プロローグ

 時刻は真夜中。

 大きな満月だけが美しい。

 日中は春めいていても夜もふけると冷たい風が小さなはすの葉も浮かぶ用水路の上を走る。

 小料理屋の並ぶ堀北通から一本入っただけであたりは相当暗く、うら寂しい。

 この時刻人通りは全くない。

 三人の男が大店おおだなの角に隠れている。


「は、早見様、で、出ました」

 

 岡っ引きの助次すけじが叫んだ。

 隣には肩幅も広い堂々たる剣士がたすき掛けまでして屹立している。

  

 突鎧とっがい流師範代の早見只三郎はやみただざぶろうである。早見只三郎は感覚を小さく息を吐くと心を研ぎ澄ませ剣のつかに手をかけた。


「ま、間違いありません。ありゃあ、おおおお鬼姫です」


 もう一人下っ引きの五介ごすけが続く。

 助次と五介の視線の先には、女物の派手な薄手の打ち掛けを頭にかぶった細身の人間がそろりそろりと舞を舞うようにゆっくりとこちらに歩いてくる。

 腰には大刀が一本。

 この距離では男女の区別さえつかない。

 般若の面をかぶっているのか、本物のつのなのか頭には角が二本にょきっとはえている。

 ここ数ヶ月藩内を荒らし回っている辻斬り鬼姫である。

 斬り殺されたものは十数名。

 奉行所のものが幾度か多数で取り囲んだが全員倒されてしまい、藩で一二を争う剣術道場に助っ人を頼む始末である。

 

「二人とも下がっていろ」


 早見はそういうと、履いていた草履を後ろにゆっくり蹴り捨て、鬼姫に向かって間合いを詰めていった。


「その方、この藩内の市中を荒らす鬼姫か、もしくはその真似をするカタリか?」


 早見は無造作に間合いを詰めていく。

 そして低いしっかりとした声で尋ねる。

 冷たい風が吹き抜けるだけ。

 早見は蓮の葉が水面を打ち触れ合うパタパタという音が聞こえたような気がした。


「問答無用というわけか。生け捕るわけにもいかず、やむを得ない命をもらい受ける」


 早見が抜刀した。月光が早見の刀身に反射し助次の目を刺した。

 鬼姫が今まで両手で抑え被っていた打ち掛けを早見の方に投げ捨てた。

 その瞬間早見は鬼姫の顔を見た。

 美しい。

 まちがいない相貌美しい女だ。

 次の瞬間。鋭い音が響き鬼姫と早見は互いに素早く打ち込み鍔迫り合いとなった。

 二人の上に鬼姫が投げた薄手の打ち掛けがゆっくりと覆い被さる。

 膂力なら道場で一二、師範代まで登り詰めた早見が負けるわけがない。

 早見が上半身に力を入れかけた刹那。

 早見と鬼姫の間でなにかが光った。


「ぐわっ」


 早見はそのまま、刀を落とすと手首を異様な角度にねじったままばったり倒れた。


「ひぃいいいいいい」

「ひゃあああああああああああ」


 倒れた早見練三郎をみるや岡っ引きと下っ引きの二人は堀北通のほうに向かって走って逃げた。


 鬼姫と大きすぎる満月だけが残された。

 美しく細身の鬼姫が春の夜の満月の下、倒した剣士を見下ろし小さな笑みを浮かべて立っていた。

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