29  及川 浬


“外出許可”... ?


俺とリヒル君の前に立ちはだかっているのは、ナース服 っていえばいいのか?

白の上下に紺のカーディガン、白い靴を履いた女の人だ。30代後半くらいかな?


でも、生きてる看護師さん... 患者さんの車椅子を押している人や、他にも忙しそうに歩いてる人は、下がズボンなんだよな... カーディガンも羽織ってないしさ。

このひとはスカート。

引っ詰めた髪の上には 白いナースキャップを載せている。


「はぁ... 」

「外出許可、ですか?」


ナースさんの霊は「そうです」と厳しい眼で、俺やリヒル君を見上げた。


「あ、あの。僕たち、入院してる訳じゃなくて、お見舞いに来たんです」


リヒル君は、相手に合わせる作戦にでた。

タクシーの中での、凪さんとスマホで電話ごっこが思い出される。


「嘘おっしゃい」


ダメだった。

俺もリヒル君も、見た目には健康霊なはずなのに。


「病室は どこ?」


これには俺が「305号室です」と答えると

「そこは、別の方の部屋ですよ」って返ってきた。

あれ? それは分かってるのか?


「うーん... じゃあ、どこでしたっけ?」


リヒル君も軽く面食らいながら返している。


「あら、お部屋が分からなくなったのね。

お名前は? 調べますから」


仕方なく自己紹介をすると

「瀬田さんと 及川さんね。

受付まで 一緒に来てちょうだい」と、廊下を歩いて行って、階段で二階へ上がった。


二階にある入院患者用の受付の中には、二人の事務員さんが座ってる。

お見舞いの人が来ると、名簿に名前を記入してもらって、誰のお見舞いに来たのかも聞き、部屋番号の案内をしているようだ。


ナース霊の人は、事務員さんの後ろにあるパソコン画面を見てて

「えーっと、瀬田さんと 及川さん... 」と、本当に調べてる。見つからないだろうけど。


「カイリ、今の内にさ... 」


リヒル君にシャツの端を引かれて

「あ、うん」と、305号室に移動してしまうことにした。


それで、移動したは いいけど、ノックをするべきかどうかは迷うところだ。

そのまま入るのもどうかと思うけど、ノックで合図をすると、ポルターガイストになってしまうしな...


でもちょうど、病室を回っているらしき看護師さんが来て

『大島さーん』と ドアをノックして開いてくれた。

リヒル君と目を合わせると 頷き合って、この隙に 一緒に お邪魔してしまうことにする。


『どうですか?』


『はい、おかげさまで... 』


白いベッドに座って本を読んでいたらしい 大島君の お母さんは、顔色も良くて、見た目には元気そうで ほっとした。

なんで入院してたのかは分からないけど、“もうすぐ退院する” って聞いてたもんな。


病室も明るく、他に霊が居たりすることもない。

ベッドの隣に据えられた 引き出し付きの小さな棚から、何か 温かくて大きな気配がする。

きっと 御守りだろう。


大島君の お母さんの観察もしでみたけど、どこかが青くなってるとか、そういうこともないし、鬼神が目をつけてる訳でもなさそうだ。


「大丈夫そうだね」


リヒルくんは、大島君の お母さんを見ていて

「あとで、お母さんのことも トモキくんに報告して、スミカくんに伝えてもらおうよ」と微笑った。

うん、そうだな。

前々から思ってたけど、リヒルくんは結構 気を回せる っていうか、人のことを考える子みたいだ。


こういうの、俺も見習った方がいい とは思うんだけど、なかなか気付けないんだよな...

何か考えてたりすると、いろいろ見落としてたりもするし、気付いたところで、結局 迷って何もしなかったり。

いかんなぁ... 身についていないことは 自分が意識して実行しないと、多分 変われることはないんだろうな。


「でもさ、病室ここには何もなくない?

なくて良かったけどさぁ。

病院の中を回ってみる?」


「うん、そうだな」


リヒル君に頷いて 病室を後にすると、まずは このまま 三階を回ってみることにした。

とは言っても、他の病室からも変な気配みたいなものはないし、鬼神っぽい念... っていうか記憶?みたいなものもない。

まぁ、ただ廊下を歩いてるだけで、病室に入ってみている訳じゃないけど。


「あのスペースって、休憩するところ?

患者さん同士で話したりとかもするのかな?」


リヒル君は、自動販売機が置かれているスペースを指していた。

少し広くなっていて、窓際に向けた背もたれのない長椅子が 二つ並んでいる。


「うん、そういう場所かもな」


そこからは、窓からは 病院の裏手にある山が見えた。

山 といっても、丘みたいなもんかな。低い。

中腹までは団地みたいな建物も見えるし、上の方まで家も建ってるし。


「今日は、よく晴れてますねぇ」


おっ...

いつの間にか、長椅子の端に、小柄のおばあさんが座ってた。

肌や衣類の色は せて薄いけど、灰色ではない。

そういや さっきのナースの霊は、しっかり色づいてたな...


おばあさんは、パジャマっぽい服の上に ワイン色のカーディガンを羽織って、何故かニット帽も被っている。

ニット帽もワイン色だ。白髪に似合っていて、てっぺんに付いている丸いぽんぽんが かわいい。

霊なんだよな... ここで亡くなられたんだろうか?


「はい。いい天気ですね」


リヒルくんが笑顔で答えた。

おばあさんの眼は、窓の外に向いたままだ。

そうだな... 建物や家々の間にある緑はきれいだ。

春には桜、秋には紅葉も見えるかもしれない。


「だけどねぇ、まだ おじいさんが来てないのよ。

私の お着替えを頼んでるんですけどねぇ」


おじいさんが、お見舞いに来てくれるのを待ってるのかな?

自分の死を忘れてしまって、ここに居続けてるんだろうか?

... ってことは、“待ち続けてる” ってことなのか?

ニット帽のてっぺんの ぽんぽんを見て、少し悲しくなった。


「カイリ... この人、月の宮には... ?」


あぁ、そうなんだよな...

このままにしておくのは良くない。

あの廃病院に居た 事務員らしき奴がぎった。

いつか、自分の死だけじゃなく、自分が誰だったのかも忘れてしまう。


リヒル君に頷いて、おばあさんに

「あの」と、月の宮へ行くことを説明しようとしていると

「あらっ、森川さん。ここに いらっしゃったの」と、ナース霊が登場した。やばい。


「えぇ。私の お部屋からは、駐車場しか見えないですから。

今日は、よく晴れてるでしょう?」


「そうね、気持ちが良いですね」


ナース霊は、おばあさんのことを “森川さん” と呼んだ。

おばあさんの名前なんだろうけど、面識があったんだろうか?

同時期に この病院に居たってことになるのかな?

ナース霊が現役の時に、おばあさんが入院してた?


いや、ナース霊に会った時、俺らも名前を聞かれた。

だから、おばあさんも 霊になってから聞かれたのかもしれない。

生前、面識があったとは限らないよな。


「少し、中庭を お散歩します?

車椅子を用意しましょうか?」


ナース霊が聞くと、おばあさんは

「でも、その間に おじいさんが来たら... 」と 心配そうだ。


「それとも... 」


おばあさんの口の中に 墨色の靄がうごめいた。

肌や衣類の色が くすんでいっているように見える。


「今日も、来てくれない の かしらねぇ... 」


口から、重たい煙のような 墨色の靄が落ちていく。常夜の靄だ。


「森川さん」と 呼んで、手を取ろうとした時に

「少し遅れてらっしゃるだけじゃないんですか?」と、ナース霊が おばあさんの背中に手を宛てて、小さな子供をあやすように、とん、とん... と 優しくたたきだした。


は... ? あれ... ?


おばあさんの口からは あの色が消え、床に落ちた靄は、そのまま沈んでいってしまった。

肌や衣類の色のくすみも薄れていっている。

まさか、ナース霊は 月の宮から降りているのか?

俺らみたいに。


「さぁ、お部屋に戻って待ちましょうか?」


落ち着いた様子の おばあさんが、ゆっくりとベンチから立ち上がった。

ナース霊が その背に手を宛てたまま、二人が歩いて行く。


「カイリ... 今、あの人さぁ... 」と、俺に眼を向けている リヒル君に頷くと、おばあさんと歩く ナース霊の後を尾けてみることにした。

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