43 及川 浬
「世話になったのう」
「いや、凪や透樹等も関わった事だ」
大神様と サマエルさんが挨拶を交わす間に、薙刀を背中に背負い、鬼神だった男の霊を抱き上げた 浅黄君が 幽世の扉へ入って行って、俺とリヒル君も 榊さんに
「お前達も戻るが良い」と、眼で示されて 扉へ向かう。
透樹君や トモキ君には会釈をして、凪さんにも顔を向けると
「どうせ その内、また会うでしょ。じゃあね」と 軽く言われて、月の宮へ戻った。
「さて、腕や足を戻さねばならぬ」
「うむ」
抱えていた男の人の霊を、大木の下に横たえた浅黄君が、大島君の両腕を榊さんから預かって、女の人の足を抱えている榊さんと 一緒に、赤い欄干の橋のたもとへ向かっている。
リヒル君には、まだ何も聞いていないままだ。
でも、両腕や足を見送ろうと、俺らも 二人について行った。
「みなさん、おかえりなさい!」
アーチを描く赤い橋のたもとには、柚葉ちゃんが居て
「お疲れさまでした! 大活躍でしたね!」と、笑顔で労ってくれたけど、俺らだけじゃ どうしようもなかったよな...
俺もリヒル君も「あ... 」「うん... 」と、素直には頷きづらかった。
「柚葉、良かろうか?」
「はい。じゃあ、女性の
柚葉ちゃんは 橋のぎりぎりの場所に立って、榊さんから手渡された女の人の足を、橋に捧げるようにした。
すると橋の上に足が浮き、橋の向こうへと流れていく。
大島君の両腕も同じように流れて行った。
胸に抱いたままだったキャバリアのモカが、ピスピスと鼻を鳴らしている。
「榊さん」
柚葉ちゃんに呼ばれた 榊さんは
「むう... 仕方あるまいのう... 」と、開いた右手を肩の位置まで上げ、また扉を開いた。
その向こうには、桜が咲いているのに 色づいた紅葉もある、色艶やかな不思議な場所だ。
短い
蝙蝠の翼骨や鳥の足のように変形していた 二人の両腕や足は、細い枯れ枝の段階まで戻っていた。
あの男の霊から、黄泉軍の人たちや 魄が抜けたせいなのだろう。
『あっ、両腕の霊じゃーん』
『霊よりエネルギーを感じるね。精気だろう。
足もだ』
大島君の両腕と 女の人の足が、それぞれの腕や足の上に降りて重なると、二人の両腕や足は 元通りになった。
キャンキャン と 嬉しそうに鳴きながら、モカが走って行く。
ウェーブの柔らかな毛の耳を揺らし、尻尾を立てて。
モカは、女の人の頬や瞼に たくさんのキスをした。
ヤキモチを焼いたのか、隣に横たわる 大島君の胸にまで乗り、蹴って飛ぶと、女の人の胸の上には そっと乗った。
「榊、幻惑を」
「ぬうう... 」
榊さん、何を怒ってるんだろう?
結い上げている髪の後れ毛が 逆立ってるように見える。浅黄君は笑ってるけど...
扉から出て行った榊さんは
「ルカ、ジェイド。下がるが良い」と、ルカ君たちを移動させている。
『... モカ?』
女の人の声だ。
目覚めた女の人は、胸に乗っているモカに気づくと、両腕に抱いた。
モカも大喜びで、女の人にキスの嵐だ。
『モカ、モカ... 会いたかったよ』
なんか、胸が詰まるな...
犬や猫って、どうして寿命が短いんだろう?
もっと長く長く 一緒に生きれたらいいのに。
『モカ... ねぇ、大好きよ。
でも これは、きっと... 』
「そう。夢ですよ」
柚葉ちゃんだ。
女の人には 声として聞こえていないのか、起き上がると、ただ モカを抱いて撫でているけど、涙を溢れさせた。
「モカは、愛することを知っているんです。
私たちより ずっと。
だから 私たちのように、長く生きなくてもいいんです。
生きることが どんなことなのか、知ってるから」
現世での修行の時間が短い ってことなのか...
「でも、それを モカに教えたのは、あなたなんです。
あなたも、モカにもらった愛と生きてください」
『モカ... 』
離れなくてはならないと悟ったのか、女の人は モカを しっかりと優しく抱きしめ、モカは 女の人に、もう 一度キスをした。
女の人の腕から下りたモカは、後ろ足で立ち上がると、女の人の鎖骨の辺りに前足をかけ、見つめて 自分の眼を見せている。
それから 優しい声で鳴き、幽世の扉へ走り込んだ。
********
榊さんを残したまま、扉が閉まった後も、俺らは ぼんやりとしていた。
モカは 柚葉ちゃんに抱かれていたけど、リヒル君が
「おいでよ」と 引き取って抱きしめていて、涙をなめてもらっている。
「男が目覚めたようじゃ」
浅黄君が言っているのは、大木の下に横たえていた 男の霊のことだ。
蒼白の星々の河沿いを歩いて、大木へ近づくと、半身を起こした男が、きょろきょろと辺りを見回しているのが見えた。
「お目覚めですか?」
柚葉ちゃんに聞かれた男... いや、爺さんは
「はぁ... 」と、おどおどしなから 柚葉ちゃんを見上げ
「ここは、極楽ですかな?」と 聞いた。
普通の爺さんすぎて、何か拍子抜けだ。
本当に さっきまで、あの鬼神だったんだよな... ?
「極楽ではないが、現世でもないのだ。
死しておる事は確かなのであるが」
爺さんの前にしゃがんだ 浅黄君が
「何か、覚えていようか?
生前の事や死因など」と 聞くと、爺さんは ぽかんとした顔になったけど
「あぁ... はい、はい。
私は、事故を起こしてしまったんですな。車で」と、自分に頷きながら言った。
「ブレーキとアクセルを踏み間違えました様で。
幸い、どなたも巻き込むことはなかった様ですが、私の身体や車が動かされて 道路から無くなっても、動けずにいました」
爺さんは、しばらくそのまま佇んでいたようだけど、救急車のサイレンの音を聞いて
「あぁ、
リヒル君と目が合う。
「しかし、“妻を遺して死んでしまった” と 判りますと、身体が動かんのです。焦ると焦るだけ余計に。
私は、何とか伝えられぬものかと、夕芽さんの名を呼びました。
すると、返事があったんですよ。
白い霧から 夕芽さんの声で
“ここですよ”、“私ですよ” って」
魄だ... 思った通り
「それから、気づくと 今で、ここに居ました」ってことだ。
「うむ。その声は、真に 奥方の声であったのであろうか?」
浅黄君の質問に、爺さんは
「はい。あれは確かに...
いや... どうでしたかね?
必死だったもので、返ってきた声を 夕芽さんだと てっきり... 」って具合で、思い出してみると ハッキリはしないらしい。
「あなたは、“森川さん” ではないですか?」
俺が聞いてみると、爺さんは こっちに向いて
「はいはい、そうです。森川 太一 と申します」と、嬉しそうに頷いた。
自分を知る人が居て、安心したのかもしれない。
続けて
「奥さんは、南 総合病院に入院されていませんでしたか?」と 聞くと
「そうです、そうです。
先に私が逝ってしまうとは... 」と 沈痛な面持ちになってしまったけど
「残念ながら 奥さんも亡くなられていて、今も病院で、あなたを待っておられますよ」と 伝えた。
「夕芽さんが... ?」
ショックだよな。自分も死んでしまってても。
「私の死は、伝わっていなかったのでしょうか?」と、心配そうだ。
「伝わっていたのかどうかは 分かりません。
もし聞いておられたとしても、入院中で実感が湧かず、亡くなってから忘れてしまわれたか、または... 」
爺さん... 太一さんが事故で亡くなった時、夕芽さんも重篤な状態だったのかもしれない。
「でも、待っていらっしゃるのなら、お迎えに行きませんか?」
柚葉ちゃんが明るく言うと、太一さんは
「そのようなことが、出来るのですか?」と、眼を輝かせた。
うん、また会えるんだもんな。
「はい、出来ますよ。
奥さまと 一緒に、ここに戻りましょう」
柚葉ちゃんが 手を差し出すと
「いえいえ、若い娘さんの手を借りるなど。
自分で立てますから」と、太一さんが立ち上がった。
浅黄君が黒い薙刀を振り上げると、現世とを繋ぐ扉が現れて開かれた。
扉の向こう側は、病院の廊下の休憩所で、ベンチの端には背を丸めた お婆さん... 夕芽さんが座っている。
「夕芽さん、夕芽さん」
太一さんが呼ぶと、ワイン色のニット帽を被った 夕芽さんが振り向いた。
「太一さん... 」
ベンチを立った夕芽さんは、小さな眼を輝かせて、頬を上気させている。
「まぁ、ずいぶん待ちましたよ。
やっと来てくださったんですね」
「夕芽さん、すまなかったねぇ...
着替えは忘れてしもうたのですが、また 一緒に暮らしませんか?」
一度 扉から出た 太一さんの腕に、夕芽さんが ちょこんと手を添えると、二人でゆっくりと扉を抜けて、月の宮の柔らかな草が靡いた。
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