道は私と同じでまだ警戒しているようだ。
「なにがおかしいの? 楽しそうじゃん!」
繭乃はなにも考えていないのか柔軟性が高いのか、さっきからキラキラとした目で園内を見つめている。
「ここ遊園地だよ? ちょっとくらい遊ばないと損だって!」
お腹が満たされたら今度は遊びたくなったみたいだ。
船型の絶叫マシーンに駆け寄って値段を確認すると「ひとり100円だって!」と大声で伝えてくる。
さっきのクレープが200円だったから、その半分の労働で乗ることができるということだ。
「価格設定が低いのは、俺たちに労働してもいいと思わせるためなんじゃないか?」
「だからなに?」
智道の言葉に繭乃は首を傾げている。
「それが相手の考えている罠かもしれないってこと」
「罠? なんの?」
キョトンとした表情でそう聞かれて智道は黙り込んでしまった。
とにかく遊園地の思惑通り動くのはよくないと伝えたいのだけれど、うまくいかなくてもどかしい。
「さっきだって普通に働いて食べれたんだ。きっと大丈夫だって」
繭乃の肩を持ったのは尋だ。
警戒心の強い私と智道を見て少し呆れているのがわかる。
「たった30分ほどの仕事でクレープ4つ分だぞ? 外の世界で働くよりもよっぽど賃金もいいってことだ」
外での最低賃金に比べると、たしかに高いかもしれないけど、そういうことじゃないんだ。
「働きたくないなら、次もまたゲームで俺が負けてやるから」
尋が私の肩をぽんっと叩く。
「そんな……」
「とりあえずさ、ジェットコースター行ってみようよ!」
繭乃の言葉を合図に私達は渋々動き出したのだった。
☆☆☆
こんな遊園地早く脱出したい。
絶対におかしい。
そう思うのに、園内には甘い誘惑が沢山あって逃げ出す気力がどんどん少なくなっていく。
きっと、これも遊園地側の思惑どおりなんだろう。
園内には同じジャージを着たチームが何組も存在していて、それぞれアトラクションを楽しんだりご飯を食べたりと有意義に過ごしているのがわかる。
目が覚めてから時間がたったから、この場所になれてきたのかも知れない。
そうこうしている間にジェットコースター乗り場までやってきていた。
並んでいるチームは見当たらない。
「今度もジャンケンで決める?」
さっきからスキップしそうな勢いで歩いていた繭乃が振り向いて訪ねた。
私は咄嗟に視線を外す。
ゲームになれば参加するけれど、肯定する気分にはなれなかった。
「ジャンケンでいいだろ」
尋が肯定したことでその場が決まる。
ジェットコースターに乗りたい気分じゃなかったけれど、仕方ない。
そう思ったときだった。
「君たちはどうやってここに来たの?」
突然声を掛けられて振り向くとそこには見知らぬ男の子が立っていた。
年齢は私達と同じくらいで、細身の体をジャージに包み込まれている。
胸についているバッヂの形は丸だ。
「わからない。覚えてないの」
私は早口にそう答えた。
このチームも不安を抱えていたのだろう。
「そっか。僕たちも同じなんだ。気がついたらこの遊園地にいた」
「やっぱり、誘拐だと思う?」
その質問に男の子は大きく頷いた。
「僕が覚えているのは家のベッドに入ったところまで。きっと途中で飲み食いしたものに薬でも混ぜられていたんだと思う」
そうなのかもしれない。
じゃないとここまで来るまでに1度も目覚めなかった理由にならない。
私達はパジャマからジャージに着替えまでさせられているのだから。
見知らぬ誰かに服を着替えさせられたことを思い出すと、全身に寒気が走って吐き気がした。
やっぱり、こんな状況で普通に遊ぶなんて考えられないことだ。
「薬なんてどこで飲ませたっていうの? お母さんが作った料理に混ざってたとでも?」
横槍を入れてきたのは繭乃だ。
繭乃は目を細めてこちらを睨んできている。
せっかく遊ぶつもりだったのに、気分をそがれてしまったからだろう。
「まさか、身内に仲間がいるなんて考えてないよ」
男の子は慌てて手を振って否定する。
「ただ、どこかのタイミングでは薬の混入があったと思うんだ」
「だから、それってどこのタイミングよ?」
腰に手を当てて答えを催促してくる繭乃に男の子はたじろいいてでいる。
ひとりでも多く仲間を見つけて、一緒に脱出しようと考えていたのかもしれない。
繭乃の非協力的な態度にどうすればいいかわからない様子だ。
「それにさ、そんなこと解明してどうするわけ? ここから出られるようになるわけ?」
繭乃が更に畳み掛ける。
「ちょっと、やめなよ」
たまらずふたりの間に割って入った。
このままじゃ男の子が可愛そうだ。
「繭乃はもっと危機感を持ったほうがいい」
智道も渋い顔をしている。
繭乃はチッと軽く舌打ちをすると黙り込んでしまった。
繭乃が不機嫌になると後から面倒そうだけれど、仕方がない。
「ごめんね。私達もここから脱出したいと思ってる。だから、なにか情報があれば必ず伝えるから」
そう言うと男の子のチームはとりあえず納得してくれた。
「あ~あ、せっかく並ばずに遊べると思ったのに、他のチームに先行かれちゃったじゃん」
見るとジェットコースターの付近には他のチームが並んでいる。
でも、3人だけだ。
「あれ? 3人のチームもあるのかな?」
今まで出会ってきたチームはみんな4人だったから、4人チームだけだと思っていた。
「3人でも4人でもどうでもよくない?」
繭乃はすでに考えることを放棄しているのか、投げやりだ。
この様子じゃ脱出するための話もできそうにない。
とにかくジェットコースターに乗って繭乃の機嫌を取るのが先だ。
「気を取り直してジャンケンで誰がクレジット人間になるか決めよう」
仕切り直してそういったときだった。
「あれなに!?」
大きな声が聞こえてきて私達はまた動きを止めた。
繭乃が盛大なため息を吐き出すのが聞こえてくる。
さっきの声がした方へ視線を向けると、ポニーテールをした女の子が上を見上げて、そちらに指をさしているのが見えた。
「今度はなによ」
何度もジャンケンを邪魔されて不機嫌さを増している繭乃が頭上に目を向ける。
その瞬間、繭乃の顔色が変わった。
不機嫌そうに歪めていた表情がみるみる唖然としていく。
どうしたんだろう?
そう思って眩しさを我慢して同じように頭上へ視線を向けた。
そこにはフェットコースターとレールが見える。
青い空と、眩しい太陽に照らされて、銀色のレールがギラギラと光っている。
特になにもなさそうだけれど。
そう思って少し視線を移動させたときだった。
レールの上になにかが見えた。
そのなにかがもぞもぞと動いているみたいだ。
「あれなに……?」
思わず、ポニーテールの子と同じ言葉が口から漏れる。
「人だ!!」
叫んだのは智道だ。
その言葉にハッと息を飲む。
周囲にざわめきが走る。
私はジェットコースターの列に並んでいるチームへ視線を向けた。
そのチームは3人で、ひとり足りないと思ったとろこだったのだ。
まさか、レールの上にいるのが4人目なんじゃ……?
そう思った瞬間血の気が引いた。
あれがチームのひとりだとすれば、どうしてあんな場所にいるのか。
どうして他のメンバーは助けようとしないのか。
疑問が次々と浮かんでは消えていく。
「早く助けないと!」
智道が叫ぶけれど、自分たちにできることなんてない。
ジェットコースターの管理室を覗いてみても誰の姿も見えなかった。
「なにしてるの!? 降りてきて!」
必死になって声を張り上げるけれど、レールの上の男の子はもぞもぞと動くだけで返事もしない。
目を細めてしっかり見てみると、男の子の体はロープで縛られた状態でレールの真ん中に、横向きにして寝かされているのがわかった。
声も、出せない状態なのかもしれない。
愕然としたそのときだった。
誰も乗っていないジェットコースターがガタンッと大きく音を立てて突然動き出したのだ。
ジェットコースターはガタンガタンと音を鳴らして進んでいく。
「動いてる!!」
思わず悲鳴がほとばしった。
男の子がいるのは一番急下降しているレールの上だ。
ジェットコースターの速度も急加速しているはずで、そのまま轢かれてしまったらどうなるか……!
「誰か止めて!」
ジェットコースターに係員がいなくても、他の場所にはいるはずだ。
けれど、いくら大声で叫んでも誰も来ない。
「どうにか止められないか」
智道がガラス張りの係員室に駆け寄り、ドアをこじ開けようとする。
しかし、それはびくともしない。
両手でガラスをバンバン叩いてみても、強化ガラスでできているようでヒビもつかない。
「なんで勝手に動き出すんだよ!」
怒鳴ると同時にガラス窓を殴りつける。
それも、なんの効果もなかった。
そうしている間にジェットコースターはどんどん上昇していく。
男の子が縛られている場所へ向かって刻一刻と近づいていく。
どうすればいいんだろう。
どうすれば助けられるんだろう。
そう考えたときに浮かんできたのはクレープ屋のお兄さんだった。
彼はただのアルバイトだと言っていたけれど、この状況を見れば動いてくれるかもしれない!
咄嗟に足が動き出していた。
クレープ屋までの距離はそれほど遠くない。
全力で走れば間に合うかも知れない!
「助けて! 誰か助けて!」
走りながらも他のアトラクションにいる係員たちへ声をかける。
その誰もがクマのお面をかぶっていて表情が見えない。
右を向いても、左を向いてもクマのお面をかぶった人たちは誰も私の言葉を聞いてくれない。
それが不気味で、恐ろしくて思わず立ち止まってしまいそうになる。
「助けてください!」
それでも懸命に走ってクレープ屋の前までやってきていた。
「どうしたんだ?」
さっきまでと同じようにクレープを焼いていたお兄さんが驚いた表情を浮かべる。
私は息を整えながら簡単に事情を説明した。
「ジェットコースターに!?」
お兄さんは大きく目を見開いて、すぐに屋台から飛び出してきてくれた。
屋台をしている人たちはみんなアルバイトなのだろう。
不気味なクマのお面はかぶっていなくて、それだけで安心できた。
「こっちです!」
来た道を戻っていくとさっきよりもジャージ姿の子供たちが増えていることに気がついた。
みんな、なにかがあったのだと感づいたんだろう。
「嘘だろ……」
ジェットコースターの上にはまだ男の子が拘束された状態でいて、ジェットコースターはすでに頂上付近に到達してしまっている。
後少し進めば急降下だ。
「おい! 止まれ! 止まれよ!」
お兄さんが叫びながらジェットコースターの係員室へ急ぐ。
ドアノブに手をかけるが、やはりしっかり施錠されているようでびくともしない。
それでもどうにか開けようと足で何度も蹴り始めた。
ガンッ!ガンッ!と乱暴な音が周囲に響く。
「俺も手伝います!」
もう一刻の猶予もない。
智道が一緒になってドアを蹴破ろうとしている。
ジェrットコースターはじりじりと上り詰める。
「くそっ! 開けよ!」
お兄さんの怒号に続いてゴォォォォォ!と轟音が周囲に轟いた。
一瞬、景色がスローモーションになって見えた。
上り詰めたジェットコースターが勢いよく下っていく。
スピードがぐんぐん上がってきたところで、男の子がいる。
男の子の体が一瞬ビクンッと撥ねたように見えた。
恐怖による痙攣か。
最後まで逃げ出そうとした結果なのかはわからない。
「開けぇ!!」
お兄さんが叫ぶ。
智道も叫ぶ。
だけどその声はジェットコースターの轟音によってすべてかき消された。
ジェットコースターが男の子の体に乗り上げる。
脱線したマシーンは停止することも知らずに少し男の子の体をひきずって走行し、前方部分がレールの外へ飛び出した。
下にいた子供たちが悲鳴を上げて逃げていく。
男の子の体とジェットコースターが落下してくる。
呆然と立ち尽くしていた私の腕を誰かが引っ張り、その場から離れていた。
ギリギリまでドアを蹴破ろうとしていたお兄さんと智道も逃げ始める。
大きなビルが倒壊したような音が耳をつんざいたとき、ようやくスローモーションがもとに戻った。
ジェットコースターが地面に激突して車体が潰れる。
砂埃がもうもうと立ち上がり、その中に鮮血が見え隠れした。
車体の下敷きになるようにして潰れた男の子の顔は、すでに見る陰もなかったのだった。
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