クレジット人間

西羽咲 花月

目覚め

真っ暗な闇の中を歩いていた。

その先にいくら目をこらしてみても光は見えなくて、足元すら真っ暗でなにも見えない。

それほどの暗闇の中を歩くのは恐ろしくて、一歩踏み出すたびに心臓がドクンッと大きく撥ねた。

足元になにもないことを確認して歩くごとにホッと胸をなでおろす。


そしてまた、緊張しながら足を踏み出す。

そんなことを繰り返していたとき、ふいに右肩を誰かに掴まれた。

ハッと顔を向けてみるけれど、そこにはやはり暗闇が広がるばかりでなにも見えない。



「誰かいるの!?」



恐怖から暗闇へと声をかけた瞬間、私の体は暗闇から伸びてきた手に掴まれた……。





「恵利、起きろ!」



何度も体を揺さぶられる感覚がして私の意識は暗闇の中から急浮上していく。

うっすらと目を開けたとき、やはり周囲は暗かった。

だけど夢の中で見たような一寸先が見えないような闇ではない。

自分はどこか建物内にでもいるようで、その周辺は明るく照らされている。



「恵利、大丈夫か?」



その声にようやく視線を向けると心配そうな表情を浮かべている牧田尋(マキタ ヒロ)と視線がぶつかった。

尋と私は同じ坂山高校の2年生だ。

2年生に上がってすぐに交際を始めた。



「尋……?」



そう尋ねる自分の声が枯れていて、何度も咳をする。



「よかった。目を覚まさなかったらどうしようかと思ったんだ」



尋はそう言うと私の体をきつく抱きしめた。

尋のぬくもりに安心する反面、体のあちこちが痛むことに気がついた。

顔をしかめて尋から身を離す。



「体が痛い」


「無理な体勢で寝てたからな」



無理な体勢ってどうして……。

そう聞こうとして、私はようやく自分が遊園地にあるコーヒーカップの中にいることに気がついた。

周りが騒がしく、きらびやかで気がつくのが遅れてしまった。



「コーヒーカップ? なんで?」



私は今日尋とふたりで遊園地へ来ていただろうか?

思い出そうとしてみても、そんな記憶はなかった。

記憶にあるのは平日に学校へ行き、授業を終えて普通に帰宅したことだけだ。

明日も学校があるから、遊園地で遊んでいる時間なんてなかったはずだ。



「俺にもわからない」



尋が眉を下げて左右に首を振る。

そういえば尋と私は同じ紺色のジャージを着ている。

けれどそれは見慣れないものだった。



「このジャージはなに? 学校指定のとも違うみたいだし、私こんなの持ってないけど」


「俺も、ここで目を覚ましたときにすでに着てたんだ。もしかしたら誰かに着替えさせられたのかも」



尋の言葉に全身に寒気が走った。

わけのわからない場所で目覚めた上、勝手に着替えまでさせられたのかもしれない。

見えない誰かに素肌を見られたのかもしれないと思うと鳥肌が経つ。

私は自分の体をきつく抱きしめた。

とにかく、こんなところから早く帰りたい。

そう思ったときだった。



「痛ったぁい。なんなのよここは」



文句を呟く女性の声が聞こえてきてそちらへ視線を向けた。

見ると隣のコーヒーカップの中から同じジャージを着た女性が起き上がったところだった。

その奥には男性の姿もある。



「赤木先輩?」


女性へ向けてそう呟いたのは尋だった。

名前を呼ばれた女性がこちらへ視線を向けて怪訝そうな表情になる。



「あんたたち、たしか2年生の……」



そこまで言われて私も思い出した。

女性の方は赤木繭乃(アカギ マユノ)先輩で、男の方は楠智道(クスノキ トモミチ)先輩だ。

ふたりとも美男美女カップルで、校内では有名な存在だった。



「先輩たち、どうしてここに?」



尋がそう聞くと、ふたりは互いに目を身交わせた後左右に首を振った。



「わからないんだ。目が覚めたらここにいた。君たちは?」



智道先輩の言葉に尋が自分たちも同じであることを説明した。



「君は牧田くんだよね? そっちの子は?」



智道先輩の視線が私へ向いている。

尋は部活動や委員会で活発に活動しているから、顔と名前くらいは知っていたんだろう。



「橘恵利です」



小さく頭を下げて自己紹介を済ませる。

コーヒーカップの中は明るいけれど外は暗い。

夜空に浮かんでいる星がまたたいている時間帯だ。



「とにかくここから出ようよ。体が痛くて仕方ないの」



繭乃が不快そうな表情で立ち上がる。

その瞬間体がぐらついて、隣にいた智道が体を支えた。



「もしかしたら薬物で眠らされていたのかもしれないな」



繭乃のふらつきを見て智道が呟く。

薬物で眠らされて、ここに連れて来られた……?

それならどこかで犯人が見張っているかもしれない。

コーヒーカップから出る前に慎重に周囲を確認してみるけれど、それらしい人影は見られない。

そもそも監禁するとすればもっと自由のきかない、逃げられないような場所を選ぶはずだ。



「どうした?」



ひとりで考え込んでいると尋に声をかけられた。

3人はすでにコーヒーカップから出ている。

私は慌てて3人の後を追いかけたのだった。


☆☆☆


コーヒーカップから出てすぐに気がついたことがあった。



「このバッヂなんだろう」



ジャージの右胸につけられているハートの形をしたバッヂにふれる。

そのバッヂは直接ジャージに縫い付けられているため、外すことができない。



「本当だ。みんなにもついてる」



そういったのは智道だった。

4人の右胸には同じ形のバッヂがつけられている。

それはまるで4人が同じチームだということを記しているようにも見える。



「とにかく出口へ向かおう」



わけがわからないこんな状況からは早く脱出したい。

空は薄っすらと明るくなり始めているから、ここからは行動しやすくなるはずだ。



「この遊園地を知ってる?」



繭乃の言葉に首を縦に降った人はいなかった。

みんな来たことのない遊園地だと言う。



「それじゃ出口がどこにあるかわからないじゃん」



繭乃は一層不機嫌そうな表情になって大きくため息を吐き出した。

校内では美人で優しいと評判の繭乃だけれど、実際には感情の起伏が激しいタイプなのかもしれない。

それとも、今はこんな状況にいるからだろうか。



「こっちに地図がある!」



コーヒーカップから離れた位置に大きな看板がある事に気がついて私は駆け出した。

園内の地図があれば出口まで迷うこともない。

繭乃の機嫌もこれ以上悪くなることもないだろう。



「出口は向こうだな」



智道が地図を確認して後方へ視線を向ける。

その先にはメリーゴーランドやジェットコースターがあり、その奥が出入り口になっているらしい。

少し遠いけれど、歩くしかない。

4人で歩き始めると園内のあちこちから声が聞こえてくることに気がついた。



「誰かいる」



尋がつぶやき、警戒したようにコーヒーカップの柵に身を寄せて確認する。



「同じジャージを着てるな」



そう呟いたのは智道だった。

陰から確認してみると数人の男女の姿があり、誰もが紺色のジャージを着ている。

違うのは胸につけているバッヂの形だ。

私たちはハートだけれど、相手は星型のバッヂをつけている。

やっぱりチームという意味があるみたいだ。

星型のバッヂをつけた子たちは全員で4人。

人数はこっちと同じだ。

星型チームの子たちの会話に耳を済ませていると、どうやらメリーゴーランドの中で目を覚ましたらしい。

私達と同じで動揺しているのがわかる。



「どうする? 声をかけて、出口に向かうか?」



「嫌よ。他の人のことなんて関係ないでしょ」



智道の提案を繭乃がバッサリと切り捨てる。

とにかく自分がここから出ることができればそれでいいみたいだ。

状況が状況だけに仕方ないと思っていたけれど、さすがにちょっと呆れてしまう。

あのチームだって、こちらと同様に困っているのに。



「ねぇ、早く行こう」



繭乃は星型のバッヂをつけたチームにバレないよう、遠回りをする道を選んだのだった。


☆☆☆


地図で確認した通り園の出口はジェットコースターを通り越したところにあった。

大きなアーチの下にキップ売り場と通路が見える。

太陽は徐々に上がり始めていて、今では園内の様子がよく見える。



「やっと帰れる」



出口が見えた途端繭乃が駆け出した。

その後を3人が追いかける。



「外に出たら警察へ行かないとな」



智道が真剣な表情で呟く。



「それに病院も、なにか薬を飲まされたかも知れない」


「それなら私は病院だけに行くから、警察はあんたたちで行ってよね」



面倒事を引き受けるのが嫌なのか、繭乃はさっきから好き勝手なことを言っている。

私と尋は思わず目を見交わせて苦笑いを浮かべた。

繭乃の性格にはびっくりだけれど、とにかくここから出ることができるなら今はどんなことどうでもよかった。

繭乃の早く帰りたいという気持ちも理解できるし。

そう思っていたとき、繭乃が険しい表情で立ち止まるのが見えた。



「開けてよ! 帰るんだから!」



と、周囲へ向けて叫んでいる。

一体どうしたのかと駆け寄ってみると、通路にシャッターが降ろされていることがわかった。

尋と智道がシャッターを開けようと手をかけるけれど、びくともしない。

しっかりと鍵がかけられているみたいだ。



「誰かいませんか!? シャッターを開けてください!」



声を張り上げてみても従業員らしき姿はどこにもない。



「ここから出してよ!」



繭乃は八つ当たりのようにシャッターを蹴っている。

が、シャッターはよほど強固なものでできているようで、傷ひとつつかない。

これじゃ外へ出ることは難しい。



「くそっ」



尋が舌打ちをしてジャージのポケットを調べ始めた。



「スマホも財布も、なにもない」



その言葉に私も同じようにジャージのズボンについているポケットを確認する。

その中は空っぽだった。



「つまり、ここから外へ出ることはできないし、外へ連絡を取ることもできないってことか」



智道の言葉に繭乃が「おまけにお金もないから遊べないし?」と、やけくそに付け加えた。

とにかくここから出られないことは理解できた。

だけど犯人の意図が理解できない。

誘拐されてきたのは私達だけじゃないようだし、これだけの遊園地を貸し切って監禁する意味がどこにあるんだろう。

遊園地ひとつ使うだけでかなりのお金がかかるはずだから、金銭目的ではなさそうだ。

じゃあ、なぜ……?

考えてみてもわからなくてため息をつく。

自分たちはこれからどうすればいいのか、なにかをさせられるのだろうかと、不安が濃くなっていく一方だ。

疲れてしまってその場に座り込んでしまいそうになったとき、ぼふぼふと音が聞こえてきて私達は一斉にそちらへ視線を向けた。

不可解な音がした先にいたのはクマの着ぐるみだった。

歩くたびにぼふぼふと音を立てている。

遊園地のマスコットキャラクターなのか、緑色の毛をしていて、手には緑色の風船をひとつずつもっている。

大きな目玉が私達を捉えたように見えて、思わず後ずさりをした。

可愛いはずのマスコットキャラクターが、今は不気味に見える。



「ちょっとあんた。ここ開けてよ!」



不気味さなんてものともせずにそう言い放ったのは繭乃だった。

繭乃はつかつかとクマへ歩みよると臆することなく睨みつけた。

クマは立ち止まり、ジッと繭乃を観察しているようだ。



「私達帰りたいんだよね。だからここ、開けて」



もう1度言い、シャッターを指指す。

しかしクマは繭乃から視線をそらさない。



「人の話聞いてる?」



繭乃がクマの腹部を手で押す。

クマはびくともせずに繭乃を見つめ続ける。



「繭乃」



心配して智道が近づいていくと、クマが持っていた風船をふたつ差し出してきた。



「そんな風船いらないんだけど。私達子供じゃないし」



繭乃の言葉はクマに届かない。

クマは風船を差し出した状態でとまっている。



「ありがとう」



たまらず智道が風船を受け取る。

けれどその寸前でクマが風船を手放して、2つの風船は風に乗って空へと飛んでいく。



「ちょっと、あんたナメてんの!?」



繭乃が顔を真赤にしてクマに殴りかかろうとする。

智道が慌ててそれを止めた。

クマは楽しげに体を揺らして残り2つになった風船までも手放してしまった。

ゆらゆらと空へ浮かんでいく風船を見つめて胸の奥に不安が膨らんでいくのを覚える。

今のクマの行動は、4人が天へ召されてしまうような意味合いに感じられたからだ。

もちろん、そんなのは私の思い違いなもしれない。

深い意味なんてなくて、ただ意地悪をしただけかもしれない。

それでも私は緊張から何度も唾を飲み込んでいた。

しばらく沈黙が続いた。

繭乃はクマを睨みつけているし、智道はそんな繭乃とクマの間に立って冷静に様子を伺っている。

誰もがなにも言わなかったそのときだ。



「ここは子供世界」



重たい雰囲気に不似合いな、甲高い機械音がクマの体から聞こえてきたのだ。

尋がハッとして息を飲むのがわかった。

クマはおしゃべりに合わせて手を降ったり、体を動かしたりしている。



「たくさん乗り物に乗って、好きに遊んでいいんだよ」


「何言ってんの。お金だって持ってないのに」



繭乃が吐き捨てるように言う。

お金がないと乗り物に乗ることはできない。

そんなの、わかりきったことだ。



けれどクマは体を揺らして「お金はあるじゃない」と答える。



「ねぇ、このクマなに言ってんの?」



繭乃が呆れ顔で振り向く。

私も尋も何も答えられなかった。

みんなジャージのポケットを確認したけれど、財布もお金も、なにも入っていなかったのだから。



「この遊園地の中では、人間そのものがお金の代わりになるんだよ!」



クマの陽気な説明に繭乃が再び視線を向けた。



「乗りたいもの、食べたいもの、買いたいものがあるときは、それを引き換えに労働するんだ、なんとこの遊園地には高額商品の取り扱いもあるから、もちろんそれを購入することだってできるよ!」



クマは両手を天へと突き上げて大げさに驚いて見せている。

要はここでアルバイトをして遊べと言っているのだ。



「遊びたいものもないし、欲しいものもない。私たちを外に出して!」



繭乃に加勢するように言うと、クマは首を傾げてこちらへ視線を向けた。

生気のない作り物の目に捉えられて足先が冷たくなる。



「外に出るためにもお金が必要だよ」



クマの言葉に唖然としてしまう。



「なんだって?」



隣の尋も声色を変えた。



「だから労働は必ず必要なんだ!」



クマは楽しい遊びを提案している子供みたいに飛び跳ねる。

その動きが不快さを増していく。



「でも大丈夫!」



なにかを質問するより先にクマが次の言葉を発していた。

今や誰もクマの言葉を遮ろうとはしない。

クマはこの遊園地内において大切な説明をしているのだと、誰もが理解していた。



「自分が労働したくらいときは、チーム内で決められたゲームを行い、ゲームに負けた人に働いてもらうことができるよ!」



そのゲームってなに?

その質問が喉まででかかって寸前で止めた。

別に園内でやりたいことなんてないから、聞く必要もない。



「ゲームに負けた人はクレジット人間と呼ばれるよ!」


「クレジット人間……?」



智道が不快な表情を浮かべて呟く。

クマは大きく頷いた。



「外の世界のクレジットカードみたいなもんだね! 一括払いもできるし、分割払いもできるってこと!」



人間がクレジットカード代わりになる?

どういうことだろう。

さっきクマが説明したように、労働して支払う以外にもなにかありそうだ。



「ゲームの種類は、ジャンケン、ダーツ、トランプだよ。好きなものを選んでゲームしてね」


「そんなことより、外に出たいんだってば!」



繭乃が思い出したように叫ぶ。

クマはその言葉を無視して園内パンフレットを繭乃に手渡した。

そしてスキップをしてその場を去っていく。



「待てよ!!」



尋が慌ててクマの後を追いかけるが、クマはスタッフオンリーを札のかかったドアの中へ入ると、鍵がかけられてしまった。



「なんだよ、くそっ!」



尋が乱暴にドアを蹴って舌打ちをする。



「他に出られる場所がないか探してみるしかないな」



智道は繭乃がもらったパンフレットを隣から覗き込んでいる。

私も同じようにパンフレットを確認してみたけれど、正規の出入り口はここにしかないみたいだ。

残る可能性は園を取り囲んでいるフェンスを乗り越えて脱出する方法くらいか。

そう考えていると繭乃が「すごい!」と、明るい声を上げた。

急にどうしたのかと思えば、パンフレットに書かれている店名に釘付けになっているみたいだ。

「この遊園地、有名ブランドのお店が沢山入ってる!」

繭乃が言うように、知らない人はいないようなハイブランド品を取り扱っているお店があちこちにあるみたいだ。



「こっちには宝石店があるね。ここ、本当に遊園地?」



私は首を傾げて誰にともなく呟いた。

ブランド品も宝石も、遊園地で購入するような商品じゃないと思うけれど……。



「元々ここに俺たちを監禁したんだ。普通の遊園地なんかじゃないさ」



智道が吐き捨てるように言う。

確かにそのとおりだけれど、なにか色々と理由がありそうな気がしてきた。



「見ろよ。自転車屋まである。俺、ここのマウンテンバイクがほしかったんだよなぁ」



尋まで目を輝かせはじめてしまった。

「とにかく、早く出口を探そうよ」

こんな場所からは一刻も早く脱出したい。

早く家に帰りたいよ……。

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