41 及川 浬


蒼白の星々の河に飛び込むと、直接 神社に降りて すぐに、左耳の横を 炎の鳥が掠め飛んだ。

いつの間にか、現世は夜になっている。


『あっ、悪ぃ!』


朋樹君の声だ。今の鳥は、式鬼しきってやつだったのか?

手水場の周りは水浸しになっていて、白い霧... 魄が集まって立ち込めている。

手水場の隣... 参道に、鳥居側にいる俺から見ると 背を向けた鬼神が立っていた。


赤い襦袢から伸びている青く逞しい腕は、相変わらず背で合掌をしていて、左足だけが 腕と同じに 逞しく青い。


拝殿の前に立ちはだかる 透樹君が お祓いの詞を奏上している隣で、朋樹君が 指に挟んだ札を吹いた。

吹かれた札は さっきの炎の鳥になって、鬼神が取り込もうとする 白い霧の魄を蒸発させている。


『姉ちゃん、中に居ろ って!』


透樹君と トモキ君の背後に居て、顔を覗かせた凪さんは、拝殿の中へ入って行った。


札を吹いて 炎の鳥を飛ばす合間に

『キミサマは?!』と 聞いた 朋樹君に

「まだ、高天原に... 」と 返しながら、鬼神の真後ろに移動すると、青く逞しい左足で蹴り飛ばされてしまった。

ビリッとした 電気が走るような感触がして、左足も悲鳴を上げている。

女の声だった。足の精気の持ち主の声だろう。


『てめぇ、姉ちゃんの願い 叶えてねぇだろ?!

何しに来やがった?!

半式鬼 使う前に来やがって!!』


手水場の周囲を濡らしている水は、まだ溢れて広がっている。

その上に 白い霧が寄り集まり

“よんだよね” “よんだ”... と くちゃくちゃと喋りながら、鬼神に近づいては 炎の鳥に霧散され、また寄り集まってくる。


「... はなから居らぬものなど 連れ戻せぬ」


幾重にも重なった声。黄泉の人たちの声だ。


『あ?』


「娘め...  謀ったか... 」


『うるせぇ!! マジで居るんだよ!!

おまえに探せねぇだけだろ!!』


突然キレた 朋樹君が、炎の鳥を 鬼神の左足に追突させた。

“端から居ない” って、凪さんの弟さん だよな?

ギャアッ と 女の声の悲鳴が響いて我に返る。

左足の悲鳴だ。本体の女の人には、影響しないんだろうか... ?

追突した鳥はほどけて、炎となって 左足を包んでいたけど、参道にも広がっている水が立ち上って消火されている。


俺も、ぼんやりしてる場合じゃないよな。

もう 一度 鬼神の真後ろに移動して、今度は、合掌している手の 両手首を掴むことが出来た。けど、掴むと同時に 腕が叫んだ。大島君の声で。

いや。今度は、ひるむな。何とか取り返さないと...


叫び声の中、鬼神が 掴んでいる俺の手を離そうと、合掌をこうとしている。

赤襦袢の背が蠢いて、白い指先が見え始めた。

十五、二十... 指に手のひら、四本の白い腕が突き出ると、俺の両腕の方が拘束された。


痛みはない... でも、すごい力だ。

白い手あいてが離さなければ、この手は外れないだろう。

掴んでいる青く逞しい腕から、俺の手が外されていく。

叫び声に混ざる、炎の鳥に霧散する魄の しゅう... という音。透樹君の祓詞の声。


「離せ、小僧... 」


白い手は重なった声で言って、俺の右手を 青い腕から外すと、辛うじて離れていない左手の方を振り回されて、鬼神の前に回ってしまった。


鬼神の額に浮き出ている 三つの瘤の右の 一つがメキメキと隆起し、ぼごりと丸くなって、横に切れ目のような線が引かれると、ちりちりと毛が並び伸びていく。瞼、か?

その瞼が開いた。ぬるりとした目玉が ぎょろぎょろと回って、瞳が俺に向いた。


「邪魔だてするな... 」


白濁した目玉に映ったのは、あの廃病院で死んだ時の俺の顔だった。

青黒い顔。頬の下は血に汚れ、視線は彼方にある。


見つめていると、閉じられた瞼が瘤に戻った。

真ん中の瘤が隆起して、縦に開いた口が現れた。

剥き出した歯は いやに人間くさい。


上下の歯の間から 先を尖らせた舌を覗かせて

「水底へ落ちよ... 穢れた死人め... 」と、口が言う。

「我等が食ろうてやろうぞ... 」


“食らう”... ? 先の尖った ぬらりとした舌に、生理的な嫌悪感を覚える。

黄泉軍こいつら、“伊邪那美様が泣いておられる” って...

月に向かう魂を 黄泉に呼ぼうとしてるのは、自分たちの為だったのか?


まだ舌を出したまま 口が瘤に沈むと、隆起した左の瘤から ギュルリと黒くいびつツノが伸びた。

青い腕の右手に 額を掴まれ、角が右目に迫る。


『おい ふざけんな!!

てめぇら、いい加減にしろよ!!』


トモキ君の声と共に追突した炎の鳥が、青い右腕を包んだ。腕は ひどい悲鳴を上げている。

額から 青い右手が外れると、額の左側に歪な黒い角を生やしたままの鬼神と眼が合う。ニヤけた眼の。

辛うじて掴んでいた左手から、青い腕が逃げた。


鬼神の背から嫌に長い白い腕が、肩の上や脇の下から伸びてきていて、白い四つの手が 俺の両腕を拘束している。


『クッソ!! あんたも使えねぇな!』

『朋、動くな! 隙が... 』


拝殿の前から トモキ君が動くと、透樹君も祓詞を止めてしまった。

鬼神の ニヤけた眼が、拝殿に向いた。


「大丈夫ですから、俺に構わずに... 」


『そういう訳にも いかないでしょ』


凪さんの声だ。

でも、なんで 背後から... ?


鬼神の顔が ゆるりと俺に向いて、鳥居の方へ移った。

石造りの鳥居の下には、凪さんが立っている。

でも さっきは、拝殿の中に...


いや、居る。拝殿の中からも、凪さんが顔を覗かせて...

トモキ君が『戻れ』と言うと、拝殿の中の凪さんが 白い人の形の紙になって、はらと落ちた。

あれは、何なんだ?


『浬ちゃん!』


背後に居る凪さんの声で 鬼神に向き直ると、手水場の周囲を濡らしている水から、炎に包まれていた青い右腕に 水滴が上がっていく。

開けた赤襦袢の中、肋の見える鬼神の胸からは、また白い指から手が開いた花の様に吹き出してきて、俺の頬や胸をさわりと撫でた。


「来い、黄泉こちらへ... 」


様々な ひとつの声。

額の右の瘤に眼が開くと、また俺の死体が映った。

あの時に見た、血や腹の中身が落ち流れた床も。


「地の下よ。眼など要らぬ... 」


しゅうしゅうと音を立てて、弱まる青い腕の炎を蒸気が包んでいる。

右眼には、歪なツノの先が迫った。


「そこまでだ」


真後ろに立った誰かが 俺の肩越しに腕を伸ばし、鬼神の首を掴んだ。

黒いスーツの腕。袖から出ている抜けるように白い手は、黄泉軍の手とは違い、輝いて見える。


「俺の居ぬ間に 俺の棲家なぎと契約しようとは... 」


サマエルさんだ。


「このまま、天... いや、地の審理の場に立ちたくなければ、カイリも返せ」


サマエルさんの手に掴まれた鬼神の首が押され、ぐ ぐ...  と、歪な角が 右眼から遠退いていく。

少し落ち着いてきた。あの廃病院の床の記憶も 俺の中から遠退いていく。


でも... サマエルさんは、御使いじゃないのか?

“地の審理”? ここで言ってる “地” って、地獄なんじゃ...

それに、凪さんは まだしも、黄泉軍からすると “なんでこいつまで” ってならないんだろうか?


「凪や お前は、信徒ではないからな。

また 黄泉軍これらも、他の神界の者等だ」


信徒?... あ、キリスト教のか。

なるほど、だから “天の” じゃないんだ。

“他の神界だと地獄で裁判” は、よく分からないけど、ハーゲンティさんを思い出すと、地獄にも法があって統制されてるのかも と思う。


「離せ... 離せ、なる者め... 」

「これは、我が国の問題ことぞ... 」

「なせ、異なる... 」「にの問題こと... 」


サマエルさんが鬼神の首を掴んでから、中の声が乱れてきている。

とはいえ、俺の両腕からは白い手が外れず、今や 顔や胸のシャツも掴まれている。


手水場の周囲に広がった水から、細い線を描く水が 鳥居の下へと流れていく。

その上に白い霧が集まってきていて、あのホテルの井戸の水を思い出した。


あれは、魄だ。凪さんに憑く気なのか?


「サマエルさん!」


「いいや。お前は自分の心配をしろ」


炎の鳥が長い尾を引いて掠め飛び、白い霧に追突して霧散させた。そうだ、トモキ君が居る。

透樹君の祓詞を奏上する声も聞こえてきた。


黄泉軍こいつらは、お前や生者の精気を手放す気は なさそうだ」


額の瘤の右眼が 俺を見つめている。

その右眼と歪な黒い角の間に 縦の口が開き、先の尖った舌が降りてきた。俺の口の方へ... 嫌だ と、思わず眼を閉じた。食われる...


「カイリ... 」


えっ... ? リヒル君の声だ。


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