第5話
翌朝、日が昇る時間に起きて家の中の整理を始める。と言っても、荷物なんかそれほど無い。自分のものと言えば、服と食器、そして多少の食料程度。本は少しだけあるが、金になりそうな本は既に売却済み。
と考えると、もうこのままで良いんじゃないか。大きめのリュックに詰め込めるだけ詰め込んだら片付けおしまい。で良いんじゃないか。って思えてくる。何か、段々と面倒な気がしてきて剣を持って庭に出る。苛立ちを抑えるために日課の素振りを行い心の中を空っぽにしていく。
汗をかいて家の中に戻ると、今まで悩んでいたことが嘘のように軽くなる。ここで食事をするのも後、数回かと考えながらテーブルに座り硬いパンを齧っていたところでふとあることを思い出した。
俺は父親の使っていた寝室に入る。ここ数年来、空気の入れ替えをする程度でしか入っていなかった部屋だ。少しばかりカビ臭さを感じて小さく咳き込む。慌てて木製の窓を開き朝の新鮮な空気を取り込む。
部屋の中が明るくなったところで、本棚を開けた。残されている本は数冊。幾つかは有名な魔法書で俺にとって必要のないものだが、売れるような代物でもない。今回の俺の目当てはその本ではない。俺が取りに来たのは捨ててもいいくらいの本の中に挟まれていた一冊だ。
その本には開かないように紙で封印がされている。その紙には、『アズが旅立つ日に開く書』と古代語で書かれている。多分、俺以外の人間が開こうとした場合、中の文字が消えるとか燃えてしまうとかそんな魔法が使われているのだろう。そして、俺も旅立つ日以外に開けばどうなるか確信が持てなかったので開いたことはなかった。
だが、多分、今日ならば問題ないだろう。旅立ちの日ってわけじゃないが、この家から出ていかなければいけない日であることは合っているわけだから。俺は意を決して封印を破り表紙を
表紙の次に二つ折りにした紙が何枚か挟まっている。まず、これを読めってことだ。
よおアズ。お前がこれを読んでいるってことは、俺が死んでるってことだな。それならそれで良かった。お前は俺より長生きをしたってことだからな。俺は十分生きて、十分楽しんだ。人生に満足したってことだ。だから、もし、長生きができなかったとしても後悔はしていないことだろう。なにせ、俺の人生は魔族戦争が全てだったからな。あの戦争は本当に酷くて辛くて厳しかった。だが、その厳しさの中にも俺の人生のすべてが詰まっていたわけだ。それで、戦争が終わったら俺の中はポッカリと穴が空いてしまったんだな。生きているために生きる。それだけになってしまったわけだ。
だが、本当はそれでは駄目だった。アズ、お前がいたからな。でも、俺はお前のことをどう扱って良いのかわからなかった。適当な女を見つけてみたもののアズに興味を持つ女はいなかった。それも仕方がない。表面上は優しく接していても自分の子供じゃなかったんだからな。心の壁が出来る。母親役を勝手に押し付けられたって誰だって困るってもんだ。
だから、俺は女たちに文句を言えなかった。いや、違う。俺があいつらに文句を言う資格なんて何処にもない。そもそもの話、俺がお前のことをどう扱えば良かったのかわからなかったんだからな。もし、母親がいたならばもっと俺とお前の間の距離を上手く調整できただろうが、それは叶わぬ望みだった。
母親はここにはいないのだから。
分かっていたのだから、俺は父親としてのやるべきことをやるべきだった。けど、俺も父親からそんなことは習ったことがない。何をやるべきか分からなかったんだ。そんなわけで、俺はお前に自分のスキルだけは伝えたつもりだ。勿論、お前が俺を越えられるかどうかなんかわからないし、今のお前が俺の伝えたことを続けているかも知らないが、少なくとも俺にとって出来ることはそれだけだったんだ。
別に許してくれとか、父親面するつもりとかそんなのではない。俺は俺の出来ることをやったそれだけだ。文句を言われても仕方がないかもしれないが、俺がそれまで以上のことを出来るわけでもない。もし、俺に対して何か不満があるならば、その分、お前に子供ができたときに色々とやってやれ。理想の父親になってやれ。
俺は理想の父親ってのはわからなかったし、そうなるつもりもあまりなかった。俺の出来る範囲で俺であれば良い。そう思っていたからな。ただ、一つだけ、俺は自分を押し殺して隠していたことがある。
それは、お前の母親のことだ。唐突と思われるかもしれないが、俺はお前に母親のことを黙っていたことを後悔している。今すぐにでも話すべきかもしれないと思っている。だが、お前はまだ幼い。もう少し大きくなってから話せば良い。そう思ってずっと話をするのを引き伸ばしている。
もし、お前が望み、必要であるならば、母親に会って来ることができる。そして、伝える事も出来る。お前の母親に自分は息子だと。
さて、この話を聞いてお前は怒っているかもしれない。何故、ずっと母親のことを黙っていたのかと。
そうだ。お前の母親は生きている。こんな世の中だから絶対に。とは言わないが、多分、生きているだろう。少なくとも誰かに話を聞くことは出来よう。何故ならばお前の母親は公女であるからな。
ローディス王国。そこの公女だ。お前も知っているだろう。船で行けば一週間で到着する南の国だ。定期便に乗れれば行くのはそれほど大変ではない。知っていると思うが一応注意はしておく。陸路は止めておけ。砂漠は広いし魔獣も棲んでいる。近づかなければ恐れる必要はない存在だ。俺らも一度は奴らの殲滅も計画してみたが、まあ割に合わん。魔獣の数は多くはないが、夜の間、ずっと気を張ってないといけないからな。
最後に、お前の身分を証明するものをこの日記に挟んである。指輪だ。お前は母親似だから必要はないだろうが、向こうで何かあったときに役立つだろう。あと、この日記は俺の若き日の出来事が書いてある。暇なときに読めば時間潰しにはなるかもしれない。ちっとは役に立つことも書いてあるかもしれない。恥ずかしいから捨てようかとも思ったが、俺が死んでいるなら恥ずかしがる必要もないからな。
良い冒険を アズへ
俺は本の間に挟まっていた指輪を見つけた。銀色の男性用のサイズの指輪だ。外側に文字が刻まれている。『永遠の誓いを』と。
これって、結婚指輪かじゃないか。父親の結婚指輪を身につけるのは少し躊躇われる。けれども、指に嵌めておくのが一番無くさないだろう。右手だと剣を握るときに気になったので、左手の中指に嵌めておくことにする。
違和感がある。それでも、ローディス王国に行き、母親に会うまでの辛抱だ。別にずっと嵌めておく必要があるわけではない。結婚指輪だからな。
ローディス王国に行くことなんて今まで考えたこともなかった。このまま、ずっとギルドで働く未来しか無いように思っていた。でも、そんな考えは今朝までのことだ。
ギルドで奴隷のようにこき使われて働き続けているより、冒険をする方が何倍も楽しいに違いない。もし、冒険が惨めなものに終わったならば、その後で奴隷のように働けばいいだけのことだ。
今日は忙しくなりそうだ。通行書を手に入れる必要がある。それ以外に冒険に持っていくべきものは何だろうか。俺は父親が書いた日記を読み始める。全部を読むのは無理だろうが、冒険に役立つ物のリストくらいは書いてあっても悪くない。
俺はどんどん気持ちが高ぶってくるのを感じながら、家の中の荷物をかき集めていた。
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