40 瀬田 理陽


赤く燃えた障子の紙が、黒い塵となって 舞い上がっていく。


座敷中にほとばしる稲妻の中に、女の人が立っていた。

十二単衣のような着物の胸元や裾は乱れていて、顔と同じように、白紫の肌が見える。


ほとんどの紙は燃え尽きて、すすけた障子のかまちや組子... 障子を格子状にしている細木の向こうで、その人は、眼や口、着物の裾の中からも稲妻を発していて、着物の袖口や裾から、ぽたりぽたりと 手足の無い幼虫を落としてて...


こわい...


ここは、来ちゃいけないところだ


腰が抜けたようになって 座り込んでしまった。

立てそうにない。

霊になっても、涙は出るんだ...


「殺めた者であろうと... 」


直視 出来ない程の光を発しながら、女の人が言う。


黄泉ここに立ち入るなど... 」


ごめんなさい、本当に ごめんなさい...

望んで入ったわけじゃ... でも、声が出ない。


われ嘲笑わらいに参ったものか... 」


そんなこと...


ぞろりと はだけた裾の足が動いた。

ぽたりぽたりと手足のない虫が落ちる。


あぁ、この人は 本当に

この姿を、大好きな旦那さんに見られるのが いやだったんだ。

嫌われて 逃げられてしまう って、わかってたから。

黒く煤けた格子の間から迸る稲妻が、視界を真っ白にさえぎった。


だけど、自分の死の原因になった子、火の神さまのことも 恨んでなさそうだ。

でも その子も殺されちゃって、この姿を見られて逃げられる という 恥をかかされてしまって...


「... イザナミさま、ごめんなさい」


いつの間にか、怖さより 痛みが勝ってた。

胸がヒリヒリする。

一日に千の人を殺したくなんてないんだろうな...

いつだって勝手で、わかってくれなくて、そのまま 別れてしまったから、それが 哀しくて


稲妻が止んだ。


白い光の闇から 徐々に視界が戻ると、煤けた格子の向こうに、開けた着物を着た伊邪那美命が立っている。

周囲には、白い霧が立ち込めていた。


「何と情けなき... 」


う...  呆れられてるっぽい。

また謝りながら涙を拭く。

立ち込めていた白い霧が、伊邪那美さまの全身に吸い込まれて晴れた。

下ろした長く冥い髪に、白紫の肌。

灰の光彩に黒い... いや、紫色の瞳孔。

でも もう、虫は落ちていない。


「如何にして、侵入はいったものか」


どうやって、だっけ...

そうだ、白い手に...


「伊邪那美様」


隣に、人が現れた。男の人。

片膝をついてるけど、これって、外国でやるやつじゃないのかな... ?

日本だと、平伏しそうだけど...


顎のラインで切り揃えた黒髪が頬にかかってて、横顔は半分しか見えない。鼻は高い。

神御衣カンミソ っていうの? 神さまの衣類に似た白の上下を着てる。肌も同じくらい白い。


格子の向こうから 黙って見下ろしている伊邪那美さまに、男は

「これは、月夜見様のもとにある者で、私が引き入れました」と、悪びれもせずに言った。

この人が、オレを引っ張った手の主なのか...


何故なにゆえ


千引岩ちびきのいわにより 黄泉比良坂よもつひらさかを塞がれた事に、未だ 納得のいかぬ者がおり... 」


男の話を「吾は 望んでおらぬ」と打ち切った 伊邪那美さまは

「何故、と、問うておる」と、男を睨んだ。


「此度の事は、其れ等が現世のはくいざない 為しておる事」


え? そうなの?

でも、千引岩チビキノイワで 道を塞がれてるなら、黄泉から 現世ウツシヨに何かする とか 出来ないんじゃないの?


「現世にて 界のさかいに狂いを生じさせた獣の折りに、黄泉の水が上がり、漏れ出ておりましたので」


ケモノ? 何のことなんだろ?

“界の境に狂い” って、現世と神さまたちの界の間で 何かあったのかな?

よくは分からないけど、それで、“黄泉と現世が 少しだけ繋がってしまった” って感じだったり?


「知っておる」


忌々いまいましい... って風に言った 伊邪那美さまは、男を見下ろしていた灰の眼を、オレの方に動かした。

“何度も言わせるな、なんで引き入れた?” って感じで。


うん、なんで?... って、オレも男の人を見ると

「せっかくですので」って 返してて、オレが固まってしまった。


何を言えばいいんだろう... ?

いや、何も言えっこない。

でも、伊邪那美さまも男も無言だ。

ああぁ... そわそわするよ... どうしたら...


「先程、高天原より使者が参りましたが」


男が唐突に切り出した。

ほっとしたけど、伊邪那美さまが 無言のまま先を促すと

「現世にて暴走しておる同胞は、未だ 取り憑いた霊より離れず、生者の精気を取り、魂を黄泉に導こうとしており... 」って、また分かってること言って逆撫でてるし、伊邪那美さまの殺気で オレの指とか膝が震えてるよ。


「また、この者、“瀬田 理陽” について問われましたので、“知らぬ” と返し、帰しました。... ふ」


なんで?!

笑うのも なんで?!


思わず、男の横顔を凝視し直したら

「返し、帰し... 」って、くっそ しょーもなくない?!


「更に、暴走しておる者等に触発されたのか、他の者も現世に迷う霊に 魄を取り憑かせておりましたが、そちらは祓われ、霊は月へ上っております。

魄は燃やされ、我等が黄泉に落ち入りました。

伊邪那美様が その御姿であられるところをみると、先程 吸収なされたようで」


えっ?! 鬼神みたいな霊が増えそうになってたの?!

阻止されたみたいで良かったけど...


伊邪那美さまは、男に軽く頷くと

「其の様に試みた者等は牢に繫げ」って命令したけど、男は「はい」って返したまま 動かない。

また 無言の間だし...  もう...


「あの」


口を出していいのか迷ったけど、男に

「本当に、どうして オレを引き入れたんですか?」って聞いた。

だって帰りたいし。カイリと 一緒に、月の宮に。


わきまえよ。伊邪那美様の御前ごぜんであるぞ」


あぁー なんか腹立つぅ...


「其れに憑くつもりか?」


はい?

伊邪那美さまが言った “それ” って、オレ?


「えぇ、まぁ」


ん なっ...

なに普通に頷いてんの?!

オレが 鬼神みたいに、黄泉の人こいつに憑かれるのって、大丈夫なの?!


「だって 黄泉うちの奴等は、私か 伊邪那美様でなければ、霊から離せないじゃないですか。

でも霊に憑かないと、黄泉ここから出られませんし。

もう、伊邪那美様のやしろの結界も、張り直されたのですよ」


そうなのか...

だから、ハクを憑かせて コントロール出来る状態にした鬼神に 大島君の精気を取らせて、結界を破らせた上で、黄泉軍の人が憑いたんだ...

ん? “私か伊邪那美様でなければ” って、こいつ、黄泉ここでは結構 力がある ってこと?


「それに、伊邪那美様は 黄泉ここから御出おでになるべきではないでしょう。

事が大きくなり過ぎますし、一日千人では済まなくなります」


いや...  それは、ちょっと...


「まぁ、黄泉うちの奴等は、実際は 伊邪那岐いざなぎ様や月夜見様の結界を狙ったようですが。

黄泉に居ながら、月夜見様より拝借した御力にて 月へ向かう魂を黄泉に導き、伊邪那岐様には、現世に湧く黄泉の水を禊がれぬ様、誤魔化す為に御力を拝借しよう... と 考えておりましたようで」


伊邪那岐さまの力を お借りしたら、現世に湧く黄泉の水... オレが引き込まれた水たまりみたいなやつも、“禊がなくちゃいけない水じゃないし” って 誤魔化せてしまうのかな... ?


「其の名を口にするな」


伊邪那美さまが 吐き捨てた。

たぶん、伊邪那岐さまのことだ。

また胸が ヒリヒリと痛む。


「失礼 致しました」


心が籠もってない。

肩とか ペシッ って やりたくなる。


「あの者の力を借る、など... 」


格子の向こうに短い稲妻が走った。

やばそう... この男のせいで。


黄泉うちの奴等は まだ諦めてなさそうですがね。

どうします?」


ヌケヌケとさぁ...  あぁ、稲妻が...

これ、しょーがないのかも...


「あの、あなたがオレに憑いて、鬼神から 黄泉の人たちを抜けるんなら... 」


「おぉっ! そちらから申し出られるとは!!」


いや、選択肢なかったくない?

ついでに こっちに向けた顔は、左よりの分け目の前髪で 片眼が隠れてるんだけど、ムダに美形でムカつくよ。


「それが済んだら、出てくれますよね?

で、オレも月に... 」


覚悟して、確認すると

「勿論ですよ! ご安心を。それ以外に利用価値なんて ありませんし」だってさぁー。

何 笑ってんの、こいつ。


連蒼れんそう


伊邪那美さまが呼ぶと、男の笑いが治まった。

こいつ、レンソウっていうんだ。

ほうれん草か、お坊さんの名前っぽい。


「丁重に扱え」


男... レンソウに言った 伊邪那美さまは、オレに灰の眼を向けると

「世話を掛ける」と言って、“話は終わった” とばかりに、背中を向けた。


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