19 及川 浬


『アアァーーーッ!!

嫌だッ!! 嫌だーーーッ!!』


急に...


『大丈夫です、落ち着いてください』


ジェイド君が 男の両肩を押さえてて、凪さんも 近づこうとしてるけど、あの手の骨で傷つけられる恐れがある。


男の人の動きを止めないと...

生きてる人の身体に試したことはないけど、あの両手を 地面に固定 出来れば...


「凪さん、離れて! ジェイドくんも!」


リヒル君が、男の 分かれた長い指の付け根を掴んだ。えっ? 触れるのか?


俺も 反対側に移動して、男の手首に当たる部分を掴んでみた。

掴める... そうか、精気が無いからだ。

この人についている腕は、死んでしまっているような状態になってるんだ。

嫌な言い方をすれば、物体になっている。

生きてる方の腕は、鬼神が つけて持っているから。


『何で?! 何でなんだよッ?!

何で こんな... 』


『鬼神様 って、覚えてる?』


凪さんが言うと、拝殿や参道の灯りの下でも充血していることが分かる男の眼が動いた。


『あなたが呼んでたんでしょ?

“お母さんの病気を治してくれて、あなたを指導者にしてくれる” って。

その腕は “その印だ” って、話してくれたけど』


『あぁ、そうだ...  きしん様... 』


一瞬 ぼんやりとした男は、急に大人しくなって、凪さんを見つめながら 呟いた。

ジェイドくんが

『鬼神様のことは、どうやって知ったんですか?』と 聞いている。


『きしん様、きしん様は、たっとい神様で... 』


鬼神じゃなくて、貴神きしん ってことか?

その 貴神の中の “何とか様” とか、誰かを指名して呼んだ訳じゃなく、とにかく 願いを叶えてくれそうな、神様を呼んでたのか?

コックリさんって、狐や犬や狸の動物霊や、人間でも 迷い霊が来る って聞いたことがあるけど、それと変わらないんだろうな。

来たのが あの霊なんだし。


『夢に 現れてくださったんだ...

母さんの見舞いから帰った日だった』


“夢に”?

いや、待てよ... あの板で呼び出したのが 最初じゃなかったのか?


『夢の中で、声だけがした。

“母親の病を取り除いてあげましょう” って。

本当は、夢じゃなかったかもしれない。

その声で 目が覚めたから... 』


それから、声の主が気になって仕方なくなり、声の主と話すことが出来るように、板を自作したようだ。

『コックリさんのように 紙に書いても、貴神様は おいでにならなかったから』と。


『交信する為の板を作り上げて、病院の近くにある 辻地蔵を取り除かなければ ならなかった』


『辻地蔵さんって、道祖神でもあるんじゃないの?』


凪さんが 眉をしかめた。

辻地蔵っていうのは、道端に祭られてる お地蔵さんで、お地蔵さん... 地蔵菩薩は、仏教の世界でいう、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道 の “六道” 全部に現れて、“衆生しゅじょう”... 生命あるもの全て を 救ってくれる菩薩様らしい。


道端にも祭られている場合は、道祖神としての役割も担ってくれているみたいで、道祖神というのは、街の中心や街と街、村と村なんかの境界に祭られてて、悪いものが入って来ないように避けてくれたり、事故が起こらないように だとか、往来の時も見守ってくれているようだ。

知らなかったし、気にしたこともなかった...

これからは 感謝して、手を合わせるくらいしようかな。


『あれは、地蔵に見えても 悪鬼の像だったんだ。

貴神様の邪魔をしてたんだ』


凪さんも ジェイドくんも無言だ。

この人は、あの霊に そう吹き込まれたんだろうけど、どうして信じたんだろう?


けど、何か思い込んじまってる時は、他の可能性なんか見えてないし、見えそうになってても否定しちまうんだよな... 身を持って知ってる。


『実際に、あの像を取り外して 川に捨てたら、母さんの病気は治ったんだ!

あれは、悪鬼の... 』


『わかった、そうだったんだね』


男の頭の方に しゃがんでいる ジェイドくんが、男を宥めながら

『貴神様に、悪鬼の像を捨てるように言われたの?』と 聞いている。


『そうだよ。そうしたら、母さんの病気が... 』


『うん、良かったよね。

その後は どうして、指導者になろう と考えたの?

それは、貴神様に会う前から考えていたことだった?』


『もちろん... 』


男の口が止まった。表情も失っている。


『だって、そうするために... 』


最初から、あの霊に目をつけられてたんじゃないのか?

入院している お母さんを心配する気持ちに付け込まれて、お母さんの病気が快方へ向かった時に、近づいて来た... って風に思える。

辻に祭られた お地蔵さんを移動させたのは、あの霊が動ける範囲を拡げる為だった... とかさ。


あの霊は この人に、あれだけ ぴったりくっついてたんだ。

毎日 囁き続ける事も出来る。

“選ばれた人間だ” とか、“お前の母親が救われたように たくさんの人間を救え” みたいなことも。

次は 神様の聖域をおかさせて、神様の力をかすめ取ると同時に、この人の精気を奪う為に。


『そうじゃ なかったら、おかしいじゃないか... 』


男は、オレと リヒル君が握っている 自分の手首の先に視線を移した。

細い枯れ枝のように長く長く伸びている 奇妙な両手の五指に。


泣いてる。


『どうして急に、嫌だ と思ったの?

その腕や手のこと』


『さっき、目が、覚めたように、なって...

ずっと 起きていたはずなのに...

そうだ、固い場所に寝てる... って 気付いて

起き上がろうとしたら、手が... 』


掠れだした男の声は、震えもしていて 辿々たどたどしくなってきている。痛々しい。

“目が覚めたようになった” のなら、あの霊の影響力が薄れてきているのだろう。


それでも 凪さんは

『でも その手は、指導者の印なんでしょ?』と 聞いた。


『きし... 貴神様は、“飛べるようにする” って、約束してくれたんだ。仙人様みたいに。

“そうすれば、誰もが あなたの言葉を信じる” って。俺の言葉を、お告げみたいに。

だから、そのために 腕を渡したのに... 』


さめざめと泣いている男に、ジェイドくんが

『君にとっては つらいことかもしれないけど、君に近づいた貴神様は、い神様ではなかったのかもしれない』と、男の額に手を載せた。

男は、何か言おうと 口を開いたけど、結局 何も言えていなかった。


『悪魔なら、願いを叶える代償に 魂を取るんだ。

それでも ちゃんと契約を交わすし、約束は守るんだよ』


『... でも、母さんの病気は』


『そうだね。本当のところは わからない。

だけど、君との約束は守っていない。

“指導者になろう” と思う前は、どう考えてた?』


ジェイドくんの手のひらに 瞼も覆われている男は

『母さんの、病気が治って... 家に戻れたら、俺も 実家に戻って、実家から仕事に...

父さんも もう、そんなに、若くないから... 』と、しゃくり上げて 頭や胸を揺らした。

あいつ... 鬼神に腹が立つ。利用しやがって...


『もう、それも出来ない。

こんな手じゃ、何も...  いっそ... 』


「ダメだよ」


リヒル君が 男の手首を離して

「ダメだ」と、男の胴体を跨いで しゃがみ込むと、男の両肩を掴んだ。


ジェイドくんが 額から手を離すと、両肩を引き寄せて 男の上半身を起こさせた。

俺も慌てて、男の手首から 手を離した。

リヒル君は、起こした男の両脇から腕を回して抱きしめている。


「お母さんも お父さんも、あなたに生きてほしいよ。絶対に。だから、ダメだよ」


急に リヒル君に 身を起こされた男は、何が起こったのかが分からず、呆然としていた。


「あなたは優しかっただけだよ。何も悪くない」


リヒル君のことは見えていないし、声も聞こえていない。

でも、伝わってくるんだ。俺には その感覚が わかる。誰かが 想ってくれてる... って。


「悪くないって、オレが ちゃんと知ってる」


あの廃病院で サマエルさんから渡されたメスを手にした時、感情に飲み込まれなかったのは、それに救われたからだった。

あの時は 神様の導きのように感じたけど、今田たちに救われた。

人が人を想うって、そういうことなんだろう。


「ね? ダメだからね」


ジェイドくんが 男の背に手のひらを添えて

『これからのことは、僕らと 一緒に考えよう』と言うと、男は長い長い枝のような手を参道に広げたまま 微かに頷いて、静かに泣いた。

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