30 瀬田 理陽


看護師さんの霊に付き添われて、小さい おばあちゃん霊が入った病室には、部屋番号のプレートがなかった。


... っていうか、廊下の突き当りに、“いや こんな狭いスペースに部屋は作れないっしょ?” っていうような不自然なドアがあったんだけど、看護師さんが そのドアを開けると、スミカくんの お母さんが居たような普通の病室になってて。

ここが、おばあちゃんの病室みたい。


看護師さんは

「足は痛くないですか?」って聞きながら、おばあちゃんをベッドに座らせると

「お茶、淹れましょうか?」とか

「あら。お昼寝されるなら、お帽子やカーディガンは脱いだ方が いいですよ」って、かいがいしく お世話をしてる。


「ご主人、きっといらっしゃいますよ。

一緒に待ちますからね」


おばあちゃんが ベッドに横になって瞼を閉じると、看護師さんは おばあちゃんの胸の辺りまで 白いシーツでくるんであるブランケットをかけて、オレとカイリに向き直った。


「あなた達、本当に退院していたようね」


“退院” ?

えー... いやまず、入院したコトないんだけどー...


でも、何か ハッとしたようすの カイリが

「一度 現世ここを離れて、幽世かくり... いや、あの世に行った ってことですか?

だったら、そうです」って頷いてる。


「そういうことです。

入院名簿にも、お名前がありませんでしたから」


両手を腰に宛てた看護師さんも頷いてるけど、どういうことなんだろ?


「病院で亡くなっても 退院されていないと、入院患者として 名簿に名前が記されるのです」


うんうん頷きながら、半端な説明してくれたけど、“退院してない” ってことは、“病院... 現世ウツシヨに留まってしまっている霊” ってことで、そういう患者さん霊は、“入院患者霊” として、この看護師さんに把握されるようになる... ってことなのかな?


あれ? “病院で亡くなっても”?

それなら この看護師さんは、自分も亡くなってる っていう自覚があるのかな?


「僕と 瀬田君は、月夜見命の元から降りているんですけど、あなたも そうなんですか?」


カイリが聞くと、看護師さんは

月読命ツキヨミノミコト?」と 不思議そうな顔になって

「それは、神話の神様のことを言っているのかしら?」と、疑わしげに聞き返してきた。


「違うんですか?」


カイリも不思議そうな顔で聞き返してる。


「いいえ。私は、この病院に勤めていて、気づくと また勤めていただけです」


「“気づくと” って... 死んじゃった覚えはあるんですか?」


つい、口を挟んでしまった。

どういうことだろ?っていう好奇心に負けて。

失礼だったかもしれないけど、なんだか許してくれそうな気もした。

看護師さんには、そういう雰囲気があるから。


「ええ。通勤途中で事故にあってしまって。

家族や友人が悲しむ姿を見るのは辛いものでしたが、自分の お葬式や納骨にも立ち会いました」


納骨まで かぁ...

でも、気づくと “看護師さんとして病院に居た” って言う。


病院しょくばへ戻ったことに気づいた時、最初は、“誰も私が見えないのに、どうしてなのかしら?” と考えたものです。

ですけど、私よりも前に亡くなられていた患者さんを見かけたのです」


看護師さんは、その患者さんに 声をかけてみたんだって。

誰にも気づかれず、心細そうにしていた患者さんは、看護師さんに声をかけられると、灰色だった肌が色づいていって...


あっ、そうだ!

看護師さんも おばあちゃんも、鬼神になった霊のように 灰色じゃない。色がついてる!

カイリは... と 見てみると、気づいてたみたいだ。


地上に残ってしまってる霊って、普通は 灰色なのかな? オレは どうだったんだろう?


カイリも似たようなことを考えてたようで

「その患者さんの霊は、ご自身の死を分かっておられなかったんですか?」って聞いてる。


でも、返ってきたのは

「いいえ。分かっておられましたよ」だった。


「患者さんの お話を聞いてみると、心残りがあられたのです。

“昏睡に陥った時に、自分の病室の棚から 財布を取った看護婦がいる” と... 」


うわぁ...

ずっと安定していたのに、病状が急変した患者さんは、集中治療室に移されて治療を受けた。

でも その患者さんは、昏睡状態になった時、“すでに身体から霊として抜け出してしまっていた” らしい。

それで、空になった病室で盗みを働いた看護師さんを見てしまったみたいだ。


「患者さんの心残りは、財布の中身ではなく、財布自体であったようでした。

大人になられた お子様が、“初任給で買ってくれたものだ” と」


“それがないと旅立てない”... だから、探してた。

でも探している間に、だんだんと記憶がアイマイになってきて、“ここで何をしているんだろう?”... と なってしまってたみたいだった。


「不思議でしたが、私が声をかけた時... その患者さんの名前を お呼びした時に、“何故 病院に居るのか” を 思い出されたようです」


「そうなんですね...

じゃあ、自分の死に気づかない時ばかりでなく、心残りや未練があっても、肌の色は灰色になってしまうんでしょうか?

怨み なんかでも」


カイリは、半分 自分に聞くような言い方をした。

きっとカイリも、灰色になった経験があるんだろうな... 聞くのは やめとくけど。


「どうでしょう?

“自分を見失った時” なのかもしれませんね」


看護師さんが言うと、カイリは “あぁ”... と、納得した顔になった。

死んだことが分からなくて混乱してる時とか、未練や恨みに支配されてる時、それすら分からなくなってしまった時に、色を失うのかな?


だったら、鬼神になった霊は どうして灰色だったんだろう?

ハッキリと、“人の精気を奪う” とか、“神さまの聖域を冒す”っていう目的があったのに...


「その患者さんの お財布は、くだん看護婦ナースを尾けてみたところ、彼女の自宅の棚の中から見つかりました。

魔が差して事に及んだにしろ、捨てることははばられたのでしょうね。遺品ですし」


尾けてみた って、この看護師さん、病院から出れるんだ。

場所に縛られたりしてる訳でもないのに、病院で仕事を続けてる って、なんか すごい。


「持ち出した お財布を、患者さんに お渡しすると、患者さんは “ありがとう” と お財布を胸にいだかれ、“母さんが呼んでいる” と、病院を出て光の中に消えられました。退院されたのです」


退院 って、未練を解決してあげちゃうの?

その未練が、恨みだったりしたら... って 不安になって、それっぽいことを聞いてみたら

「心が落ち着かれるまで、その都度その都度、肩をもんだり 背をさするなどして、お話を聞きますよ」なんだって。

おばあちゃんの靄も落としちゃってたもんね...


「話を聞いてもらうだけでも、落ち着くものでしょう?」


この人、天使か ナイチンゲールなの?


「あなたは、ずっと病院ここで、亡くなったにゅういん患者さんをみてらっしゃるんですか?

ご自身が “退院” されよう とは... ?」


カイリが聞くと、看護師さんは

「いいえ。これが私の仕事ですから」と、当然のように言い切った。


「戴帽式の日、聖なる火に誓ったのですから」


たいぼうしき って、何だろう?

分からないけど、凛として言った この人は、揺るがないんだろうな ってことは分かる。

きっと、灰色になることは ない。

生きてた時から こうだったんだろうと思うと、少し 羨ましかった。

こんな風に なれたら とも。


「だけど、“森川さん” でしたっけ、この方」


カイリは、ベッドで眠っている おばあちゃんに目を向けて

「旦那さんが 着替えを持って来る... って、お見舞いに来てくれることを待っていらっしゃるんですよね?

でも、こうして亡くなられたのなら、もう お見舞いには...

この場合、どうされるんですか?

往くべき場所へ送ろうとは されないんですか?」って聞いてる。

うん... これも オレらの仕事だし、来てくれない人を待つのは つらいと思うし。


「ですから、一緒に待っているのです。

いつの日にか、来られることを」


これ、いつか おばあちゃんの旦那さんが亡くなられて、おばあちゃんを迎えに来る時を... ってことなのかな?


「そうなんですね... 」


カイリは、何も返せなくなってしまった。

オレもだけど。

現世を離れるのは、亡くなってすぐに じゃなくても いいのかもしれない。こんな風になら。


「それで」


看護師さんは、しんみりしちゃってたオレとカイリを、キリッとした目で見上げて

病院ここに、何をしに来たんですか?」って聞いた。

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