第17話 砂漠編

 人の体ってどうしてこう都合が良いのだろうか。ちょっと水を飲んだだけで動けるようになるなんて。


「アズ、口を開けて」


 レージーラに言われて少しだけ口を開ける。簡単ではない。それだけのことなのに必死だ。水を口にしたからって思ったように動けるようになったわけではない。自分の体を完全には制御できていない。


「ゆっくりと食べて」


 口の中に何かが差し込まれた。多分、スプーンだろう。その上に乗っているのは、柔らかい液体。と言ってもスープなどではない。もっとドロドロしていて甘い。口の中に菜の花の匂いと甘さが広がっていくような気がする。


 これは、間違いない。ハチミツだ。菜の花の蜜を集めたハチの蜜。たった一口含んだだけで、疲労が抜けていく。この強力な効果はレアアイテム、魔獣殺人蜂キラービーのロイヤルゼリーかもしれない。


 喉を流れていく液体がやたらと温かく感じる。まるで、体を少しずつ回復させていくようにも思える。


「まだ、起きるのは早いよ」

「いや、だいじょう、ぶ、だ」

「ほら、呂律が回ってない」


 レージーラに止められるが、俺は無理やり上半身を起こす。そうすることで、自分自身を取り戻したかったのだ。


「もう一口だけ食べて」

「これ、は?」

「ウチの特製ロイヤルゼリー。回復薬みたいなものね。と言っても、回復だけじゃなくってお腹も満たすことが出来る優れものなんだけど」

「助かったよ。ありがとう」


 まだ完全じゃない。それでも何とか動けそうだ。俺が立ち上がろうとすると、レージーラに肩を掴まれる。


「もう少し休んだ方がいいよ」

「いや、行ける。いつ風が吹き始めるかわからないから一歩でも進んだ方が良い」

「駄目だって。また倒れられたら私が迷惑するんだから」


 月明かりの逆光になって、レージーラの表情は良くわからない。けど、何となく想像できる。きっと不機嫌そうに頬を膨らませているんだ。私の言うことを聞きなさいって。


 反論をしたいところだけど、今は言い争いをする気力がない。それに、今回ばかりはレージーラの言葉を優先させるしか無い。何しろ命の恩人であるのだから。


「それにしても、まだ水があったんだ」

「に、荷物の中にちょ、ちょっとね」

「荷物か……整理するか。不要なものがあれば捨てて少しでも軽くした方が良さそうだし」


 俺はリュックの中身をチェックする。もしかして、水の残りがあったりするんじゃないか。とか、飲水のみみずに使える洗濯水杖クリーンウォッシュが残ってないかと。


「あれ? 売り物にしようと思っていた水浄化杖クリアウォーターが無い。おかしいな。最低でも五本はあったはずなんだけど。知らない?」


 自分の荷物を確認していたレージーラに声をかけるが、反応はない。聞こえているはずなんだけどと思いつつ近寄ってみる。


「あれ? これ、俺のクリアウォーターじゃないか?」

「そ、そ、そ、そんなんじゃ、ないわよ。何よ突然」

「ちょっと、見せて」


 俺はレージーラの荷物にあったクリアウォーターを一本取って魔力の流れの痕跡を確認する。よく知っている魔力の充填チャージに間違いない。自分が作ったものだと確信する。


「あ、あのね、アズ。ロイヤルゼリーは高級品なの。だから、その代金として杖はいただいたけど、も、問題ないよね」


 全く問題はない。命に比べればクリアウォーターなんて百本でも二百本でもあげれるレベルの代物。だけど、どうしてクリアウォーターをそんなに欲しがるのかが不思議だった。

喫緊に必要な杖であるというのか……。


「そろそろ移動を開始しない? 凄いよねアズって。ロイヤルゼリーって言っても二口くらいでそんなに元気になるなんて」

「体力だけが取り柄みたいなところがあるからな」


 俺はそう言いながら立ち上がる。本調子には程遠いが、動けなくはない。満月が丁度真上にいる。少し寒いくらいで歩いた方が良い気温だ。砂漠の真ん中には魔獣も殆どいないみたいだし、心配なのは水くらいだ。


「残りの水はどの程度ある?」


 俺はレージーラにく。無駄遣いは出来ないが、水を飲む配分を決めるためにも必要な情報だ。


「ちょっと残っている程度かな。今は」

「そうか……」

「でも、本当に喉が乾いて厳しかったらあるよ」

「どっちなんだよ。あるの? 無いの?」

「水のことは私に任せてよ!」


 俺は問い詰めるような口調で言った訳ではない。単にはっきりとして欲しかっただけ。それなのに、レージーラは怒ったような返答をする。別にレージーラの水を俺が管理したいってつもりではないし、奪うつもりもないのにどうしてそんなに怒るのか。理解が出来ない。そもそもカツカツだったはずの水をどうして持っていたのか。


「なんで水を隠し持っていたの?」

「隠し持ってなんかないよ。用意しただけ!」

「用意した?」


 俺が聞き返すと、レージーラは固まる。勢いよく反論していたのが嘘のようだ。


「細かいことは良いじゃない。それより、一歩でも進んだ方が良いんじゃない?」

「いやいや、水のことの方が重要だろ。用意したってことは、雨でも集めた。ってのは無いから違う。魔獣が持っていた。ってのも当然違う。その他の可能性としては……」


 俺はふと、さっき見かけた水浄化杖クリアウォーターのことを思い出す。水分があれば、飲水に変えることが出来る杖だ。魔獣の体液を取り出して水にすることくらいは出来るかもしれない。だが、魔獣を倒した形跡など全く無い。その他に水分を入手する方法としては……。


「レージーラ、一本で良いけどクリアウォーター返してもらえないかな」

「ど、どうしてよ」

「なんか、使えるような気がして、さ」

「だ、だ、だ、駄目に決まってるじゃない」

「何で?」

「そんなこと私に言わせる気?」

「どういうことだ? さっぱり理解できんが」

「しつこいよアズ。そのことは忘れて出発しよ」


 レージーラは慌てて荷物を纏めて立ち上がる。と、一本の杖がポロリと落ちる。


「あ、落としたよ」

「大丈夫。使い終わったやつだから」

「クリアウォーター?」

「そう」

「……もしかしたら、俺も使えるかもしれない」

「な、何を?」

「クリアウォーター」

「は、はぁ? 止めてよアズ。自分のだったら耐えられるけど、人のだったら飲めるはず無いじゃない」

「それって……どういう意味?」


 俺が訊くとレージーラは再び固まる。満月の灯りに照らされた彼女の表情は、口を少しだけ開いて呆然としているように見えた。


「まさか、その、水の作り方って……」

「ええ、ええ、どうしても知りたいってなら教えるわよ。私がさっき飲ませた水は、私が……」

「ちょっと待って。それ以上はいいよ。何となくわかったから。で、それを俺に飲ませたの?」

「しょうがないじゃない。水を飲まなきゃ死んじゃうかもしれなかったじゃんアズ。倒れてそのまま意識失っちゃったし。ロイヤルゼリーって思ったけど、ロイヤルゼリーは栄養分は凄いけど、水分は無いから代用にはならないし。どうしても水を用意しなきゃいけないってわかってたから、頑張って無理矢理に用意したのに、どうしてそんな言われ方をしなきゃいけないのよ。私、悪くないよね?」


 本当のことを言えば、俺ははじめから予想をしていた。こんな砂漠で水を用意できる方法なんて限られている。だとすれば、そんな方法でしか水分を用意することが出来ないってことを。


「ああ、感謝してるよ。レージーラは命の恩人だよ。水がなければそのまま砂漠の砂になっていたかもしれないからさ」

「良かった分かってくれて。作った水はまだ少しは残っているし、必要になったら用意するから。安心して次からも飲めるね」

「おぅ、にょーーーーーおおおおお」


 俺が放った魔獣さえ逃げ出すほどの絶叫は、満月の下でサラサラと砂音を立てる砂漠の中で響き渡っていた。

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