24 及川 浬


大神様が、俺と リヒル君の間を通り抜けた時に ハッとした。

大神様に続いて、鳥居へ向かい 参道を歩く。


さっきのバカでかいほこは、何だったんだ... ?

いつも穏やかな 大神様が、鳥居の上の何かを落とした。

多分、鬼神だったんだろうけど、気配も感じられなかったし、まさか もう戻って来るとも思ってなかった。

何をしに来たんだ?

大神様の結界を冒すためなのか?

でも何より、大神様が あんなことをするなんて...


すぐ前には、神御衣の襟と 幾重にもなった翡翠の連なる上に揺れる黒髪。

ひとつに纏められた 緩やかなクセのある黒髪を、見つめながら歩く。

見間違いじゃなかったら、大神様が投げた矛は、鬼神らしきヤツの胸を刺し貫いた。


鳥居を越えると、大神様の背の向こうには、鬼神が 宙に留められているように浮いていた。

長い階段の中頃に。

はだけた薄紅の襦袢の間の あばらの浮いた灰色の胸には、三ツ又の矛が突き立っていた。やっぱりか...

相変わらず背の後ろで合掌しているらしい 青い腕だけがたくましい。


でも、なんで あんなに逞しいんだ?

大島くんの身体は 細くはなかったけど、あんなに鍛えてる風でもなかったのに。


「ツ キ... ヨミ... 」


何人もの重ね声で 鬼神が 大神様を呼んだ。

怒りを滲ませた声だ。

なのに、薄ら笑いを浮かべている。

くらい男の顔。若くはないけど、老人という程でもない。


「伊耶那美を裏切ったか?」


大神様が問うと、鬼神は 重ね声で

「何を...  黄泉の 為よ...

伊耶那美様は まだ、解って おられぬ だけの事... 」と 笑った。

シイ シイ と息の音が洩れている。

呼吸なんか していないはずなのに。


矛が突き立つ鬼神の胸からは、ぼごぼごと何かが煮え立つ様な音がする。

額に並ぶ 三つのこぶの様なものも、浮き上がっては沈み、波立たせているままだ。


あるじを思うての事であろうと、暴走は 忠誠にあらず。

何をくわだてておるものかは知らぬが、伊耶那美は お前達などに 何も望んではおらぬ。

黄泉へ帰るが良い」


大神様が、鬼神に右の手のひらを向けると、宙に浮く鬼神の足下あしもと、石の階段から、くらい靄が伸び上がってきた。常夜とこよるの靄だ...


他の霊から抜いて常夜へ送っているもの。

俺自身が あれを吐き出して、身に纏わせた感覚が甦る。

肉体を失った身体を、重たく 重たくしたことも。


「お、大神さま...

これは、何を してるんですか... ?」


リヒル君が聞いて、俺の背中のシャツを握った。


「鬼神が、あのイヤなモヤに、染まっていってるように 見えるんですけど... 」


リヒル君が言うように、石段から伸び上がってきている墨色の靄が、鬼神の細い灰色の足に纏わり、その色に染め出している。


「霊の存在であれば 染まる。悪根である魄であってもの。

黄泉の者等は知らぬが」


鬼神になった霊だけを、墨色の靄で拘束しようとしているんだろうか?

俺も身に纏わせた靄。あれに染まれば、きっと飲み込まれてしまう。

でも、黄泉の人たちだけを遺して、そのまま鬼神になった霊を 月に連れて行ければ...


膝の骨が浮いている細い足の すねまでを墨色に染められながら、鬼神が また大神様を

「ツキ ヨミ... 」と 呼んでいる。


「お前が... この地より遠きに離れた月などが、死人しびとを扱うなど...

死の国は 伊耶那美様の ものである...

地底の泉こそが、魂の行き着く先... 」


「しかし、俺が月に昇った事により、これは決められた事だ。

死者の霊魂は、この星を周り見守り、昼夜問わず生者が見上げる月へ向かうもの と」


大神様が返すと、薄ら笑いを浮かべていた 鬼神の表情かおが強張った。


「だが、すべての魂が 月の宮に辿り着いておるものではない。

配下これ等に迎えに行かせては おるが、それでも数が合わぬ」


薄紅の襦袢の中、片手で掴めそうな細い腿まで 墨色に染め上がった 鬼神は

まことなる 死の国は... 」と、重ね声で繰り返している。

“数が合わない” って、この人たちが、黄泉に 霊を引っ張り込んでいるのか... ?


「悪念や未練である魄も、此所このところは現世に幾らも見掛けぬ様であるが。

心当たりなどは あろうか?

心当たりがあらば、当然 伊耶那美は知っておる事であろうな?」


開けた襦袢の 灰色の肌、浮いた肋骨の下に 墨色の闇が覗いた時、そのあばらの胸から無数の白い花が吹き出したように見えた。

でも それは、花じゃない。白い手のひらだ。


手のひらは その下に続く腕を伸ばして、鬼神の胸に突き立っている 三ツ又の矛を掴んでいる。

がっしりとした太い柄を。肋の胸を貫いている 三本の 一本 一本を。


「伊耶那美様は... 」


白い手に掴まれている矛は、ぐ... ぐ... と 肋の胸から引き出されていく。

手の甲の 一つ 一つには、黒く見える程に青黒い血管が浮き出した。


「哀れ ただ怨まれるのみであるばかりか...

現世の生者等に... ご自身が生み出された自然せかいを 与えられたまま...  独り... 」


あの矛を抜かせてしまったら...

でも 階段に足を下ろすと

「浬、理陽」と 大神様に止められてしまった。

鬼神の肋の胸からは 矛が引き出されていて、腹までが墨色に染まっている。

ただ、黒く青い血管を浮かせている白い手は 染まらないままだ。


「ただ... ただ泣いて おられるのだ... 」


重ね声が叫ぶと、リヒル君が 問い返すように

「泣いて... ?」と呟いた。

肋の胸から引き抜かれた矛から、黒く青い血管の白い手が離れると、矛は 三ツ又の先を鬼神に向けたまま、空中に静止している。


「生者等は、誰に その身を生かされておる?

伊耶那美様が生み出された自然せかいを、我が物顔で享受する愚昧ぐまいなる者共など、死の先は黄泉の水底みなそこに沈むが相応ふさわしい... 」


無数の白い手が あばらの胸に沈んでいくと、背で合掌をしていた逞しく青い両腕が離れ、両手が前に回った。

そして、三ツ又の矛の 両脇の矛先を掴むと、自分の腹部に突き立てた。なにを... ?


呆気にとられている内に、鬼神の腹まで染めていた靄が 下へ沈んでいき、宙吊りの足先から墨色の靄が 重たい煙のように階段へ降りていく。

みそぎなど、出来ようはずが... 」と、大神様が階段に足を掛けた。

身に染み込んだ靄を、大神様の矛を使って追い出しているのか... ?


「ツキヨミ...  勘違いをするな...

お前達 “三貴子みはしらのうずのみこ側のみより、黄泉に干渉 出来る” となど... 」


ミハシラノウズノミコ?... 三貴子さんきしのことか?

だったら、大神様と須佐之男命、天照大神のことだ。


われ等は、伊耶那美様を御迎えする以前まえより、黄泉に在った者... 」


墨色の靄が抜け切り、鬼神の足の先までの肌が 元の灰色に戻ると、逞しく青い腕が 腹から矛を抜いた。

青い手が矛の先から離れ、その腕が背に回ると、肋の胸から また吹き出した無数の白い手が矛を掴み、大神様に投げ返して...

口の形が、“あ” という形になった 一瞬の間、頭に浮かんだことは、“どうしよう?!” だけだった。

俺らに「下がれ!」と命じた 大神様が、また 一歩 階段を降りて、鬼神に向けて開いた手のひらの腕を伸ばしている。

投げ返された矛は、大神様の手のひらの ほんの先で停止した。


「黄泉の者には、人間ひと悪念けがれ程度のものも落せぬ とでも... ?」


重なり声には、嘲笑いが含まれていた。

無数の白い手が 鬼神の肋の胸に沈み込んでいく。

宙吊りの足下あしもとの階段にこごった墨色の靄を残して、鬼神が消えた。

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