21 瀬田 理陽


「鬼神となった元の霊は、精気を欲しておる。

その者の生命を摘む気は無かろうが、鬼神と共にある 黄泉の者等が問題であるのだ。

人を黄泉に引き込む気なのであろう。

“腕の精気を失う前に、他の人間より精気を得れば良い” といった考えであろうの」


いやだ。納得いかない。

この人は騙されてしまっただけで、お母さんや お父さんのことを思ってただけなのに。


「延命しても、ですか?

食事が取れなくても、病院で点滴を打ってもらうとか... 」


カイリも聞いてる。

でも、それにも 大神さまは

「難しかろうの。身体機能が緩やかに停止してゆく」って言うんだ。


そんな... 生命まで なんて約束じゃなかったはず。

つい「彼が 鬼神に渡したのは、腕だけなのに」って零してしまった。

ジェイドくんは、“悪魔だって約束を守る” って言ってたのに。


あるじの聖域をおかされた上で、冒した側の人霊やはくの誘いに乗る者など、それだけの者よ。

“我等が結んだ約定ではない” などと 反古にしようの。

現世であろうと 幽世であろうと、どこにでも 一部 そうした者はあろう」


「どうしたら、助けられますか?」


オレのあとに、カイリに向けられていた 大神さまの視線が、また戻った。


「その男の生命が尽きるまでに、鬼神より 取り除いた黄泉の者等を 伊耶那美へ返し、鬼神を幽世へ連れて参る事が成せれば、男の腕は 橋より返せようが... 」


橋って、月の宮の星の河に架かってる 赤い欄干の湾曲した橋か...

生きてる人が迷い込んじゃった時に、あの橋を渡って ウツシヨに帰る って聞いた。


鬼神からは、どうやって黄泉の人たちを取り除けば いいんだろう?


そう聞こうとした時に、カイリが

「この人を、幽世で保護することは出来ないんですか?」とか聞いてて、耳を疑った。

カクリヨ... 月で保護 って、オレたちみたいに 死んじゃうんじゃないの?


「迷い込む人もいるのなら、不可能ではない ってことですよね?」


あぁ、そういうコトか...

ルカくんが、元々 大きい眼を見開いてる。

何か知ってるのかな?


カイリが

「この人を大神様の月の宮で保護することが出来れば、黄泉の人たちは この人の魂には手が出せないんじゃないんですか?

身体は 今みたいに、テウルギア?で 護ってもらえば、身体に何かされることもないと思うんです」って続けた。


「確かに、可能ではあるが... 」


大神さまは、少し苦い顔になって

「生者の魂が 長く幽世にあらば、結局は 現世に戻れぬ様になるのだ」っていう。

迷い込んだ人を見つけた場合は なるだけ早く橋を渡らせないと、魂が ウツシヨにある身体に戻れなくなって、そのまま 幽世の住人になってしまうみたいだ。


『あのー』


ルカくんだ。

でも、大神さまに話しかけてるんじゃなくて、蝙蝠の羽の手の骨を広げて 座り込んだままでいる男の人に 声をかけてる。

『他のカミサマみたいなヒトと、契約する気ないすか?』とか...


妙な申し出に驚いている男の人に

『腕は キシンサマと契約しちゃってるから、そのカミサマには 腕を取り戻すコトは出来ねーかもしれないけど、“キシンサマの印” なんか付いてたら、この先も ずっと不安じゃないすか?』って。


『オレ、ちょっと なコト考えちゃってー。

キシンサマが 他の部位まで狙い出すかも とか、その手を何かに利用されるかも とか』


ルカくんが続けた言葉に 男の人は青くなったけど、それでも 良い神さまだと思ってた鬼神さまに こんな目に合わされたばかりだから、“他の神さまとの契約” には 戸惑ってる。


でも、大神さまを覗ってみると

「あり得ようの」って頷いた。


『腕は、貴紳様と契約したことになるんですか?』って聞いた男の人に、ルカくんは

『うん。キシンサマは約束 破ったけど』って答えて

『けど、同じ人間のオレを通して契約するカミサマなら、まだ安心じゃないっすか?

少なくとも これ以上、キシンサマに騙されたり使われたりすることは なくなるし』って言ってる。


うーん... どうなんだろう?

決めるのは この男の人なんだけど、“オレを通して” って、ルカくんは神さまを呼べる ってこと?

嘘ついてるようにも見えないけど、なんか軽くて不安になるんだよね...

でも 大神さまは黙ってるし、オレはカイリと目を合わせただけだった。


『あなた、鬼神様に取り憑かれる状態だってことは わかるよね?』


凪さんは、変形した男の人の腕に眼を向けて言った。

やめてやってほしい。見ててもキツイ。


『鬼神様が 約束を守らない神様だってことは分かったよね?

ルカは、もし あなたが生命いのちまで取られちゃったら... って心配してんの。

どうする?』


これじゃあ、選択の余地なんか なくない?

ジェイドくんも黙ってる。

どうするんだろう?


『... お願い します』


男の人は 迷いながら答えたけど、半ば自棄ヤケって風にも見えた。

“どうせ こんな腕だ” って感じで。


『じゃあ、今から そのカミサマみたいな人、呼ぶけどー... 』


拝殿を振り返った ルカくんは、大神さまに頷かれると、ジェイドくんに

『ハティ、喚ぶし』って言った。


なんで ジェイドくんに断ったんだろう? って思ってたら、ジェイドくんが

『カルネシエル、カスピエル、アメナディエル、デモリエル。

ハーゲンティを通す』って言ってて

あぁ、天空精霊?っていうのに許可を得るためなんだって分かったんだけど、男の人が

『“ハーゲンティ”?』って、目を見開いてる。

オレは初めて聞く名前なんだけど、有名な神さまなのかな?


でも、ルカくんが『ハティー。ちょっと いー?』って喚ぶと、すぐに背中が ざわりとした。

もう、いる。

オレやカイリの後ろ... 鳥居の内側に。


月夜見命つきよみのみこと... 」


大神さまの名前を呼んだ声は、黒いベルベットを思わせるような 艶のある深い声だった。


身体が固まったように動けない。

これ、怖いんだ...

金縛りって こんな風なのかもしれない。オレ、霊なのに...


静まり返ってる神社に、革靴の底が コンクリートを踏む音だけがして、その人が オレの隣を通り過ぎた。

肌が、真っ赤だ。

長い前髪がかかっていて、眼は見えない... というか、顔を向けて見る勇気がなかった。

黒いスーツ姿。背は、190 くらいあるかも。


「ハーゲンティ」


あ...  大神さまが、拝殿から出てきてる...


「久しくあるな」

世界樹ユグドラシルでは世話になった」


挨拶し合って 握手してるし、大神さまと知り合いの神さまなんだ。

少し ほっとしたけど、まだ動けない。

でも、あの背中から 眼も離せない。


四方位テウルギアが降りているが」

「うむ。悪霊と契約した者がおり... 」


大神さまが、あの鬼神と 伊耶那美命いざなみのみこと黄泉軍ヨモツイクサが使われてる ってことを説明したら、ハーゲンティって神さまは

「ほう... 」って答えたんだけど... なんで、楽しそうな声だったんだろう?


「伊耶那美命の許可が下りねば、黄泉の配下に対し、地界こちら側の介入は為せんが... 」


「難しゅうあろうの。

“黄泉軍は返せ” との事であるが、俺等ですら 黄泉には立ち入れぬ。

して、異国の神ともなると... 」


あれ? “鬼神から腕を取り返して、黄泉軍を引っ張り出せばいいんだ” って思ってたけど、なんか、簡単じゃないのかも...


「腕を取られたのは、この男か」


ハーゲンティって人の赤い肌の顔が、コンクリートの上に 蝙蝠骨の両腕を広げている男の人に向いた。

何かの気配は察知してるのか 青い顔で震えてるけど、男の人には、まだ ハーゲンティって人が見えてないみたいだ。


「ゴーストもいるようだが... 」


わっ! こっち向いた!

長く濃い睫毛の下の眼は、神社の灯りの下で見ても 漆黒の色をしてる...  怖い...


「これ等は、月から降ろしておる 俺の使いだ」


大神さまが オレらの名前も紹介してくれたんだけど、固まったままで会釈も出来ない。

カイリは、「初めまして」って言ってるのに...


でも、ハーゲンティって神さまは

「浬。理陽」って、オレらを見て、唇の両端を上げてる。微笑わらったん だよね... ?


「凪」


赤い手を差し出した ハーゲンティさんは、握手に応える凪さんの手を そっと握ると

「心配 要らん」って なにかを気づかってる。

分からないけど、凪さんは 心から信頼してるみたいに頷いてて、眼を反らしてしまった。

あんな表情、初めて見たから。幼く見えた。


きっと、この鬼神のことじゃなくて、凪さんに何かあるんだ...

とても聞けそうにないから、さっきの凪さんは見なかったことにしよう。


「ルカ、ジェイド」


ルカくんたちには、普通 っていうか、適当に見える。


「あの者にも 我の姿が見えるよう、目眩めくらましを解く。茶番を」


ルカくんたちが頷いたけど、オレには ハーゲンティさんが変わったようには見えなかった。

でも、男の人には見えるようになったんだと思う。

座ったまま、自分の膝から眼を離せずにいるんだけど、震えが大きくなってるから。

うん、怖いよね...

でも、“茶番” って、なんだろう?


『ハティ。

この人の生命が取られないよーに、契約 結んで欲しいんだけどー』


ルカくんが、いきなり普通に話しだした。

『寿命の期限ナシで』って。


「しかし、契約はすでに、他の神と交わしているようだが... 」


『そう。彼は神ではない者に騙されたんだ。

見過ごす訳にはいかない。僕は神父だ』


ジェイドくんが口を挟んでる。キリッとした口調で。

『天も そう望まれる』って、急に それっぽくなって、男の人の背中に手を添えてる。


『君が渋るのなら、大天使ミカエルを召喚し... 』


「良かろう」


つまらなそうに返した ハーゲンティさんは

「名前を」と、男の人に聞いた。


ジェイドくんに手を添えられて、多少は緊張が抜けたように見えるけど、男の人は 顔を上げられてないし、答えられてない。


「答えられぬであろうと、血液により名を書けば契約は成る。

これ以上、偽りの神に 神の気息精気を取られぬであれば良かろう。

では、契約書にサインを」


ハーゲンティさんは、開いた手のひらの上に 皮で作ってある紙を出して掴むと、男の人に差し出した。

それを受け取ったのは、ルカくんで

『そーだ。考えてみたらさぁ、この人、こんな手にされちゃってるから サインとか出来ねーじゃん』って言ってる。

じゃあ、どうするんだろう?


『じゃ、代わりにオレが契約するからさぁ』


えっ? ルカくんが... ?

男の眼も 膝から離れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る