39 及川 浬


「呼び声は、聞こえますか?」


足元には 柔らかな草が、風もなく靡いている。

絢音君や虎太郎君から 同情的な視線を送られつつ、幽世は月の宮へ足を踏み入れると、背後で ピシリと閉じた扉が消失した。


今は、柚葉ちゃんが 袴霊に聞いている。

草原や蒼白の星々の河を眼に映していた 袴霊は、ふと、月の宮の奥の花畑の方へ顔を向けると

「あぁ、聞こえます」と、声を震わせた。

みるみると眼が潤んでいる。


「長く探されていたんですね。

あなたの奥さまになられる方も、ずっと待っておられたようですよ。

きましょう」


キオミさん って人のことかな?

袴なのに、散切り髪... ってことは、明治くらいに生きた人なんだろうか?

本当に、長く長く探してたんだな... 相手の呼ぶ声が聞こえなくなってしまうくらいに。


袴霊は、浅黄君や榊さん、俺にまで頭を下げると、柚葉ちゃんに連れられて、花畑の方へと歩いて行った。


立てた薙刀を手に笑顔の 浅黄君の隣で、榊さんが

「ふむ」と頷いて、縁の赤い眼を俺に流した。

やばい...


「あ の...  大神さまは、まだ... ?」


たどたどしく聞いてみると、榊さんは

「ふん。見て分かろうよ。居られぬ故。

高天原より 再び黄泉に送られた使者の帰りと その報を待っておられるのじゃ。

お前が消えて後、儂が高天原へ上り、りひるの事は報じたがのう... 」と、視線を外さずに言った。

こ怖くは ない。ただ、乾いた眼が潤んだだけだ。


「榊」


榊さんを止めてくれた 浅黄君が

袴霊あのおとこに憑いておった、白き霧の如きものは、枯れ井戸に集まった などと聞いたが... 」と、話を変えてくれた。


あれ? でも、原沢から虎太郎君に伝えてもらってて、それが透樹君まで伝わっていても、浅黄君に伝わる暇があったんだろうか?


「高天原より降りた後... 」


榊さんだ。

「ハイ」と返事はしたけど、眼は合わさないでおこう。


「河より、現世に居る お前を探してのう。

浅黄が扉を開く ちぃと前には もう、儂は あの場にったのじゃ」


喉が鳴る。神隠しか...


「こたろう とやらのスマホンの記録を覗き見ておったらば、あの袴の霊が参った。

儂にも触れられぬであったが。

浅黄には... 」


榊さんは、なんと スマホを出して見せてきた。

「うむ」と、浅黄くんも出している。

うわ... この辺は近代的なのか?

なんか 現実に戻されたっていうか...


「お前が、まいか なる者と、スマホンでメッセェジのやり取りをした と、柚葉に聞いてのう。

試してみたものよ。

透樹や朋樹、ルカ等にも、幽世よりは繋がらなんだが、同じ神使であるからか、狐であるからか、浅黄とは通じたのじゃ」


「そうなんですね... 」


そういえば、大神様から

“榊も持っておった” と 聞いた気がする。

でも、神秘性とか 異界って雰囲気とかが 一気に...


肩を落としていると

「“白い霧が発生し、どこぞの枯れ井戸に集まった” とのことを、詳しゅう話すが良い」と言われて

「はい。白い霧が集まって、それを覗くと いろいろな顔が浮き出て... 」と、報告を始める。


ホテルの枯れ井戸の周辺に水が湧いたことや、そこに集まった白い霧が “よんだ” と言っていたこと。

白い霧か水に引かれるように出てきた、袴霊の口の中へ 白い霧が入っていって、袴霊の様子が変わったことを話した。


「ふむ。それで 白き霧に憑かれた袴の霊は、泣いておった あの女子おなごに憑いた と」


「はい。多分、付き合ってる男と別れ話になっていて、“別れたくない” と 強く思ったようなんで、それに引かれたんだと思います」


榊さんと 浅黄君は

「枯れ井戸の “周辺” に 水、とのう... 」

「白い霧は、弱きはくの寄り集まりではあるまいか?

一人として形を保てておらぬ故。

水とあらば... 」と、眉をひそめて話している。


「すみません」と 断って

「なんで、白い霧... 弱い魄 ですか? それが、霊に憑いて、生きている人の精気を取りたがるんですか?」と 聞いてみた。


「現世に残りし魄というものには、様々なものがあるのじゃ。

鬼神となりし悪霊の如きものから、塵に等しき程の 存在の残滓の如きものまで のう」


「常夜のもやのような 念とは、どう違うんですか?

悪霊なら、怨念も持っていますよね?」


これは、自信を持って言える。俺がそうだったから。

魄については 大神様に教えてもらったこともあるけど、どうもハッキリとは分からない。


「怨念等の念は、非常に強きものであろ?

だが魄は、それ程しっかりとした意志 というものでもない。

悪霊となった者には、その霊に、怨念もあれば 魄もある。

しかし、微かな魄のみとして残ったものには、それ程の強い意志は無い。

だが、陰の気である故、人間ひとの側より見ると 悪しきものに集まり、災いを為すものとなる事もあるのじゃ。

また、他の霊に憑く事も特徴にあろうの」


やっぱり、分かるようで分からない。

... けど、怨念は “自分が生み出して外に溢れ出すもの” だった。

そして 自分自身を染めて、身体を重くする。

怨念の靄は、他の霊を引き寄せても、他の霊を染めたり出来ないんだろうし、悪霊は他の霊には憑けない。

それに、生きた人に憑いて 体力や精神を消耗させていっても、精気を自分のものにはしない。


明確な目標があるんだよな。

“こいつが憎い、同じ目に”... とか、“自分だけが なんで? 他のヤツにも分かってもらいたい”... とか。

でも それも、“最初は” ってことで、やり遂げたとしても、また誰かに同じことをして、やがて目標も忘れちまったまま、ただただ繰り返すんだろうけど。復讐じゃ 満たされないから。

うん。俺、祓われてて良かった。


魄なら、霊にも憑くし、生きた人の精気を奪うことも出来る ってところが、念とは違うところ... なのかな?


「悪霊にある魄ならば、力を得るが為に 自ら生者の精気を奪おう とも考えようが、魄のみが精気を得ようと考えるとは、どうも のう...

微かなる残滓の集まりであろうと、霊に憑いたのであらば、その霊と共に災いは為せように」


そうだ。“なんで精気を取りたがるのか” が 疑問で聞いたんだった。


「あの様な弱き魄ならば、祓詞を奏上 出来る者が居れば、あとは 俺や お前で対処も出来ようが、気にかかるは、“地より涌きいでし 水が呼んだ” というところよのう」


水... なら、黄泉の ってことなんだろうか?

鬼神に憑いている魄も、黄泉の水に呼ばれたのか?


浅黄君に「ふむ... 」と返した榊さんは、くるりと回ると、艶やかな花々が咲く紅い着物に金の帯を締めた格好になっていた。

結い上げた髪に六本の華奢なかんざし

赤い唇の下、首に巻く赤く細いラインから 眼を逸した。


「上って参る故」


高天原に、なんだろうな。

「うむ」と頷く 浅黄君と 一緒に、俺も

「はい」と頷く。


「浬」


「はい」


「わかって おろうのう?」


「はい... 」


念を押した 榊さんが右手を肩の位置に上げると、着物の袖口から白い腕が見えて、また眼を逸らす。


白地に金の花が描かれた扉が開かれて、榊さんが入ると消えた。


わかってます。

行きませんよ、リヒル君探しには。

当てもないし。

でも、あの枯れ井戸のところへ行けば 何か...


「浅黄君」


「うむ」


「朋樹君に、何か分かったら報告するように 言われてるんですけど」


うん? という表情になった 浅黄君は

「透樹が伝えておろうよ。朋樹より ルカ等にも伝わっておろうしのう」と、頭の上の黒い三角耳の先を少し動かした。


「いやでも」


「ならぬ」


笑顔だ。手に薙刀が なければ、穏やかでもある。


... 『キミサマ!』


あ 朋樹君の声だ。

大木の向こうから聞こえてきて、緊迫してる。

浅黄君の顔色が変わった。


... 『手水場の周囲に 水が湧き出して、鬼神が!』


凪さん狙いか?

でも、凪さんの願いは...


浅黄君と目を合わせると

月夜見きみ様が戻られるまで、月の宮ここを空けられぬ」と、眉間にシワを寄せた。

さっきまでの穏やかさは微塵もない。


「俺なら、鬼神の腕を掴めます!

精気を持った部分なら」


月夜見きみ様が戻られたら、俺も向かう故」


苦渋の決断 といった表情で 浅黄君が頷くのを見て、蒼白の星の河へと走った。

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