第2話

 ギルドマスター代行が俺のことをちらりと見た。


「ちょっと来なさい」


 俺はギルドマスター代行とレージーラに連れられてギルドマスター室に入る。背後の扉を閉めると、ギルドマスター代行は机に腰を掛ける。


「婚約破棄をすることにしたから」


 唐突で一方的な宣言だった。それでいて俺はちっとも驚きもしなかった。と言うのもこうなることを予期していたのだ。俺とレージーラを結びつけようとしていたのは、老齢の賢者のみ。レージーラの母親であるギルドマスター代行は雑用係の俺に娘をあげるわけにはいかない。どこかの貴族に嫁がせる。って考えていたのが見え見えだったから。


 それに、俺としても望むところだった。幼なじみであるレージーラは一つ年下のくせに昔っから俺に対して高圧的でわがままに振る舞っていた。俺以外の人がいる場所では猫をかぶったように大人しい態度であるのに。多少は可愛くとも性格に難がある。そんな人間と結婚などしたくない。


 それに、本人の気持ちを無視して婚約させるというのがおかしい。レージーラだって単なる勇者の息子ってだけの俺なんかに興味を持っているわけでもないだろう。本人の望むままに結婚させてやれば良いんだ。と言っても、ギルドマスター代行を見ているとちょっとそれも難しそうに思えるが。


「わかりました」

「あら、文句の一つでも出てくると思っていたのにやけに素直なのね」


 ギルドマスター代行は少しだけ体を後ろにのけぞらせながら目を細めつつ言う。明らかに小馬鹿にしたような態度だが、今の俺の扱いなんてこんなものだから仕方がない。


「ママ、聞いてない!」


 突如、レージーラが話に割り込んできて、俺とギルドマスター代行は彼女の方を向く。


「あら、そんなに嬉しかった?」

「だって、あまりに唐突じゃない? それに、こいつには借金があったんじゃなかった?」

「そうね。借金があるような男とあなたを結婚させるわけにいかないじゃない。あなたにはもっと立派な人と結婚してもらって幸せになってもらわないといけないのだから。例えばホーテーさんみたいな」

「げぇ」


 レージーラは流石にホーテーとの結婚は嫌だと見えたが、ギルドマスター代行は肯定的な反応と受け取ったように感じられた。いや、そういうことにして結婚させたいだけかもしれない。ホーテーが金とそこそこの血筋の持ち主であるのは間違いないから。まあ、どちらでも良い。二人のことに興味はない。こんな詰まらない話はさっさと終わらせて部屋に戻り休みたい。とは言え交渉事。少しでも有利な条件を引き出しておきたい。


「婚約は破棄していただくことで構いませんが、今までの借金は無しでよろしいですよね?」

「何を言ってるの?」

「では承諾することはできません」


 本当は俺に借金など無い。父親の借金の上、財産なんか放棄しているから本来ならば関係がないはず。それに父親に金を貸した老賢者もそのことは何も言ってこない。元々、あげる気で渡していたものだろう。だから俺の借金は、このギルドマスター代行が主張しているだけ。老賢者が借金なんかない。って言ってくれれば良いのだが、息子の嫁は魔族を相手にするより面倒なようだ。


「ふん。構わないわ。手切れ金と思ってチャラにしてあげるわ」


 ギルドマスター代行の顔には書いてある。借金を無くしたとしても、今まで通り、ギルドで安月給でこき使ってやると。


 今の俺は、ギルドの管理している家を借りている身。と言っても、元々は父親の家だから、ずっと住み続けているだけのことなんだが。


 愛着がないと言えば嘘になるが、家にこだわりはない。最悪出ていっても構わない。だが、それは別の意味で難しい。と言うのも、自分の他の場所で一人暮らしをするためにもお金がいるが、手取りは5万ギルゼニしかない。食費とか身の回りのものを購入しているだけで消える。借金の返済という名目で給料から差っ引かれているが、それが無くなるとなれば別の名目を考えるということだ。契約は他のギルドメンバーとの兼ね合いから、あからさまに給料を減らすのは難しいが、借りている家の部屋の料金を上げることは容易だ。その他の共用で使用しているものの料金も。


 転職すれば良い。そう友人は言うがそれもこの都市では難しい。俺は体を使った仕事しかできないのに対し、ギルドからその方面に圧力をかけられる。何処も雇ってはくれないし、雇ってくれたとしても足元を見られた契約内容しか提示してくれない。


 見つからないように小銭を溜め込むしか無い。独り立ちするためには。あと、五年。いや、十年くらいコツコツと貯めていけばなんとかなる計算だ。


「そうそう。あの家、貸し出すことにしたから。どうせ、一人には大きすぎるじゃない。掃除も面倒だろうし。だから、一人で暮らしやすい他のアパートを貸してあげることにしたから格安で」


 ギルドマスター代行の言葉にウンザリする。文句の言葉が出そうになるが言葉を選ぶ。


「でも、家にすみ続けて良いことは、父が亡くなるときに賢者様から許可を頂いておりますが」

「もう、五年も前の話じゃない。その時とは状況も変わるわよ。どうしてもって言うなら、給料からもう少し引かせてもらうしか無いけど、構わないの?」


 痛いところをついてくる。ホント、このギルドマスター代行は嫌がらせの天才に違いない。これ以上、給料を減らされたら本当に生活費しか残らない。独立するのも夢のまた夢ってことになってしまう。


「わかりました。給料を減らされるのは厳しいので」

「三日以内に片付けてくれる?」

「三日ですか?」


 無理に決まっているだろ。そんな言葉が喉から出かかる。


「いらない荷物は置いておいて構わないから。どうせ、家具とか運び出せないだろうし」


 ふん。家具付きで貸出か。家具って言っても箪笥たんすとか、そんなのしかないから構わないけどな。どうせ、人の使っていた食器なんか使いたくないだろうし。それに、金目になりそうなものは既に持っていかれている。銀の食器とか。昔はあったんだけどな。


「わかりました。で、俺は何処へ引っ越せば良いんですか?」

「暫くは事務所に住んでもらうことで良いわね」


 防犯代わりにも役に立つし、深夜まで働かせるつもりか。


「大丈夫なの? 一人で引っ越しできるの? どうしてもって言うなら手伝ってあげようか?」

「何言ってるのレージーラ。どうせ、大した荷物なんか無いから大丈夫よ。そうよねアズ」


 ああ、面倒な親子だ。邪魔をされるくらいなら、一人で整理をした方が良い。どうせ、一人で持てる程度の荷物しか無い。


「はい。大丈夫です」

「なに、痩せ我慢してるのよ。手伝って欲しいんでしょ。お願いしたら良いじゃん」

「いえ、心配ご無用です」


 相変わらず、レージーラは押し付けがましい。自分はドラゴンの尻尾より役に立つとでも思っているのだろうか。


「でも……」

「止めなさいレージーラ。アズがこう言ってるんだから。一人でやらせればいいのよ」


 レージーラに言い聞かせるギルドマスター代行は、わかっているだろうな。と言わんばかりの睨みつけるような視線を向けてきた。ホント、止めて欲しい。こっちはちっとも手伝って欲しいなんて思っていないのだから。


「ところで、部屋はここを使わせていただけるのですか?」

「はぁ? 何を言ってるの。ここはギルドマスターの部屋って分かってないの? あんたが使うのは隣の掃除用具を置いてある小部屋。そこ」


 いい加減にしろよ。その小部屋って俺が横になったらそれで終わりくらいのスペースしか無いじゃないか。どうせ、掃除道具もそこに置きっぱなしになるんだろ。寝れないじゃないか。


 文句を言いたくなるが、言っても埒が明かないことはわかっている。どうせ、夜に誰もいなくなれば事務所で寝てもバレやしない。もっとも、それくらいは想定しているのかもしれない。どうせ、ギルドマスターの部屋に鍵をかけて俺を入れなくすれば他はどう使われても構わないと考えているんだろう。


 だったら好き勝手にやらせてもらおう。俺は目の前の二人のことを見ないようにしながら次の行動を考えていた。


 

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