第1話 リンゴジュース
身体にのしかかってくる重さ。なんとかなるが腕一つを動かすだけでダルい。疑似重力を普段の何倍にすればこんなキツい空気になるんだ?俺が下敷きにしているスポーツ選手かそれより上等な程しっかりとした身体がクッションとなったからよかったものの、なかったら確実に身体を痛めていただろう。そう思うと少しだけ感謝の念も湧いてきたが、それも一瞬の事。そもそもの話コイツが俺を引っ掛けて駈け出さなければよかったんだ。
重苦しいと言っても過言ではない空気の中、その背中の上からなんとか退いてはハタと気が付く。ここが資料室でも船の中のどこでもないことに。
船の中はその不具合がすぐわかるようにデザインが凡そ統一されている。それに比べここはと言えば、板で出来た床、白いような黄ばんでいるような壁、窓から見える外の景色はカラフルで目が痛くって。何より化石程古いバージョンのデバイス!あのデバイスが動くなら政府に売って一財産作れるのにな。何かの実験にまきこまれたか夢でも見ているのかと疑う景色。
開いた口を閉じるのを忘れていた自分を現実へと引き戻したのは倒れていた男が自分の肩を掴んだその時であった。
「君ッ、わあ、ごめん!驚いてしまって!」
「・・・全くだ!俺はただ資料室に用があったのにこんな・・・、いや、それよりここは?見たところ船内のどこでもないように見えるけれど。暇じゃないから早く帰りたいんだよね。」
俺が言い終わるか否か、どうも一般人にしてはゴツイ相手はわなわなと震え始めたかと思えば若干細いその垂れ目を輝かせてその場で踊り始めてしまった。とんだおいてけぼりである。一人はしゃいでいるのを放って俺は改めて部屋を見渡す。
驚くほど教科書等で見た気がする大昔の部屋。何か違和感があるとすれば大昔の部屋には似つかわしくないゲートが一つあることか。パチパチと火花をたてて一目で故障中とわかるそれがあるから、俺は安心したのだ。ここは船のどこかでなくてもゲートで行き来できる圏内ではあるのだろう、と。
「なあ、何か喜んでいるところ悪いけど、このゲート壊れてるっぽいんだよね。代わりのゲート用意してくんない?」
途端に石化したように踊りを止めたコイツは油をさし忘れて久しい労働用の機械たちのようにぎこちない動きで俺を、正確にはゲートを見た。滝のような汗を突然かきはじめたかと思えば無言で故障しているだろうその箇所へかじりつき、項垂れる。
馬鹿だってわかるほど落ち込み始めた相手にどうすればいいかわからずとりあえず背中を擦ってやれば、ゆるゆるとこちらを見上げるその男に俺は優しく優しく問いかけてやったのだ。
「船に、返して、くれるよな?」
「ご、ごめんね、その、・・・アレは僕が組み立てたわけじゃなくてさ。知り合いが置き場がないから譲ってくれた代物で・・・、使えて興奮しちゃったけど、はじめ僕もあれが本物だと思っていなくてさ。君には悪いけれど修理出来たり・・・、しないよね。それなら知り合いが来て修理するまで・・・、ここに居てもらわないといけないのだけど・・・。」
全身で申し訳ないと語る男には申し訳ないが絵を描く器用さはあっても機械を弄る器用さはなく・・・。親に船の修理・安定の為の技術部へ就職させられる話?嗚呼、あれは優秀なやつは開発技術部に飛ばされたりもするけれど基本見回りで、例え不具合を見つけたとしても修理機械たちを派遣要請するのが主な仕事内容だから手先の器用さはあまり関係ないんだよな。
つまり、機械類を前に役立たずな俺たちができることと言えば。ただ一つ。
「俺、まきこまれただけで迷惑こうむってんだから何もしねえから。」
「もちろんだよ。・・・それで、その、親御さんにご連絡とか出来るかな?未成年を保護するにあたってご挨拶しなきゃな~・・・って。」
・・・どうやら喝をいれなければならないらしい。口端が引きつるのがわかる。身長、体重、顔。どれをとってもその年代の平均を体現している俺を子ども扱いするとはやらかしておいてとんでもなく太いやつである。俺はたまらず頭を抱えた。確かに親元から離れて暮らしていないが、一定の金銭を稼がねば独身者専用の部屋だって分けてもらえない船で、一発だって当たったことのないのだからそれは仕方ない。夢追い人とはそういうものなのだ。いや、世間には働きながら夢を追う人だって居るには居るけれど、いわゆる俺はまだ本気を出していないだけなのでセーフ。
頭を抱え込んだ俺に対して気遣うような表情は浮かべるもののそいつはやはりマイペースなのかペーストを出してきた。いや、俺が普段食べているペーストよりも随分さらさらしている。それにほのかにだが色がある。自宅にある食卓よりずっと高さのない机に置いて、二つ用意していたコップになみなみと注ぎ、その片方をやつは自分の口元へ運んだ。ごくりと喉を通ったのを観察しているこちらの視線に漸く気が付いたか柔く微笑んだ相手はコップを満たす液体をすすめてくる。
「連絡先は思い出せたかな?これ、リンゴジュース。苦手じゃなければどうぞ。」
「・・・、俺は随分前に成人した大人だ。だから子ども扱いはするな。」
恐々とコップを受け取り至近距離で見つめる。てっきりペーストだと思っていた液体は嗅いだことのない香りを放っている。香り自体は弱いものだし臭くはない、けれど何かの薬品かもしれない。警戒するのに越したことないから飲まなくていいとはわかっていても、コップの中の液体から目が離せない。
そう、俺は成人済の大の大人。たとえ親元から巣立っておらず子供部屋おじさんだろうが、人の好意を無下にするような人間性ではない!
覚悟をキメて半透明で黄みの強いベージュをペロリと舌先ですくった。
────────途端、俺の身体に電流が走った。
初めての感覚すぎてなんと表現すればいいかわからない。わからない、けれど。暑い惑星付近を遠った時に吹く人口風のようにさわやかで、まろやかで。鼻から抜ける香りの心地いいこと。これが味・・・?
すぐさま口いっぱいに頬張っては飲み込んで。先ほど舐めた時よりもずっと濃い味を口の中で少し転がしてから胃に落とす。飲み込んだ後も残る不思議な感覚。ずっと残っているわけじゃないから、もっと欲しくなる。
夢中になって飲んでいるうちに空になってしまったコップを唖然として見ていると、何故だか微笑ましそうに見つめる目の前のやつが俺の持っているコップにまた注ぎ始めた。
「甘くて美味しいよね。このジュース大好きなんだ。」
「これが甘い、おいしい、じゅーす・・・、」
「そうそう。このジュースはね、100%果汁で不自然な甘さがないから好きなんだ。甘さだけじゃなくてほのかに酸味もあるだろう?やっぱりリンゴはこうじゃないとね!」
甘い、おいしい。自然と口から流れ出た言葉を反芻する。
船の中で今まで摂取していたペーストはどうあがいても無味無臭だから食べやすい食べにくいなんてなかった。というよりこの感覚を知らなかったからこそ、そんなことを思いもしなかった。ただ、どうしても一度知ってしまえば、戻れる気がしない。いや、いや!まだ満腹感はペーストの軍配が上がるだろう!
先ほどは一気に飲んでしまったから、チビチビと少しずつ味わって飲みながら相手の顔を見る。細く垂れ目で、顎が太くて、イエローベースより濃いけどブラックベースより薄い肌。こげ茶色でふわふわとした髪。自然と“甘い”やら“おいしい”やらが出てきたこと。もしかしたら。もしかしたら!ここは大昔なのかもしれない。だって知らない感覚をコイツは知っていた!それに古代語の授業で読んだ作品には願ったら叶う物語もあったろう!
「・・・なあ、ここは西暦何年だ?」
「今は・・・、ええと、20XX年だね。」
嗚呼、神よ!またとない機会を与えてくれますとは今回ばかりは信じます!身体全体にのしかかる重苦しさも忘れてガッツポーズをしてしまった俺に、目の前の現地人は微笑ましそうな顔を崩さず右手を差し出してきた。一瞬意図が分からなかったものの、俺も腐っても成人済なので握手ということを察する。
俺の時代では握手なんて何らかの契約成立場面でしかしないのだけれど。きっと現地人は「保護」を契約と意識していると態度で確り示して、信用及び信頼してもらう為に差し出した握手なんだろう。なんて生真面目なんだ!幸先はいいかもしれない。
「僕の名前は
「俺は
しかし、よぼよぼネームつけられてんのは可哀そうだな。
20XX年YY月DD日 HH:MM
良かった。前腕の身分証が壊れていない上、無駄に多機能で。当然というべきかネットワークが繋がっていないから使えない機能も山ほどあるけど。ゲームと調べ物は全然ダメだった。時計は現地の電波を受信しているのか現地の西暦や時間が表示される。今後は使える機能も確かめていかないとな。
向こうに戻った時に忘れないようにする為今日から日記をつける。向こうに戻った暁には一発当ててやるからな!
・リンゴジュース
ペーストより粘度の低いさらさらとした飲み物。黄みっぽいベージュ、半透明。甘い。酸味というものもあるらしい。俺にはわからなかった。もしかしたら鼻からスッ・・・って抜ける香りのことなのかも。現地人の話からするとリンゴジュースは複数あるようだ。今回のものは100%果汁というらしい。飲み込んだ後、少しの間口の中にひろがる余韻がいい。これが味。
少量では満腹にならないが、だからといって上限なく飲んでいるとお腹がちゃぷちゃぷし始める上、猛烈な尿意に襲われる。排泄定刻でもないのに。もしかしたらリンゴジュースには尿意を刺激する何かがあるのかもしれない。リンゴジュースは貴重なものではないらしいので引き続き飲ませるように約束させたので調査する!
疑問点→リンゴとジュース、どちらがリンゴジュースの略称なのか。
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