38 及川 浬
何でだ?
さっき、“よばれている” って消えたのに...
袴霊は、眼だけで ギョロギョロと店内を見回すと、窓の外から消え、店内へ移動してきた。
テーブル席に着いている 男女の内の 男の隣に立つと、くうう... と 合掌した手のある背中を丸め、男の前に顔を突き出し、見開いた眼で 男の額を凝視している。
“キオミさん” と 言っていた時と、雰囲気が違う。
『及川くん... 』
『袴の霊って、アレ、なの?』
今田や原沢に聞かれ、頷くと、椅子を立って 袴霊に近づいてみた。
虎太郎君が 透樹君に電話したらしく
『雨宮、今、ビデオ通話 出来るか?』と 聞いている。
袴霊の真隣に立ってみたけど、俺の方は全く見ない。気付いてすら いないようだ。
食い入るように男の額を見つめていた袴霊は、ゆるりと姿勢を戻すと、テーブルの向かいに座っている 女の隣に移動し、また背を丸めて 女の額を見つめだした。
しばらく見つめると、姿勢を戻し、別のテーブルに移動している。
“額を見つめる” という 同じことを繰り返してるけど、何を見てるんだ?
それに、今田達に近づかないのは どうしてなんだろう?
御守りのおかげ なんだろうか?
『浬くん!』
窓際のカウンターの方から、透樹君の声がした。
虎太郎君が、スマホの画面を向けている。
『
そうなのか?
だったら、“よばれている” って言ったのは、“特定の誰かに” じゃなくて、“生者の強い願望に” 呼ばれたってことだったのか?
『捕まえられる?』
えっ?
一度 袴霊に向け直した眼を、虎太郎君のスマホ画面に戻した。
捕まえられる のか?
でも逃げられる訳には いかない。
「やってみます」と 返すと、背中を丸めて 女の額を凝視している 袴霊の手首を掴んでみた。
柔らかい粘土か スライムか... というような感触だ。
拘束しようと 少し力を入れただけだったのに、そのまま くにゃりと握り尽くしてしまって、ギョッとして 手を引いた。
握り潰したと思った手首は、何事もなかったかのように 元通りになっている。
リヒル君や柚葉ちゃんとは 手を繋げるのに、生きている凪さんだって、霊体で 霊である俺らに触れられるのに、何で... ?
もう 一度、今度は肩を掴んでみたけど、結果は同じだった。
手の中から くにゃりと逃げてしまう。
「無理そうです... 」
虎太郎君の手の中にある スマホに向かって言うと、透樹君は
『その調子だと、凪でも無理そうだな。
白い霧、だっけ?
そいつが混ざって、ただの霊では なくなってる。
でも まだ精気を得てないし、神力も借りてない。
から、今なら...
... “
袴霊は 背中を丸めたまま、くいい... と 頭だけを立てて、今まで額を見ていた女の頭越しに 虎太郎君のスマホを見ると、その場から消えてしまった。
『あぁ、ダメか... いやまず、月夜見様に報告だな。
浬君も 無理しないで... 』
いや、店の外だ。
窓の向こう、道路を渡ったところで、立ち止まってスマホを見ている女の人の額を凝視している。
歩道、ビルの側面を背に、通行人の邪魔にならないように立っている女の人は、指先で涙を拭った。
スマホに文字を打ち込んでいるようだ。
... “私、別れたくないよ。
いやなところがあったら、直すから”
やばい... 直感的に思った時、袴霊から白い霧が漏れ出て、女の人の両腕を包んで 染み込んでいく。
こうやって狙って取るのか?
袴霊にも女の人にも触れられない。どうすれば...
女の人は すんすんと鼻を鳴らしながら、スマホの画面を見つめたまま歩き出した。
背後にはピッタリと袴霊が付いていて、後頭部を見つめている。最初の鬼神の時と同じだ。
待ってくれ... 女の人の手にある スマホを浮かせて落とし、壊れないよう 地面に着く前に 一瞬だけ落下を止め、そっと地面に付けた。
『もう... 』
『やだ』と 呟きながら、スマホを拾おうと しゃがんでいる。
女の人の後頭部を見つめ続ける袴霊の肩を もう一度 掴んでみたけど、さっきと変わらない。
でも まだ、女の人の腕の色は変わっていない。
今、何とかしなければ...
『大丈夫ですか?』
聞き覚えのある声がした。
スマホを拾って、しゃがんだまま涙を拭いている 女の人の前に 男が居て、腰を折って聞いている。
この人、
『あ... あの、なんでも... 』
女の人は泣いているせいか、顔を上げられないようだ。
絢音君は
『でも、体調 良くなさそうですよ。
タクシー、止めましょうか?』と 聞きながら、袴霊に目をやった後に 俺を見ると、軽く顎を動かして 袴霊を示している。
これ、“何とかしろよ お前も霊だろ”... ってことなんだろうな... わかってるんだけど、何も出来ないんだよ...
しかし この人、俺の時もだったけど、肝 据わってるっていうか、勇気あるよな...
袴霊の肩を掴んで見せ、首を横に振ると、絢音君も首を横に振りながら、女の人に
『無理しない方がいいですよ。
タクシー 止めますから、ここに居てください』と、ビルを背にする位置に誘導していると
『絢音くん』と、原沢の彼氏... 虎太郎君まで出てきた。
『美希も 麻衣花ちゃんも、その店に居るよ。
どうしたの? その人』と 聞きながら、俺にはスマホの画面を向けた。
画面には、まだ透樹君が映っていて
『柚葉ちゃん、呼べるよね?』と 言われてしまった...
“ぬううぅ” という榊さんの怒気混じりの唸り声が
「柚葉ちゃん」と 呼ぶと、道路の上空が シュッと何かで切り裂かれたように煌めいて、あの扉が現れて開いていく。
中から浅黄君が飛び降りて、袴霊が吹き飛んだように見えた。ほんの 一瞬の間に。
俺だけでなく、見えている様子の 虎太郎君や 絢音君も固まっている。
「
浅黄君は 袴霊を突き飛ばしたのではなく、黒い薙刀で 袴霊の胸を刺し貫いていた。
「透樹、良かろうか?」
袴霊の胸を貫いている薙刀の刃先を 地面に刺して固定したまま 浅黄君が言うと、虎太郎君が向けているスマホ画面の 透樹君が お祓いを始めている。
『... “
すると袴霊が、自分の胸に刺さっている黒い薙刀を目で伝うようにして、浅黄君を見上げた。
『... “
お祓いの詞が続くと、袴霊は見えない雨に濡れていき、
『... “
お祓いの詞が結ばれると、袴霊を濡らした雨水が急速に乾き出した。
全身から白い霧が立ち上っている。
それは、女の人の両腕からも立ち上っていて
「榊」と、浅黄君が呼んだ。
ギクリとすると同時に、立ち上る白い霧に、ゴオ... と 黒い炎が放射された。
俺の、後ろから。
黒い炎に晒された白い霧は、袴霊や女の人の両腕から完全に離れて、炎と 一緒に地面に落ちると、そのまま沈んで消えた。
黒い薙刀を引き抜いた 浅黄君が
「参るが良い」と、袴霊に 手を差し出している。
白い霧が抜けた袴霊は、すっかりと正気になったようで
「私は、キオミさんを... 」と 声を詰まらせたけど
「
『タクシー、止まりましたよ』
絢音君が 女の人に言っていて、袴霊も空中の扉へ誘導されているのを見ていたけど、背後からした
「さて... 」と いう声に、背筋が伸びた。
「高天原から、おかえりに、なったんですね... 」
振り返らずに言うと
「
後頭部を刺している視線が痛い。逃げられない...
「浬... お前も、一度 戻るが良い」
「ハイ... 」
虎太郎君が向けているスマホ画面から、透樹君が
『理陽くんのこと、聞いたよ。
必ず探すし、今のことも 野村たちには俺から説明しとくから』と 言われた。
野村 っていうのは、虎太郎君のことだ。
「お願いします」と 頭を下げると、観念して振り返る。
赤い縁の眼で 俺をひと睨みした 榊さんに、ゾワッと震えると、後について 扉に入った。
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