三顧の礼

  「人は互いの助けがあれば、ずっと簡単に必要なものを準備できる。」

                         スピノザ。         


 竹林の坂を小柄な若侍が悪態をつきながら歩いている。

 日差しを竹林が遮ってくれて心地よく、竹林というのも心が落ち着く、ただこの坂には閉口している。

 若侍の名を戸山多聞とやまたもんという。

 身なりは良く育ちの良さがうかがえる。

 この坂を登るのは三度目である。

 それが苛ついている一番の理由である。父のめいにてこの竹林に覆われた坂の上にある<玄洋堂>という蘭学道場に赴いているのだが、道場主の佐伯龍斎は一向に会ってくれない。

 一度目は散歩で留守。

 二度目は少雨を押して出かけたにもかかわらず午睡ひるねだとか。

 体よく門前払いである。


「当道場は一子相伝、多分に秘密も多ぅございまする。どなたさまもお入れすることはかないませぬ」


 竹を組み合わせた小さな門の向こうにさえ小柄な老婆が頑張り入れてもらえなかった。

 戸山多聞は家老の息子である。しかも、嫡男だ。行く末は藩政を取り仕切ることになるかもしれぬのにその自分が門前払いを食らうとは。

 多聞は母と相談すると父には内緒ですよ、と付け加えられ駿河屋の羊羹まで持たされた。

 交渉の上、金子きんすはしっかり渡した。

 羊羹であの老婆を篭絡できるとは思えない。

 両脇の竹林を登ったところに<玄洋堂>はある。

 今回もどうにかこの坂を登りきった。

 小さな門扉が多聞を待っている。

 蘭学道場というが弟子や下男、下女の類がいる風ではない。

 

「頼もう。先日お伺いをした家老戸山多左衛門の息子、戸山多聞である用が合って当道場にお伺いをする。どなたかおられぬか」


 多聞はあたりを見回す。坂の上も竹林で覆われこの<玄洋堂>は、場所だけは良いところにある。

 こんなところで晴耕雨読の暮らしができれば幸せであろう。

 多少日当たりは良いとはいえないかもしれないが、、、、。

 

「誰じゃ」


 と、思ったら、門扉の向こうに小さな老婆、佐伯しのが立っていた。しのの針のように細い目が笑っているように見えるが目の奥は笑っていない。


「先日、、」

「おぼえておる、まだそんなに耄碌はしておらんわ」

「今日はどうしても、佐伯龍斎さえきりゅうさい先生にお会いしたい、このとおり土産までお持ちいたしました」


 と駿河屋の包を見せる。しのは包と多聞の顔を交互に何度も見比べしばらく思案したのちに


「まぁ、あの子でなんとかなるかの。家老のドラ息子を追い払えたとして一石二鳥じゃな」


 しののしわだらけの細い手が伸びると竹を組みわせた門扉がゆらりと開いた。


「あんたら藩士の連中がうちの旦那になにをしたかについてはうちらは一生忘れんから」


 しのはそう言うや、多聞の手から羊羹の包をひったくるように取り上げた。

 

「その飛び石をつたっていきなさい」


 見ると獣道のような下生えの草の間にぽつぽつと飛び石がおいてある。

 また、登るのか、、。

 俺に会いたければここまでやってこいという感じだ。傲岸不遜にも程がある。

 しかし、家老の父のめいだ、しょうがない。

 だが、飛び石の間隔が広すぎる。一歩が、、。男の多聞でも大変なのに、あのしのがここを登れるのか、、、。

 竹林の坂しそして飛び石を登り見えてきたのが小さな草庵とっても良い<玄洋堂>だった。

 ただ多聞には<堂洋玄>としか読めない。


「頼もう!」


 多聞が大声を出した。返事がない。


「勝手に入りゃぁ」

 

 母屋の方からしのの声がした。


「然らば、御免」


 と多聞が言うや思い切って小さな茅葺きの草庵に入った。障子はすべて開け放たれている。草履を脱ぎ上がり框に上がる。

 中はやや暗いがすぐに目がなれた。

 上座には座卓が置いてありそこにちょこんとしのといい勝負の小さな武家風の着物を着た男子がいた。

 髪は月代さかやきを剃らずすべて後頭部で高く結い後ろに流している。

 その侍が座ったままゆっくり振り向いた。


「どうも」


 小さな侍が喋った。

 小さな侍だと思ったのは、紋付きの羽織、袴をはいているがよく見ると色の浅黒い小さな女だった。

 女として器量が良いとは決して言えない。

 怯えたような値踏みするような目で男装をした小さな女が多聞を見つめる。 

 多聞は左側に白いものが見えたような気がしたが、両手をつくと頭をきちっと下げ言った。


「これなるは、藩の筆頭祐筆を務めまする戸山多聞と申すもの。当藩随一の蘭学者の佐伯龍斎さえきりゅうさい先生はおられるでしょうか」

「・・・・・・・・」


 男装の小柄な女は黙しているが口を開いた。


「居ると言えば居るには居るが、、、、」

「貴方様が龍斎先生で」

「違う。弟子の花流斎かりゅうさいと申すものです」

「カリュウサイ??」

「左様」

「で、龍斎先生は何処に、、、、、、、、、、、、」

「その左手に立って居られまする」


 そう言われて多聞が左側を見ると全ての人骨が揃った髑髏がゆらゆら揺れて立っていた。


「ひぃやあああああああああああああああああ」


 これが、戸山多聞と佐伯花流斎との最初の出会いであった。

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