クライムフィルム

輝響 ライト

クライムフィルム

 それは、休日に出かけた時の話だった。

 私は、近場のデパートの屋上に来ていた。

 趣味のカメラでビルと人々の様子を収めようと、一眼レフを握って来ていた。

 天気は晴れ、綺麗な青空と人の流れがよく見えた。


 ファインダーから見る世界は、肉眼で見るのとまた違う世界に思える。

 人差し指を添えたボタンを押すだけで、その世界はそこで終わってしまう。

 次に覗き込むファインダーはまた別の世界だと、そう感じるのだ。

 だから、直感がここだと叫ぶ瞬間まで指は動かさない。


 そうして何枚かの写真を撮り終え、異世界への扉から目を離し周囲を見る。

 土曜日という事もあり、デパートは親子連れの家族が多い。

 屋上に設置された時計を見れば、カメラを握ってから一時間が経過していた。

 増えている人混みを眺めていると、一人佇む少年に目が留まる。


 しかし、なぜだか違和感を覚え、その違和感に気が付いた次の瞬間には、体が動いていた。

 落下防止の金網の向こう、少年はそこにいたからだ。

 混みあう屋上、人波を無理やり進もうとする自分に気が付いて、その目線の先をみた誰かが、悲鳴を上げた。

 その悲鳴に後押しされるかの様に、少年の身体はゆっくりと前に倒れていく。




 あぁ、今思えば当然のことなんだ。

 網の向こうに居る少年に手を伸ばすことは不可能だった。

 始めから助ける事なんて出来なかったのかもしれない。

 それでもデパートの下から聞こえてくる沢山の悲鳴は、耳から消えない。





 ◇   ◇   ◇



 一週間、あれから一週間が経った。

 私は布団を深くかぶり、カーテンを閉めた暗いくらい部屋にいる。

 趣味のカメラはもう視界に入れる事すらできない。どうしても、あの時の記憶が蘇るからだ。

 会社からは社長にしばらく休むように言われ、御厚意に甘え休暇をいただいた。


 ……とはいえ、それも良かった選択だとは思えない。

 まだ仕事をしていた方が、余計なことを考えることも無かっただろうに。

 手が空いていると、どうしても余計なことを考えてしまう。

 カメラ好きだった父の影響で、幼い頃から握っていたおさがりの一眼レフが唯一の趣味だった私には、することがなかった。


 気を紛らわせようとテレビを見ても、心から楽しいという感想が湧いてこない。

 あの瞬間から世界が止まったようだ。

 あの場でシャッターを切らなければよかった。

 その後悔は絶えない。


 カメラなんか・・・に夢中になっていたから、もっと早くからあの少年に気が付けなかった。

 あの少年を殺したのは私も同然だ。

 これは、他殺だ。

 少年の自殺ではなく、私による他殺だ。




 そう思うようになるまで。

 長くはかからなかった。





 ◇   ◇   ◇



 苦しい、苦しい。

 一週間前と比べて、今の方が苦しんでいる。

 心療内科で処方された薬を飲んでも効き目は感じない。

 自責の念は和らがない。


 カメラは、もういらないと捨ててしまった。

 久々に会った父からは、優しい笑顔で「そうか」とだけ返された。

 そっと頭を撫でられたのもいつぶりだろうか。

 久々に感じた人の温かさは、凄く心地が良かった。


 しかし、それで私の心が癒えるはずもない。

 私は殺人犯だ、人殺しなのだ。

 警察の人は、少年の自殺の原因が学校環境にあったと言っていた。

 それでも、命を投げ出すその瞬間に間に合わなかった私の方がはるかに罪深い。


 止められていたら、新しい人生への道があったかもしれない。

 止められていたら、家族と一緒に来ていた子供たちを怖がらせないで済んだかもしれない。

 何より、止められていたら私はここまで苦しんでいない。

 そう思う自分に、心底嫌気が差した。




 どうか。

 どうか、わたしを許してほしい。

 きっと罪は無いのだろう。

 私に、そんな罪は無いのだろう。

 分かっている、分かっているんだ。

 それでも、私は許しを乞い続ける。

 耳に木霊する悲鳴が。

 消えて言った少年の命が。

 何より力不足だった私自身が。

 私を許せないからだ。





 ◇   ◇   ◇



 頬を撫でる夜風が気持ちいい。

 最近の暗く重い気持ちを忘れてしまいそうに心が軽く感じる。

 用量を守らず大量に飲んだ薬のせいか。

 あの時と同じ、土曜日のデパートの屋上にいるからか。


 人気の少ない場所で、そっと網を乗り越える。

 あぁ、目がくらむ、十階まであるデパートの屋上だ。

 それでも、私は勇気とこの後に待つ出来事の為に、進まなくてはならない。

 ゆっくりと、まだ落ちないように、デパートのふちを歩く。


 あの時と変わらない、人混み。

 あの時と変わらない、街並み。

 こちらに向かってくる足音がする。

 きっと、あの少年も聞いていたのだろうか。


 耳を裂くような悲鳴が聞こえた。

 あぁ、私はこれで楽になれる。

 網にしがみついている手を離し、体を前に倒す。

 重力に身をまかせ、強い強い風を身に受ける。




 ……ごめん、さよなら。





 ◇   ◇   ◇

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