35 瀬田 理陽


あーあ...  捕まっちゃった。


冷たくも熱くもない 水の中にいる。

ついでに、真っ暗闇。


オレの足を掴んで、水たまりの中に引っ張った 白い手は、頭のてっぺんまで水に浸かっても まだ引っ張り続けてた。

見上げても 現世ウツシヨの光が見えなくなるまで。


やっと離されたけど、動けないでいる。

上へ泳ごうと思っても、腕も足も動かせないんだ。

水に拘束されてるのかな?

それとも、暗闇に?


“カイリ” って 口を動かしても、声は水に殺される。“大神さま” でも。

ここは どこなんだろう?

あぁ、でも。生きてる時も こんな風だったなぁ。

何も見えてなかったし。この暗闇と変わらない。


あの手は、何だったんだろう?

紙みたいに白かった。

鬼神の胸から出てた手と似てたし、黄泉の人の手なのかな?


じゃあ ここは、鬼神のなか ってこと?

神社で、凪さんに取り入れられた時みたいに。

でも、誰もいない気がする。

凪さんの中に居た時は、カイリ以外にも、どこかに誰かが居るのが わかった。

ここには、あの白い手の気配すらない。

消えちゃってる。


このまま ここに居たら、オレは無くなっちゃうんじゃないかな?


何も見えないし 聞こえない。

動けないし、呼吸もしないから 水も動かない。

こんなの もう、居ないのと同じ なんじゃないの?


やだな...


生きてる時より、死んでから思うのも おかしいけど、無くなりたくない。

何も無かったくせに、そう思う。


でも、何も無かったのは、何もしてこなかったからなんだ。

ずっと、いつも、何かを探してる気はしてた。

心の奥深くで だけ。

何かを探したかったのに、何もしなかった。

こう出来たらなぁ... とか、ぼんやり思うくらいで。

日々に流される というよりは、自分から ただ流れていくことを選んで。


あー 暗いなぁ...

あえて目を瞑ってみても、瞼の裏には 残像も何も映らない。

こうして、オレの意識も 水に拡散して薄まり続けていって、無いに等しくなっていきそう。


無くなる のか


はじめて、探してもらえて、見つけてもらえたのになぁ...


光が差す って、ああいうことなんだ。

きっと、オレくらい自堕落で、何もないヤツじゃないと わからないと思うけど、“見つけてくれた” ってことに、胸が震えた。


... 逆に、探してみる のは、どう かな?


もし 心臓があったなら、トクン と跳ねたはず。

オレにとっては、それほどの思いつきだった。

探す と働きかける、たった それだけのことでも。


身体が動かなくても、ただ 真っ暗闇の水の中に居るんじゃなくて、“探す” っていう強い意志を 外側に発現されられたら、事態は変えられるのかもしれない。

そもそもさ、肉体が無いのに、こんな風に拘束されるのは おかしくない?


これまで、必死になったことがなかった。

何に関しても。

自分が “何を探したいのか” って、探求したこともなかった。


もう、探すものは はっきりしてる。

この水から抜け出そう。

そして、月の宮へ戻るんだ。カイリと。

先に逝ってしまったんだから、今度は...


カイリが居るはずの 現世を思い浮かべる。

最初に 一緒に下りた、あの駅前の 広場の時計の下。

地面に敷かれているレンガみたいなタイルと、交差点と。

それから、あの道を歩いたのは いつだったかな?

たしか、公園までの道。道路と狭い歩道の間には、白線しかなくて...


それから、カイリが連れて行ってくれた 月の宮には、足元に揺れる柔らかな草や、河辺の大木。

蒼白の星々の河を思い描く。大きな生命いのちを。

それに架かる赤い欄干の橋。その霞む先も。


草原の奥には、花が咲いてるんだ。

薄く繊細な花片の花、指先ほどの小さな花、両手のひらで包めるか というくらいの 大ぶりの花。

その鮮やかでつややかな色。

好きなんだ、花が。近づいて匂いを嗅ぐと、くしゃみが出ることもあるけど、花を見ると和らぐ。

嬉しくて、花の間を歩いて転んで、花壇を荒らしたこともあった。

きっと 一緒に怒られるのに、笑っている誰かと 目が合って、だから オレも、楽しくて楽しくて。


... あれは、誰?


さっきから、オレのものじゃない記憶が入り込んできてる気がする。


でもその記憶は、胸に 甘い熱のようなものを生じさせる。なつかしさ のような。

あの眼 は...

そうだ... 近づいてる気がする。探してるものに。


あれ?


唐突に、スニーカーの足の裏が 地面についた。


周りも おぼろげに見えてくる。

泥濘が乾くと、まばらに草が生えた 寂しい地面広がっていた。

そして全体的に、青みがかったフィルターを通して見る景色のように見える。


地面から視線を上げると、霞がかった青い景色の中に、一面が障子で閉ざされた 御殿 って感じの建物があった。


お寺?にも見えるけど、とにかく オレから見えるのは、“縁側” みたいだ。

長い廊下に沿うように、閉ざされた障子が連なってる。


何処いずこより... 」


声が響く。

“いずこより” って、“どこから” ってこと... ?


声には、距離感がなかった。

近くも遠くもない。

でも、この障子の中からだ。

障子の向こうに居る誰かが話しかけてきてることは、感覚でわかった。


「参ったものか... 」


オレに、質問してるのかな... ?

ヒトリゴトみたいにも聞こえるけど...


返事をしようかと迷っている内に

「此処の者では なかろうに... 」と、声が言った。

障子の内側に、細い光が弾け走った。

それは次第に 激しく強くなって、障子越しにも稲妻のように見える。

光がほとばしって、消えては また迸ってる。


“身体中から雷光を発して”... って、話してくれた カイリの声を思い出した。

この人、もしかして...


「イザナミノミコト... さん、ですか?」


稲妻を放ち続ける障子の向こうは、沈黙してる。


「おのれ... 」


あ...  なんか、ヤバい... ?


「千五百の産屋より 生まれでた者か... ?」


稲妻が迸ってる。障子の中の 天井も地面も光らせるほど...  怒らせてるっぽい...

う... えーっと...  “千五百の”... 確か、イザナギノミコトさんが建てる って言った産屋やつだった。

どうしてか っていうと...

あっ! そうだ!


「あのっ、死んじゃった千の人間の方 です!」


... また 沈黙。

あぁ、間違えちゃったかな?


稲妻が眩しくて くらくらしてきたし、どうにでもなれ って気にもなってきた。

うん。もう、いっそ...


「独りで、泣いてらっしゃる って、聞いたんですけど、一日に あなたが殺す千の人間が来なくて、寂しいんですか?」


迸った稲妻が、障子 一面を光らせた。


あ ヤバ...


発光した障子は、赤く燃え出した。


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